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#54-2 「恐れは、無知から生まれ、理解によって消えていく。」 — マリー・キュリー

「ひいぃっ! 魔物だ! 十八番坑道から魔物が出たぞ!」


 鉱山から、血相を変えた坑夫たちが次々と転がり出てきた。

 彼らの表情は恐怖に歪み、中には既に深手を負ってその場に倒れ込む者もいる。

 背後からは、獰猛な呻き声と、緑色の鬼――オークの群れが、剣や棍棒を手に、地の底から湧き出すように現れた。


 鉱山入口の見張り小屋にいたモレウスは、同僚の坑夫と談笑していたが、その光景にギョッとして立ち上がった。


「な、なんだ……!?」

「モレウスさん、あれは一体……!?」


 同僚が呆然と呟く隣で、モレウスは事態の異常さにすぐに気付いた。


 オークたちが、逃げ惑う坑夫たちに襲い掛かる様に。このままでは、やつらが町に降りてしまう。


「おい、何を突っ立ってやがる! 鐘だ、鐘を鳴らせ! 早く!」


 モレウスの怒号に、同僚はハッとしたように鐘楼へと駆け寄った。ゴォン、ゴォンと、鈍く重い音がベルクシュタットの町全体に響き渡る。

 この鐘は、坑道崩落などの非常事態を知らせるためのものだが、魔物の出現によって鳴らされるのは、この鉱山の歴史始まって以来のことだった。


 モレウスは、迫りくるオークたちに怯むことなく、慌てて鉱山の頑丈な門を閉めようとした。

 だが、手遅れだった。巨大なオークの一体が、唸り声を上げてモレウスの腹部に強烈な一撃を叩き込んだ。


「ぐっ……!」


 モレウスは呻き声を上げ、門から弾き飛ばされる。その隙に、十数匹のオークたちが、まるで決壊したダムの水のようになだれ込み、門を乗り越えてベルクシュタットの町へと駆け下りて行った。



***



「な、何事だ……?」

「おい、今の鐘の音は……?」


 甲高く響いた非常鐘の音が、町の時を止めた。


 家の扉が軋みを上げて開き、商店の奥から顔を出す者、道端で立ち話をしていた者たちが次々と足を止める。視線が一斉に、山を――鉱山を見やった。


 そして見た。

 斜面を駆け下りる、緑色の大きな影たちを。


「なんだ、あれ……?」

「えっ、あれ……あれは……魔物!?」


「オークだぁぁぁっ!」


 誰かの絶叫が引き金だった。思考が追いつくより先に、恐怖が悲鳴となって町を埋め尽くす。

 市場は一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。果物が踏み潰され、屋台がなぎ倒され、血の匂いが立ち込める。


 その地獄へ、真っ先に飛び込んだ影があった。

 

 カイルだ。

 盾で一体を殴り飛ばし、返す剣で叫ぶ暇も与えず次のオークを斬り伏せる。


「邪魔だァ!」


 裏通りからコールが飛び出し、戦斧の一撃で親子に迫るオークを叩き潰した。吠えるような声で威嚇し、住民の逃げ道を作る盾となった。


「カイル、コール、住民の避難が終わるまで、私たちで持ちこたえるわよ!」


 エレノアは、杖の一振りで風の障壁を張り、女性に襲い掛かろうとしていたオークを弾き飛ばすと、即座に詠唱を開始した。彼女の周りに魔力が渦を巻く。


「任せろ!」 

「応!」


 カイルとコールが応え、前線で壁となる。だが、オークは次から次へと湧き出てくる。オークの波状攻撃が、二人の守りを少しずつ削っていく。


「チッ、キリがねえ!」


 カイルの悪態を合図とするかのように、エレノアの魔術が完成した。


「――風よ、刃と為れ!」


 杖から放たれた真空の刃が、カイルに群がろうとしていた三体のオークを薙ぎ払った。一瞬の静寂。だが、それも束の間、後続の群れが牙を剥いて押し寄せる。


 

 通りの片隅で、逃げ遅れた子供が一体のオークに追い詰められる。身をすくめ、ただその場に立ちすくむ――その瞬間。


ゴッ!


 轟音と共にオークが宙を舞い、地面に叩きつけられた。土煙の向こう、鈍い音にカイルたちが顔を上げる。彼らの視線の先、剛槌を振るうドワーフ――グラムの姿があった。


「一匹たりとも、逃がさんぞぉぉ!」


 怒りを煮詰めたような咆哮が響き渡る。グラムはまるで岩塊そのもののような突進でオークの群れに割って入ると、軽々と振るわれる戦槌で次々と敵を粉砕していく。

 オークという種族に対し、グラムの荒々しい一撃は、並々ならぬ憎悪と、それを屠ることへの異様なほどの執着を感じさせた。

 

 「グラムか!」


 カイルが声を上げたが、グラムの耳に届いている様子はない。まるで周囲の喧騒など存在しないかのように、ただひたすらに目の前のオークへと戦槌を振るい続けている。その戦いぶりは、長年の宿敵に相対するかのように、確かな喜びすら滲ませているかのようだ。


 「おい、グラム! こっちだ!」


 カイルが再度呼びかけるも、グラムの視線はオークに釘付けだ。


 「……どうしたんだ? グラムの奴」


 コールが呟いた。カイルは、そんなグラムの凄まじい集中力と、オークへの執着に圧倒されながらも、彼に合流すべく動き出す。


 「だとしても、グラム一人じゃ危ねぇ! エレノア、俺たちで援護するぞ!」


 カイルが叫び、グラムの隣に並び立つ。コールもまた、迫るオークを斧で薙ぎ払い、エレノアと共に援護の体勢に入った。


 「――Win|d, werde zur Klinge!《風よ、刃と為れ!》」


 エレノアが再び放った風の刃が、カイルとグラムの攻撃の隙間を縫ってオークの群れを薙ぎ払う。彼らの力と技が一体となり、混乱していた戦況に確かな一筋の光を灯し始めていた。



***



 俺とハンス達が広場に飛び込んだ瞬間、熱気と悲鳴と、血の匂いが一気に襲ってきた。

 町民たちがパニックに陥り、逃げ惑う。前方では、カイルの盾がオークの棍棒を受け止め、コールの斧が魔物の腕を叩き落とす。グラムの怒声が飛び交い、崩れた屋台を足場に、次々と敵を掃討していた。

 

 町の警備隊も懸命に戦っていた。

 剣や槍を手に、必死にオークと格闘する警備兵たちの姿があった。彼らは市民の避難誘導に尽力しつつ、魔物の群れに立ち向かい、なんとか被害を最小限に食い止めようと奮闘していた。

 しかし、圧倒的な数と凶暴性を持つオークに対し、その奮闘もまた、焼け石に水のように見えた。


 だが、混乱はあまりにも広範囲に広がり、魔物の群れは人の流れを裂くように散らばっていた。


 ——そしてその一隅、瓦礫の山に追い詰められた家族の姿が、俺の目に映った瞬間、視界が、粒子のように揺らいだ。

 

 空間が裏返り、音が遠のき、構造だけが明瞭に浮かび上がる。


 ランド・オラクル——俺の視界を通して世界の姿が形を成す。


 気づけば、足が動いていた。考えるより先に、瓦礫の構造と崩落方向を読みきり、膝を折り、狙いを定めた。


「――ッ!」


 ブーツの先で、積み上がった石の一点を撃ち抜く。


 グラリ、と瓦礫が傾き、そして――崩れた。


 轟音とともに石塊や木材が崩落し、ちょうど家族とオークとの間に、断続的な壁が生まれる。その隙間を縫って、俺は少女の手を引き、母親の背を押し、安全な小径へと誘導した。


「こっちだ、走れ!」


 背後で、崩れかけた商店の屋根が落ちる音が響いた。


 再び広場へと戻ると、カイルたちが、それぞれの役割を全うしていた。


「右翼、一体! カイル、頼んだわ!」

「了解!」

「エレノア、そこの建物の裏にまだいるぞ!」

「任せて!」


 誰もが、恐れず、前を向いていた。町を守る者として。

 町民たちは、自分たちを命がけで守る俺たちの姿に、驚きと混乱、そして感謝の表情を浮かべていた。


 ——やがて、最後のオークが地に伏した。


 広場に、再び静寂が訪れた。

 だが、それは安堵の静寂ではなかった。魔物の残骸と、恐怖に引きつった町民たちの顔。そして、未だ立ち上る埃と血の匂いが、目の前の現実を雄弁に物語っていた。


 オークたちが屍を晒す中、俺は、ハンスに近づき、静かに言った。


「町長、今は何よりも町の安全確保が最優先です。説明会のことは一旦棚上げし、この鉱山から魔物が出現した原因を、早急に突き止める必要があります」


 ハンスは頷いた。顔色は蒼白で、手は震えていたが……。


 この襲撃は、このベルクシュタットと鉱山に巣食う――何かの兆候だ。

 俺は視線を、魔物が出てきた鉱山の入り口に向けた。


ご覧いただきありがとうございました。


「恐れは、無知から生まれ、理解によって消えていく。」 はキュリー夫人の言葉です。

この言葉が示すように、恐れは無知から、理解によって消えていきます。本話で住民が抱いた不信もまさにそうでした。

主人公たちの献身的な行動が、町を覆っていた不信と恐怖を払拭し、新たな理解へと繋がる展開となる布石として、シーンを描きました。

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