#07 「真に重要なことは、たいてい測定できない。」— ピーター・ドラッカー
「お、空いてるぞ!」
カイルが店内を見渡し、目を輝かせた。
オススメだという飯屋へ足を踏み入れる。
夕刻、冒険者たちが仕事を終え、食事と酒を求める熱気が渦巻いていた。
剥き出しの木の梁には、豪快な笑い声と荒々しい談笑がこだましていた。
奥の調理場からは香ばしい肉の匂いが漂う。
「おい、見たか? 今日のダンジョン探索で、アイツら上等な魔晶石を掘り当てたらしいぜ!」
「マジかよ。こっちは泥まみれでガラクタしか拾えなかったってのに……。」
「運がいい奴はとことんツイてるもんだな。こっちは三日連続でスライム狩りだぞ。」
鍛え上げられた戦士たちが卓を叩き言い合い、魔術師風の男たちは静かに杯を傾けている。
店のあちこちで戦果と成功談が飛び交っていた。
案内された席に着くと、カイルが手を挙げ店員を呼んだ。
「適当に頼んでいいか?」
「ああ、任せるよ。」
「じゃあ、今日のおすすめを適当に。それと——ラタラ・ワインも頼む。」
ラタラ・ワインは、この地方で広く飲まれる発泡酒らしい。
微かな甘酸っぱさで口当たり軽く、じわじわと酔いが回るという。
やがて料理が運ばれてきた。
炭火で焼かれた香ばしい串焼き、肉と野菜の旨みが溶け込んだスープ、香草と穀物を練り込んだ焼きパン。
それぞれが食欲をそそる香りを放っていた。
カイルが杯を掲げ、高らかに声を上げた。
「さて、では——ソーマとの出会いと、俺たちが無事だったことに、乾杯!」
「乾杯!」
杯が打ち鳴らされ、賑やかな声が響き渡る。
昨日の出来事を肴に、しばし食事を楽しんだ。
カイルたちが戦っていたのは、Cランク相当の魔獣、グリムウルフだった。
魔獣は魔力を宿した獣系の存在で、通常の動物より遥かに強い。
グリムウルフもその一種で、戦場や魔力の漂う場所に引き寄せられる。
一方、魔物はゴブリンやスライムのような異形の存在で、より高い魔力と異常な力を持つ。
カイルたち三人は「クレセントブレイド(三日月の剣)」と名乗る田舎育ちの幼馴染パーティーだ。
この日も、別の大型魔獣討伐依頼をこなし、街へ戻る途中だった。
だが、帰路で不運にもグリムウルフと遭遇し、戦うことになった。
グリムウルフの実力は、魔獣との闘いで疲れ果てたカイルたちの手に余るものだった。
全身の灰色の剛毛は魔力を帯び、刃が通らない。
さらに「殺意探知能力」で敵意を向けた者を優先するため、連携しづらい。
「俺たちの気力が充実している状態なら問題なかったんだがな」
そう、カイルが嘯いた。
カイルたちは、グリムウルフが火に弱いことを知っていた。
だが、エレノアは先の討伐で魔力をほぼ使い果たし、火属性魔法を絞り出すのに時間がかかった。
その間、グリムウルフは激しく抵抗し、強靭な筋力でカイルたちを次々と吹き飛ばした。
消耗していたため、彼らは思うように動けず、攻め手を欠いたという。
クレセントブレイドは、Cランク相当の実力がありながらDランク止まりだという。
「そりゃ上がれねえわ」と苦笑する彼らの無鉄砲さが、昇格の足を引っ張っているのだろう。
俺は杯を置き、カイルへ真剣に視線を向けた。
「カイル、少し話がある」
「なんだ?」
カイルたちも杯を静かに下ろし、軽く顎を引いて応じる。
「白樫亭の状況って、実際のところ、かなりヤバいのか?」
問いかけると、カイルの目に翳りが走り、僅かに眉をひそめた。
「どうして、そう思った?」
「この宿の規模や立地からすれば、毎日満室でもおかしくないはずだ」
俺は思考を巡らせながら説明した。
白樫亭は三十部屋を備えている大きな宿だ。
大通りから一本入るが、街の中心部に位置し、正門からは遠いものの、商業地区に近く好条件だ。
清潔さ、広々とした落ち着ける部屋、そして料理のクオリティも申し分ない。
「なのに、今泊まっているのは俺たち四人を含めても十名にも満たない……どう考えてもおかしいと思わないか?」
「その通りだな……」カイルは渋い表情で認めた。
「それに宿代だって、料理や部屋の質を考えれば五十ブロンでも安いのに、実際は一泊三十ブロンだろう。相場より明らかに安いのに客足が遠のくのは不自然だ。」
俺は、今日、白樫亭で働くエディからこの国の通貨体系を教えてもらっていた。
エディはアメリアの亡くなった友人の息子で、両親の死後、アメリアが引き取り、十二歳ながら白樫亭に住み込みで手伝いをしている。
このラウフェル王国では、金貨をゴール、銀貨をシル、銅貨をブロンと呼び、一ゴールは百シル、一シルは百ブロンに相当する。
一ブロンはパン一個分、日本円だと百円くらいだろう。昨夜、カイルが三日分の宿泊費としてフィオナに支払った銀貨一枚から、白樫亭の宿泊費は一泊約三十ブロン(日本円で三千円)程度と計算できる。
驚くほどの格安価格だった。
カイルは深く頷いた。
「昔はな、白樫亭はこの街で指折りの名宿だったんだよ。アメリアさんの夫、ルーカスさんが健在だった頃は、毎晩大繁盛していた。だが……」
カイルは言葉を切り、窓の外を見つめ静かに続けた。
「五年程前にルーカスさんが白樫亭に押し入った強盗に襲われて命を落としてからは、アメリアさんが女手一つでフィオナを育てながら必死に守ってきた。常連客の支えもあってなんとか経営を続けてきたんだが……」
コールが飲みかけの杯を手に言葉を継いだ。
「最近まではまだ、俺たち以外にも何組もの冒険者や旅の商人が定期的に泊まっていたんだが、ここ最近になって、さらに状況が悪化している」
「悪化?どういうことだ?」
「ああ」 カイルは眉間に深い皺を寄せた。
「不動産ギルドが、白樫亭の悪評を意図的に広めていやがる」
コールの声が低くなる。
「旅の商人や冒険者たちに、デマを流して選択肢を狭めようとしているんだ」
エレノアが静かに会話に加わり補足した。
「不動産ギルド傘下の宿なら、商業ギルドや冒険者ギルドに加盟している者の宿泊費に補助が出る制度があるの。でも、白樫亭は独立系だから、その恩恵も受けられない」
「……なるほど」 俺は思わずゴブレットを握りしめた。
これが不動産ギルドによる締め付けか。
単なる土地の独占や価格操作だけでなく、直接的な圧力で独立宿の経営を困難にし、気に入らない者を土地から追出し、ギルド傘下の店や宿を斡旋しようとしているのだろう。
俺は窓の外の街を見つめ、あの優しい母娘の運命を思った。
「だが、なぜ奴らは白樫亭を狙うんだ?」
「白樫亭に特別な価値があるかは分からないけど……不動産ギルドには何らかの理由があるはずよ。あのエリアの再開発計画を進めていて、白樫亭が邪魔だとかね」
エレノアが考え込むように眉をひそめた。
「土地の借地契約の更新時期が、関係している可能性もあるな。次の更新まで数十年も待てないのかもしれない」
「……数十年?」 カイルの言葉に、俺は思わず聞き返した。
「そうだぞ?普通の借地契約は、商業用だと最低十年、長ければ五十年ってところだ」 カイルが当然のように答える。
「……そんなに長いのか?」 思わず言葉が漏れた。
日本の一般的な賃貸契約は一年単位が基本だが、この世界では数十年単位で契約が固定されるのが普通らしい。
——定期借地権契約
俺はかつての不動産会社で扱った制度を思い出していた。
たとえば大型商業施設やマンションの土地利用では、借地期間を五十年などの長期に設定し、その間は契約の更新や解約が原則として認められない「定期借地権契約」という制度が存在する。
土地の所有権は貸主が持ったまま、使用権だけを貸すという考え方だ。
日本ではあまり一般的ではないが、ここでは「当たり前」なのかもしれない。
なにせ、庶民には土地の所有権という概念自体がない。
土地は王族か貴族のもので、一般人が利用できるのは借地権の範囲だけ。ならば、長期契約によって生活や事業の安定を図るのは理にかなっている。
所有が限られた者しか許されない世界では、「借りる」ことに永続性を持たせるほうが現実的なのだ。
「となると、契約期間はまだ残っているが、ギルド側の事情で早期に白樫亭の土地を自由にしたいってことか……」
カイルが顎に手を当てながら呟く。
「外部からの圧力か、それとも内部での事情か……いずれにせよ、単に白樫亭が邪魔だから排除しようとしてるのは、間違いない」
俺は静かに杯を傾けつつ、ローデンブルグの不動産市場の構造、不動産ギルドと商業ギルドの対立、そして白樫亭の立地や契約の特殊性を頭の中で組み上げていく。
利権、再開発、契約の縛り。いくつもの要因が複雑に絡み合って、白樫亭を取り巻く状況を生み出している。 狙いは単なる嫌がらせじゃない。
もっと先にある——。
今朝見た、あの屈辱的な光景…そして、フィオナの震える肩。
(あの宿の温かさ、アメリアさんとフィオナの笑顔……目に見えない、数字には現れないけれど、確かにそこにあるはずの価値……)
俺はふと窓の外に目をやった。ゆらめく灯火の向こうに、静かな街の景色が広がっている。
その景色の奥にあるものを見つめるように、ぽつりと呟いた。
「本当の価値は、数字に現れる前に人の中に芽吹く」
一瞬の沈黙ののち、エレノアが少し驚いたように眉を上げた。
「何か策があるの?」
「まだ漠然としてるが……白樫亭の“価値”を可視化できれば、不動産ギルドも簡単には手を出せなくなる」
その言葉に、カイルとエレノアが顔を見合わせた。空気が少しだけ引き締まる。
白樫亭を守るということは、単に一つの宿を救うという話ではない。
まだ右も左もわかっていないこの異世界で、貴族とつながっているような組織を相手取って、土地と経済を巡る抗争に踏み込むことになる。
けれど、それでも——。
動く価値はある。
***
「で、お前はこれからどうするんだ?」 カイルが酒を片手に俺を見た。
「……それが問題なんだよな。俺、金がないんだ」
俺の正直すぎる告白に、カイルは吹き出した。
「まあ、そうだろうな!」
エレノアもクスクスと笑いながら、「じゃあ、冒険者ギルドに登録する?」と提案してきた。
「……俺、非力だし魔法も使えないぞ?」
「確かになぁ」 カイルが顎に手を当て考え込む。
「それに、いきなり冒険者ってのも厳しくねえか?」
コールが腕を組みながら口を挟んだ。
「戦えねぇなら、雑用みたいな仕事しかねえぞ?」
「そういう依頼も多いんだろ?」
俺が尋ねると、カイルは頷いた。
「まあな。薬草採取とか、街の掃除とか、荷物運びとか……冒険者なんて言っても、なんでも屋みてぇなもんだ」
「なるほど……それなら、俺でもできるかもしれないな」
エレノアがふと考え込むようにしてから、にっこりと微笑んだ。
「ねえ、ソーマ。まず神殿に行って、魔法鑑定を受けたらどう?」
「魔法鑑定?」
「この国では、神殿で魔法の適性を調べてもらえるのよ。魔法が使えるなら、それを活かして稼ぐ方法もあるかもしれないわ」
「確かに、戦闘だけじゃなく、回復魔法や補助魔法が使えれば、仕事の幅は広がるな」
カイルがグラスを傾けながら言った。
「それに、魔法の適性があれば、支援系の依頼も受けやすくなるぜ」
「支援系?」
「例えば、街の施設で簡単な魔法を使う仕事とか、神殿や治療院で手伝うとかだな。戦うばかりが冒険者の仕事じゃねえんだ」
「……そう言われると、試してみる価値はあるか?」
カイルが肩をすくめて笑った。
「ダメだったらダメで、それはそれだ。どうせ金がねえなら、選択肢は多いほうがいいぜ」
俺は少し考えた。
「よし、神殿に行ってみるか」 俺はそう言いながら、杯を一口煽った。
こうして、俺の異世界での仕事探しが、少しだけ方向性を見出したのだった。
ご覧いただきありがとうございました。
今回の第7話では、白樫亭が直面する不動産ギルドからの圧力という厳しい現実が明らかになりました。
ここで引用したいのが、今回のタイトルに設定した名言です。
「真に重要なことは、たいてい測定できない。」— ピーター・ドラッカー
経営学の権威であるドラッカーの言葉は、利益や効率といった数字だけでは捉えきれない、人間的な繋がりのような見えない価値の重要性を示唆しています。まさに、白樫亭の持つ「価値」がこれに当たると言えます。
そして、主人公は「生きるための第一歩」として、この異世界で自身が何者であるかを知るために動いていきます。
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