#51-2 「真の権力とは、他人に影響を与えることではなく、影響を受けずに進む強さのことである。」— ヴァーツラフ・ハヴェル
ヴァルターとの対面から数日後、グランツ商会の執務室を訪れた俺を、ユージンは椅子から立ち上がることなく迎えた。
「おお、ソーマさん。いらっしゃい。……さて、例のヴァルター氏とのご対面は、どないでした?」
相変わらずその口ぶりは軽かったが、俺を見やる眼に宿る光は、まるで全てを見透かしているかのようだった。
「さすがにご存知でしたか。ええ、丁重な挨拶を受けましたよ。まるで、すべてを包んで差し出すような丁寧さでした。ただ――その手の中に何が握られていたのかは、読めませんでしたが」
俺の言葉に、ユージンは目を細めて小さく笑った。
「彼はね、丁寧さの中に含みを忍ばせるのが得意なんよ。笑顔の角度一つ、間の取り方一つが取引や。……ああ見えて、ギルド本部の意向を寸分違わず汲み取る、そういう類の男やからねぇ」
ユージンはソファにゆったりと身を預けると、机の上の茶に目もくれず、話を続けた。
「グスタフが王家文書を偽造するような真似をして、伯爵家との信頼を損ねたやろ? その損失を、何とか取り返したいのが今のギルドや。で、手を伸ばしたのがソーマさんや――外様にして異才、何より伯爵閣下からの信頼を得ている」
「懐柔、というわけですね」
「まぁ、直球で言えばそういうことになるなぁ」
口調はあくまで柔らかいが、その言葉に曖昧さはなかった。
「不動産ギルドってのは、本来“売ることがない土地を管理する権利”で支配することで成り立ってる組織やからねぇ。表向きは『安定の象徴』やが、裏を返せば変化を最も恐れる者たちの集まりでもあるんや。新しい概念、枠組みの外にいる人間――つまりソーマさんのような人材が一番厄介なんや」
「なるほど。ですが、私は伯爵閣下より直々に任を受けております。ギルドの意向で道を曲げるつもりはありませんけどね」
「当然や。……けどね、今のソーマさんは、二つの巨大な勢力の狭間に立っている。片や、不動産ギルド。片や、我々商業ギルド。 片方は、秩序と保守の牙城。もう片方は混沌と市場の拡張や」
ユージンの目が、じっとこちらを見据える。
「ベルクシュタットでソーマさんがやろうとしてる再開発――それは、ただの再開発やないのやろ。不動産という静的な領域に、動的な商圏を注ぎ込む作業や。ボクがソーマさんを支持するんも、理念というより、合理的判断にすぎんのやわ」
言葉は冷静だったが、その中には明確な期待が込められていた。
「特にあの町は、かつて魔石で栄え、今は死んだ町と呼ばれている。やけど……死んだ町ほど、裏に何かが眠っている可能性が高いと思う。 ボクは、旧鉱脈の奥に何か別種の資源が眠っていると睨んでいるんやけどね。そしてギルドは――それを知っている節がある」
「……つまり、ユージンさんとしても、その何かに関心があると?」
ユージンは身を少し乗り出した。その眼差しは、その眼差しは、物の価値を品定めするように、鋭くも冷静な光を宿していた。
「当然や。市場というのは、既存の資源ではなく、“誰が最初に目をつけたか”で生まれるものや。 ギルドが手を出せない場所に、ソーマさんのような異分子が切り込む。それを支援し、成果を分け合う――これが商売人としていちばん現実的やからねぇ」
「俺が持っているのは、空き家を再生し、新しい価値を生み出す『やり方』や『ものの見方』だけですよ。ベルクシュタット鉱山の資源なんてものに当てがあるわけじゃない。第一そんなもの本当にあるかどうかもわからないじゃないですか?」
「だからこそ面白いんや。確信よりも、確率を読む。……ソーマさんの視る力は、味方に付ければ、ボクたち商人にとって資産そのものになる可能性があるからねぇ」
その瞬間、ユージンの視線に一層の深みが増した。
「ベルクシュタットの再生は、ソーマさんにとっては使命。だがボクたちにとっては、商機であり、投資対象でもあるんよ。だからこそ、ボクたち商人は等価交換を望む。ソーマさんには我々の情報と支援を。代わりに、新たな市場が見えたときは――我々と、その果実を分け合ってもらいたいものやねぇ」
ユージンはそう言って、手を差し出してきた。
その手は、穏やかで、洗練されていて――だが、確実に契約を求める握手だった。
「……わかりました。経済という力学の中で、ユージンさんから学ばせていただきます」
「ふふ、賢明な判断やね。ヴァルターのように“笑顔の裏で毒を仕込む”相手と、ボクのような“欲をそのまま見せる”相手と――さて、ソーマさんは、どちらが御しやすいんやろうね」
ユージンは愉快そうに笑った。
俺は、握手を交わしながら静かに思った。
この世界で生きるには、理念だけでも、力だけでも足りない。
必要なのは、風の匂いを嗅ぎ分けること――そして、それを数字に変える覚悟だ。
***
ローデンブルグでの交渉の合間を縫い、俺は再びベルクシュタットへと戻った。
旧ベルクシュタット会館の改修工事はすでに最終段階に入っていた。
足場が外され、磨き直された石壁に陽光が反射している。新しく張り替えた木材は、どこかあたたかな手触りを持ち、建物全体に穏やかな輪郭を与えていた。
そして、数日後――
かつて廃墟とさえ呼ばれていたその会館が、ついにその姿を現した。
会館の門が開かれると、通りを行く住民たちが立ち止まり、次々と引き寄せられるように足を踏み入れ始めた。
「まあ、なんてことでしょう……ここが、本当に、あの……?」
「信じられん……こんなふうに変わるもんなんだな……」
感嘆と困惑が入り混じった声が、あちこちでささやかれる。
ロビーには開放感が満ち、陽の光と新しい木の香りが静かに満ちていた。
その中で、ひとりの年老いた女性が、ゆっくりと壁に手を当てた。
「昔ね、ここで夫と何度も舞台を見たものだよ……あの賑やかな音が、今も聞こえてくるようだよ。……また、この場所で、たくさんの人が笑顔になれるんだね」
その目には、懐かしい思い出と、新しくなった場所への静かな喜びが宿っていた。
だが、すべてが歓迎一色というわけではない。
建物の外縁には、腕を組み、眉間に皺を寄せた男たちの姿もあった。
その眼差しは冷え切っていて、再生の兆しを拒むかのようだった。
「チッ……建物だけ綺麗にしたって意味ねぇんだよ。魔石が出なきゃ、腹は膨れねぇ」
「無駄金使いやがって……そんな余裕あるなら、飯代でも配れってんだ」
その声に、誰も反論しなかった。
だが、それでも町の空気は、わずかに変わりはじめている。乾いた大地が、夜露に濡れるような、ほんのかすかな変化だが。
俺は会館の階段の上から、その光景を黙って見つめていた。
この町の“意味を更新する”という言葉が、少しずつ――形を持ちはじめている。
それはまだ、確固たる制度や収益ではなく、人の顔の変化や足の向け先といった、小さな兆しにすぎない。だが、それで十分だった。
人は、場所に引き寄せられる。
そしてその場が、人の心を動かすのなら――経済はそこから始まる。
ヴァルターの微笑、ユージンの言葉。
この町の再生が、深く複雑な思惑を伴うことを、俺は知っている。
ベルクシュタットの抱える問題は根深い。そして、それを利用しようとする者たちが――すでに動き始めていた。
「真の権力とは、他人に影響を与えることではなく、影響を受けずに進む強さのことである。」
ご覧いただきありがとうございました。
第51話のタイトルは、チェコの元大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの言葉を引用しました。真の力とは、外的圧力に屈せず、自らの信念を貫く強さであるという意味です。
不動産ギルドと商業ギルド、二つの巨大な勢力の狭間で、ソーマは己の信じる道を進みます。彼の選択が未来にどう影響するか、引き続きご覧ください。




