#47 「未来を予測する最善の方法は、それを発明(創造)することだ」—ピーター・ドラッカー
グランツ商会の応接間は、広すぎず狭すぎない。調度品も過剰ではなく、洗練された趣味が感じられる。
客を威圧せず、それでいて緊張感も保てるように――場を設える側の知性と余裕が見て取れる空間が形作られていた。
ユージン・グランツ。
彼なら、ベルクシュタットについて、伯爵が知らない別の情報を握っているかもしれない。現地で本格調査を始める前に、できるだけの情報は押さえておきたかった。
「いやあ、白樫亭を立派に立て直しましたね……ソーマさん、本当に見事な手並みやったなぁ」
金縁の眼鏡を押し上げながら、ユージンは、いつものように飄々と笑う。その眼鏡の奥にある視線は、こちらの思考を一枚一枚丁寧に剥がしていくような、静かで油断のない光を湛えているように見えた。
「今日は相談というほどのことではないんですが、ベルクシュタットについて、もし何かご存知でしたらと思いまして」
「ほう、ベルクシュタット。ソーマさんは物事の道理をよう心得てはるなぁ。開発計画では、現地に入る前に情報を集めておくのは基本やからねぇ」
その一言に、思わず湯飲みを持つ手が止まった。
「……どうして、それを?」
「さあ? “商人の耳”ってやつかもしれんね」
どこか懐かしい——かつて社内にいた、客の懐の温度まで読んでしまうトップ営業の先輩を思い出す。
ユージンのやり口には、あの人と同じ匂いがある。
──—情報は、ビジネスにおける最大の武器だ。
先輩の言葉が胸をよぎる。
この世界で土地を、ビジネスを動かすには、剣や魔法だけでは足りない。正確な情報、そしてそれを読み解く洞察力が必要だ。
ユージンの一言一句には、その戦略性が垣間見えていた。
そう言えば、白樫亭の一件以来、ユージンは俺に対して随分と話し方を変えたように思う。親しげというよりも、妙に馴れ馴れしくなったように感じられる。これも、相手の油断を誘う彼なりの戦略なのだろうか?
「ベルクシュタットはね、もともと鉱山の町やった。ローデンブルグ領内で唯一の魔石鉱山がそこにあり、採掘された魔石がそこから運び出されとった」
椅子にもたれかかりながら、ユージンは少し遠い目をした。
「ところが――二十年ほど前から、魔石の産出量が急激に減少し始めた。質の良い魔石はほとんど採れなくなり、採掘コストばかりが嵩むようになったんや」
(枯渇か……)
「鉱山が廃れても、代わりの産業が育たなかった。仕事を失った人々は、次々と街を去り……物流も止まり、商人もおらんくなった。まるで時間が止まったかのように、ベルクシュタットはひっそりと寂れていったんや」
「……なるほど。経済活動が止まってしまった、というわけですね」
「そう。かつての繁栄を知る者ほど、今のベルクシュタットを見るのは辛いやろうなぁ。だからね、ソーマさん。あの町を立て直すというのは、そう簡単な話やないや。伯爵も、ようまあ君にそんな厄介事を押し付けたもんや」
ユージンの声が少し落ちる。
「それと……最近ちょっと気になる話が耳に入いとってね。あの鉱山の古い坑道――夜な夜な、妙な連中が出入りしてるらしいんや」
「妙な連中……?」
「そう。ただなぁ、あの鉱山は、もう十年以上もまともに使われとらん。低品質な魔石が採れる坑道が一本残ってるだけやし、枯れた坑道なんか、普通なら誰も近寄らんはずなんやけどな」
一拍置いて、ユージンは声を潜めた。
「正直言ってね、ベルクシュタットの再生というのは、単に道路や建物を直せば済むちゅう話やない。“あそこは終わった町だ”という風評が、未だに根強く残ってるんや」
「一度、経済が死んでしまった町は、そう簡単には息を吹き返さない……」
「その通りや。ましてやボクたち商人にとっては“信用”がすべて。かつて栄えた町が廃れた――それだけで、資金を投じる理由が消えるわけや。実際、あの町の名前を出すだけで顔をしかめる連中もおるくらいやしね」
(それは、もはや“諦念”とも呼べる心理的障壁だ……)
「もしソーマさんがもう一度あの町を動かすゆうんやったら、新たな事業を興す者、資金を提供する者、そして商売の担い手たち――関係するあらゆる組織に根回しが必要になるわけやな」
「……相当、大がかりですね」
「でも、商売ちゅうのは、ゼロから何かを始めるんやのうて、“止まっていたものを、少しだけ動かす”ことから始まるんや。たとえば――誰かが動けば、他も釣られて動き出す。小さな流れでも、それが本物なら、いずれ大きな潮流になる」
ユージンがわずかに身を乗り出し、声を落とした。
「つまり、そこに乗る。流れを“先に掴んだ者”が、物語をつくるちゅうわけやね」
「……流れを掴んだ者が、物語を……?」
「そう。便乗でも、先導でも、乗っ取りでも、なんでもええんや。形はどうあれ、“流れ”を掴むことが何より大事なんや。金というんは、一度集まり出すと、意外なほど早い。問題は――誰がその流れに“名前”を刻むか、や」
皮肉とも、励ましともとれる笑みを浮かべ、ユージンは言った。
「ソーマさん。あなたの立場なら、それ、できるかもしれんよってね」
やがてユージンは湯飲みを置き、ふと声の調子を和らげた。
「まあ……ここまで来てくれたんやし、せっかくやから、人をひとり紹介しておきましょうか」
「紹介……ですか?」
「ローデンブルグの経済と流通に詳しくて、法務にも明るい子がおってね。――カレン・アーデルハイトという娘や」
「……失礼ながら、存じ上げません」
「それも当然やね。あまり表に出ないタイプやから。でも、しっかり勉強してるよ。数字にも強い。ソーマさんとも相性が良いと思うしなぁ」
そう言って、ユージンは机の隅から木札を一枚、こちらの前へ滑らせた。
「信用の源泉がどこにあるのか――そこを言葉や思想やなく、“帳簿”で語れる娘さんや。話して損はないよ」
「ありがとうございます。ぜひ、一度、会ってみます」
「どうぞご自由に。紹介料は……そうやね。ソーマさんの持ちで、白樫亭の湯にでも浸からせてもらえたら、それで十分ですわ」
「ユージンさんが温泉好きとは、意外ですね」
「いやいや、ボクは普段、汗をかかない仕事ばかりしとるからねぇ。温泉くらいで整えないと、バランスが取れないんやわ」
笑みを浮かべたその顔からは、“好意”と“打算”の境目がまるで読み取れなかった。
俺は木札を手に取り、深く頷いた。
「それでは、ありがたく」
「ソーマさん。商売人に必要なのは、“誰と組むか”の目利きや。それと、もうひとつ」
「……何でしょう」
「“誰に視られているか”という感覚も、結構大事やからね」
(誰に視られているか……?)
それは、商人として信用を築くことの難しさについてだろうか。
タナトに“異物”と告げられたあの瞬間の感覚が、脳裏をよぎる。マナを持たない、この世界の構造に属さない異端。ランド・オラクルという能力の異質さ。
俺は――この世界で、間違いなく視られる対象だ。
それが神の目なのか、利権を巡る権力者たちの視線なのか。
ユージンは、単なる商人としての駆け引きとして、それを言ったのか。
それとも俺のどこかに、「視ておかなければならない異質さ」を感じ取ったのか。
気づけば、俺は相談のつもりでこの部屋に来たはずだった。
だが今、情報と金の濁流に、肩まで浸かっている。
そして――その流れを作っているのは、目の前の男。
ユージン・グランツだった。
本話のタイトル「未来を予測する最善の方法は、それを発明(創造)することだ」は、この物語の各話タイトルで度々引用させてもらっている、現代経営学の父、ピーター・ドラッカーの言葉です。これは単に未来を待つのではなく、自ら行動し、望む未来を創り出すことの重要性を示唆しています。
今回の物語では、ユージンが主人公に対し、停滞したベルクシュタットの「未来を創造する」役割を暗に示しました。情報を制し、流れを創り出すのは誰か。異世界での不動産開発に対する主人公の挑戦が本格的に始まります。




