#49-2 「夜明け前が最も暗い」—トーマス・フラー
そうしながらも視察は続く。
鉱山街からそう遠くないところにある坑道の一つまでたどり着いた時、そう言えばと、俺はハンスに問いかけた――。
「町長、一つお伺いしたいことがあります」
俺は足を止め、振り返ってハンスに向き直った。
「ベルクシュタッド鉱山の坑道に、夜な夜な誰かが出入りしているというような噂を耳にしたのですが、そのような事実はありますか?」
ハンスは一瞬目を瞬かせ、少し困惑したように眉をひそめた。
「……いえ、そのような話は私は聞いたことがありません。坑道の殆どはもう何年も前から閉鎖されており、残るのは一本のみ。鉱山の入口には夜も交代で見張り番を立てていますし、外部の者は誰も立ち入っていないはずです」
「閉鎖した坑道に、盗賊か、あるいは魔物のような者が潜んでいる可能性はないですか?」
「鉱山の麓には街があり、坑道に至る道には常に人の目があります。見知らぬ者や魔物がいたら、すぐにわかるはずです。そのような心配はございません。お疑いでしたら、これから鉱山もご案内いたしましょうか?」
「ぜひ、お願いします」
俺が答えると、ハンスはうなずき、鉱山に向かって歩き出した。
やがて、錆びた鉄製の門が固く閉ざされた、鉱山へと続く道の入口にたどり着いた。
山肌には、奥深くへ向かって無数の坑道が縦横無尽に走っているのが見て取れた。
ハンスが説明するには、永年の採掘で、このベルクシュタット鉱山の坑道の総延長は計り知れず、内部で複雑に絡み合っているが、今ではそのほとんどが閉鎖されているとのことだった。今は、新しく掘り進めている一本の坑道のみだという。
ハンスはその門のそばにいた、監視の男に声をかけた。
「彼はこの鉱山の入り口を監視している者です。モレウス、最近なにか変わったことはありませんか?」
モレウスと呼ばれた男は首を横に振った。
「いえ、ハンスさん。特に何もございません。ご覧の通り、採掘できない鉱山なんて、普通の山以上に静かなもんです」
男の言葉には、諦めのようなものが混じっていた。だが、嘘をついているような様子はない。入り口の監視はしっかりしているように見えた。
(ユージンが話していたことは一体何だったのか? それとも……このモレウスという男が何かを隠しているのか?)
視察はさらに続いた。
俺たちは通りを歩き、住民たちに声をかけていった。 だが返ってくるのは、どこか虚ろで、諦めの滲んだ反応ばかりだった。
建物の軒先には鉱山労働者の無事を祈る古びた守護札が貼られ、鉱夫の祖霊を祀る石碑が交差点の角に立っている。
かつての賑わいを思わせる石畳の道は今も整ってはいるが、歩く足音がやけに響くほど、通行人の姿はまばらだった。
鍛冶屋の前には煤けた鉄製の看板が掲げられ、商店の軒先には手彫りの木製飾りが残っている―― 。
この町が一時代を築いた誇りが、確かに息づいていた。
だが今はそれも、埃をかぶったまま手入れされず、まるで時が止まっているかのようだった。
広場の隅にある鉱山模型の遊具で、子どもたちが無言で石を積み上げている。かつての鉱夫らしき男たちは軒先に並び、沈黙のまま煙管をくゆらせていた。
ユリウスは何も言わず、その様子をじっと見つめていた。
カレンは黙ってメモを取っていたが、眉間にうっすらと皺が寄っていた。常に冷静な彼女にしては珍しく、ペン先を軽く噛む仕草が見えた。
グラムは何も言わなかった。ただ、人影の少ない広場を一度だけ見渡した後、足を止め、鉱山を見上げた。
鉱山が止まって以降、町の営みは細く、慎ましくなった。だが、暮らしは続いている。この町全体が、かつての鼓動を失ったまま、浅い呼吸だけを続けていた。
「昔はよかった……今じゃ何も残ってない」
「領主様が早く何とかしてくださらないと……」
「――あんたたち、領主様の命を受けてきた人たちなんだろ? 本当に、この町を変えてくれるのか?」
投げやりな言葉の裏側に、俺は消えかけの熾火のような熱を感じ取っていた。諦めと不満の奥底で、それでもなお燻る微かな期待。だがそれは、何度も裏切られてきた者たちが放つ、あまりにもか細く、頼りない光のように思えた。
突然、十数人の男たちが、俺たちを取り囲むように立ちはだかった。
その目にあるのは、不信と怒り。そして――警戒。
「これまで大した手助けもしてこかなったくせに、今さら何をしに来たんだ!」
「鉱山が生き返らねぇ限り、この町に未来なんかねぇよ!」
「領主の息子だかなんだか知らねぇが、こんな子供を寄こすなんて――俺たちを馬鹿にしてんのか!」
怒気が爆ぜ、空気が一気に緊張に染まる。
「そこまでです! これ以上、ユリウス様に対して、無礼な振る舞いは許しません!」
シグリットが反射的に一歩踏み出し、ユリウスをかばおうとした瞬間――
「下がってください、シグリット」
ユリウスが、自らを庇うシグリットを制した。
小さな体で前を真っすぐ見つめ、怒りの波のただ中へと言葉を投げる。
「……馬鹿になんてしていません」
その声は震えていた。けれども、逃げてはいなかった。
「父は……シュトラウス伯爵は、僕にこの町を“視てこい”とおっしゃいました。ただの視察ではありません。目で見て、耳で聞いて、心で感じてこいと……」
住民たちの視線がわずかに動く。少年の声音に込められた、何かを探ろうとするかのように。
「僕は――ここで暮らす人たちと話をし、この目でベルクシュタットの現在を見ました。そして、思ったんです。視るだけじゃ駄目だって」
一呼吸、間があった。
「僕は……この町を変えたいと思いました。父に言われたからじゃなく、僕自身の意志で。 この町を、みんなが希望を持てる場所に戻したいんです。だから……どうか、僕たちと話をしてください。怒りでも不満でも、何でもいい。教えてほしいんです、皆さんの本当の気持ちを」
静まり返った空気に、遠くで風の音が通り過ぎる。
(幼いのに、これほど肝が据わっているとは。とても先日まで病床にいたとは思えない)
いずれは民を束ねる者となる、その器の片鱗をユリウスの中に垣間見た気がした。
男たちの表情が、すぐには変わることはなかった。けれどその目は――最初のような敵意だけではなくなっていた。
その瞬間を見計らうように、俺は一歩、彼の隣へと進み出た。
「……この町を、私たちは無視できません。そして、皆さんの苦しみも理解しています。ただ、ただ外部の力で解決することでは根本的な解決にはなりません。この町で暮らす皆さんと共に、未来を築き上げていくこと。そのためには、皆さんの言葉と、この町への想いが必要なんです」
俺は住民たちを見渡した。
「鉱山だけが、この町の未来の全てではありません。新たな流通経路の開拓、人員配置の見直し、そして新産業への投資……様々な可能性を、私たちは現実的に検討しています。しかし、これらの具体的な一歩を踏み出すためには、皆さんの声、そしてこの町を再び活気づかせようとする意志が必要なのです」
その言葉に、幾人かの住民が目を伏せ、またある者は遠くの廃れた鉱山の方角を見やった。
波のように押し寄せた不信と怒りの中にも、わずかな揺らぎが広がりはじめていた。




