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#51-1 「真の権力とは、他人に影響を与えることではなく、影響を受けずに進む強さのことである。」— ヴァーツラフ・ハヴェル

 白樫亭の自室で、ベルクシュタット再生計画の図面にペンを走らせていると、控えめなノックの音がした。


「ソーマさん……少し、よいですか?」


 フィオナが戸口から顔を覗かせていた。その声音は静かだったが、表情はど硬かった。


「実は、いま下にお客様がいらっしゃっていて……その……不動産ギルドの方、だそうなんです」


 フィオナの声は微かに震えていた。白樫亭を追い詰めた不動産ギルドの一件は、彼女の心にも深い爪痕を残している。ギルドの名を聞くだけで、彼女の様子が変わるのも無理はなかった。


 (不動産ギルド……なぜ、今になって?)


 グスタフの偽装を暴き、伯爵が後ろ盾になった結果、ギルドは白樫亭から手を引いた――そう思っていた。

 だが、未だ諦めていないのか。あるいは、まったく別の用向きがあるのか?


「わかった。すぐに行く」


 そう言って、俺は立ち上がり、図面のペンを置いた。


 扉を開き、サロンへ入ると、そこにいたのは見慣れない男だった。

 中肉中背、柔和な笑みを浮かべ、上質な服を着こなしている。どこか粗雑なグスタフとは対照的に、その男の纏う空気が洗練されているように感じた。


「あなたがソーマ殿ですね。初めまして。私、不動産ギルドのローデンブルグ支部長に新たに就任しました、ヴァルターと申します」


 ヴァルターは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


 ヴァルターの視線は、一瞬俺の顔からカイル、エリス、コールの姿へと流れた。三人が俺の背後で、警戒を解かずに構えていたのだ。その空気を察したのか、ヴァルターは困ったように微笑んだ。


「皆さんのご心配も無理はありません。前支部長グスタフの無礼の数々、この場を借りて深くお詫びいたします。彼には、ギルドの者としてこの白樫亭に対し、あまりに不適切な対応がございました」

「……まだ、この宿に何か用があるのか?」

「いえ、あの件は完全に幕引きです。グスタフはこの土地に強く執着していたようですが、そのために王家文書まで捏造した。結果、彼は投獄され、先日、獄中で亡くなりました。なぜ彼がここにそれほどこだわったのか……私にも分かりません」


 淡々と語る口調の中に、一瞬だけ空白があった。


「私が支部長を務める限り、白樫亭に対し、過去の例のような不適切な働きかけは致しません。どうぞご安心ください。もちろん、土地や建物の維持管理に関して、何かご相談事などございましたら、専門家としていつでもお力になりますので、遠慮なくお申し付けください」


 礼儀正しい――ここまでの、この男の受け答えは完璧だ。 だが、その奥に何か言い知れぬ気配が潜んでいる——そう感じる。


「そうですか。では本日は、どのようなご用件で?」


 俺が促すと、ヴァルターは優雅な所作で椅子に腰を下ろした。

 カイルたちは一歩も動かず、距離を保ったままヴァルターを注視している。


「ソーマ殿には、グスタフの件では多大なるご尽力をいただき、また白樫亭の再生、さらにはローデンブルグ地域開発顧問へのご就任と、目覚ましいご活躍を上げていらっしゃると伺っております。我々ギルドの傘下に入らずとも、これほどの実績を上げられているとは。特にこの街における空き家対策の取り組みは、我がギルド内でも大きな話題となっております」


 その称賛は過不足なく、声色も自然だった。だが、本心は違うのだろうと感じる。


「これもひとえに、伯爵閣下のご支援と、多くの方々の協力あってのこと。私一人の力では、とても成し得るものではありません」


 俺は淡々と答えつつ、伯爵の後ろ盾をさりげなく強調した。

 

 ヴァルターは「ふむ」と頷き、薄い笑みを浮かべた。


「左様でございますか。しかし、ソーマさんのような才覚をお持ちの方が、ギルドの庇護なく、独立独歩でご活躍されている。この稀有な才能を、我々がギルドとして、ただ傍観しているわけには参りません。そこで一つ、ご提案がございます」


 言葉の選び方に、まるで絹の手袋で鋼鉄を包んだような硬質さを感じる。


「ぜひ、ソーマ殿には我々不動産ギルドの一員として、その類まれなる才覚を存分に振るっていただきたい。ギルドの持つ広範なネットワーク、豊富な資金、そして何よりも安定した地位と権益は、ソーマ殿の事業をより盤石なものとするでしょう。もちろん、ソーマ殿にはそれに見合うだけの厚遇をお約束いたします」


(そう、来たか)


 内心で舌打ちしながらも、表情は変えずに応じた。


「お心遣い、痛み入ります。しかし私は、伯爵閣下から直々にベルクシュタットの再生を拝命しております。 その任を果たすため、すでに信頼できる仲間たちと歩を進めています。 ギルドとは異なるやり方かもしれませんが――これが、私の信じる“意味を更新する”という道です」


 ギルドの枠組みに属する気はない――そう伝えたつもりだった。


 ヴァルターの表情が、ほんのわずかに硬直した。が、すぐに元の柔和な笑みに戻る。


「なるほど……大変残念ではございますが、ご本人の意志に対して、我々が強く迫るわけにも参りません。 ただ――もし、ソーマ様が今後の道の中で、何かしらの()にぶつかられるようなことがあれば、どうかその時は、遠慮なく我々をお頼りください。ギルドは常に、才ある者には門戸を開いておりますゆえ」


 穏やかな口調のまま、その言葉だけがやけに重く響いた。

 あえて使ったであろう『壁』という表現には、妨害の含みすらあるように感じられた。


「ご忠告、ありがとうございます。その時は、心強いお言葉として記憶しておきます」


 そう言って、俺はヴァルターを見送った。


 扉が閉まった瞬間、カイルが低く呟いた。

 

「おい、ソーマ。あれ、本当に信用していいのか? なんか……ヌルヌルしてるっていうか、腹の底が見えねえ感じだったぞ」

「えぇ、カイルの言う通りよ。グスタフは墓穴を掘るタイプのアホだったけど……あれは、違う。手強いわ」


 エレノアの声にも、かすかに緊張が滲んでいた。

 コールも黙ったまま、眉をひそめてこちらを見つめていた。


 俺は静かに頷いた。


 ヴァルターは正面からぶつかってくるタイプではない。

 水面下で、静かに、だが確実に――こちらの足元を崩しに来る。

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