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#46 「建築は、記憶と希望をつなぐ橋である。」——マリオ・ボッタ

 午後の光が石畳に斜めの影を落とす頃、白樫亭の前に見慣れた馬が止まった。


 降り立ったのは、女騎士シグリットだった。


「今日はユリウスは一緒じゃないんだな」 俺の言葉に、シグリットは眉一つ動かさぬいつもの表情で、「えぇ」と頷いた。


「ソーマ殿。お忙しいところ申し訳ないが、領主閣下より面会の要請です。急ぎ参上をお願いしたいとのことです」


 それだけ伝えると、シグリットはきびすを返して馬に戻った。


 ローデンブルグの中央広場を抜け、領主館へと向かう。かつて重い瘴気が淀んでいたこの館だが、今は清涼な香りに満ち、差し込む陽光が隅々までを明るく照らしていた。まるで伯爵自身の回復を映し出すかのように、館全体が生気を取り戻しているのが肌で感じられた。


 伯爵の執務室に通されると、部屋の奥にはすでに、この館の主——オスヴァルト・フォン・シュトラウス伯爵が、静かに腰掛けて待っていた。

 病人であったかつての面影は、もはやない。マナの循環を取り戻したその身体は、声音にすら確かな力を宿していた。


「よく来てくれた、ソーマ君」

「ご無沙汰しています。お顔色、何よりです」

「おかげでな。白樫亭の湯の効果か、体調もすこぶる良い。誠にありがたいものだ」


 軽い笑いとともに差し出された椅子に腰を下ろすと、伯爵の瞳が真っ直ぐこちらを向いた。

 バジリスクの一件を経て、伯爵と俺の距離もいくぶん近くなり、俺への呼び方も「殿」から「君」へと変わっていた。もっとも、俺個人というよりは、エリシアへの義理立てとして俺を重んじているようにも思えるが。


「本日は、突然の呼び出しにもかかわらず応じてくれて、感謝している。……ソーマ君、少し君に聞きたいことがあるのだが、よいかな?」

「どうぞ」

「君が“リノベーション”という名のもとに、空き家を快適な住まいへと変えていると聞いた。……だが、それは単なる修繕ではないようだな」


 伯爵の言葉には、噂話を超えた確かな手応えがあるようだった。

 街からの報告か、あるいは自ら視察した者の声が、彼のもとに届いているのだろう。


「君の言う“リノベーション”とは、何なのだ?」


 静かな瞳の奥に、鋭い問いが宿っていた。

 一拍置いて、俺は口を開く。


「リノベーションとは、修繕ではなく、“意味を更新する”ことです」


 言葉を整えながら、続ける。


「ただ壊れた箇所を直すだけでは、人は戻ってこない。家とは、単なる建物ではなく、そこにいたいと思わせる空間です。俺の仕事は、古い住居に新たな価値を与え、人が再び暮らし始める“理由”を設計し直すことなんです」

「……住む理由か」

「たとえば、風の通り道を整える。陽の差す角度を見極める。水回りを清潔にし、家族の動線を妨げない間取りをつくる。ただ綺麗に直すのではなく、“暮らし”を整える。そのための知恵と工夫の積み重ねがリノベーションです」


「だから俺は、空気の流れを変え、光の入り方を調整する。家族が自然と集まる間取りを考え、掃除しやすい構造にする。そうすれば、“ここで暮らしたい”と感じてもらえるようになる」

「……それが、“リノベーション”か」

「ええ。建物ではなく、“暮らし”を再生する。それが目的です。素材を選び、動線を設計し、人の営みを想像する。古いものの価値を活かしつつ、“今”という時代に適応させる——それが、今、俺がやっていることです」


 伯爵はしばらく沈黙したまま、窓の外に視線を移した。外はすでに夕暮れの色を濃くし、庭の剪定された木々が長い影を落としていた。


「……我々がこれまで行ってきたのは、壊れた箇所を繕うことにすぎなかった。だが、君の話を聞いていると、それは“未来に耐えうる形”に作り替えることだとわかってきた」

「その通りです。今に生きる人間が、明日も住めるように。十年先にも帰りたいと思えるように」

「……それは、街にも言えることだな」


 伯爵は低く唸るように言い、机に広げられた地図の上に手を置いた。


「この街の名は『ベルクシュタット』という。ここは、かつて我が領内でも重要な町だった。豊富な魔石を産出し、多くの富と活気をローデンブルグにもたらした。だが、魔石の質、採掘量とも減少したことで、徐々に寂れてしまった。今はもう、残りの少ない魔石の採掘でなんとか街を維持している状態だ」

「資源の枯渇や需要の変化によって、町としての役目を終えた。維持されず、朽ちていった……よくある話です。ですが――土地が死んだわけじゃない」

「うむ。土地は死なぬ。使われなくなるだけだ」

「だからこそ、“再び意味を与える”必要があります」


 俺の言葉に、伯爵の表情が明るくなった。それは、長く政治に疲れ、病に蝕まれ、それでもこのローデンブルグという土地と共にあった男が、その未来に新たな希望を見出したかのような、そんな表情だった。


「ソーマ君。君の話を聞いて、確信した。私のすべきことは――この場所に、新しい“価値”を作ることだ。かつて栄えたこの町を、人が住み続けたくなる場所に。……君にその再生を託したい」


 予想以上の、大きな依頼だった。

 街全体の再開発。寂れたとはいえ、千人以上が暮らすだろう場所だ。何の権限もない、まだ事業を始めたばかりの人間には荷が重すぎる。


 だが、俺がこの世界でやりたいこと――土地の価値を再発見し、そこに新しい「暮らし」を生み出すこと——その最たる機会が、目の前にある。


 俺は視線を外さず、静かに問い返した。


「率直にお聞きします。伯爵は、以前まで不動産ギルド寄りの立場を取っていたはずです。どうして、そんな立場にあった伯爵が、俺にこの依頼を託そうと思われたのですか?」


 伯爵は少しだけ笑った。


「君らしいな。……確かに私はギルドの助言に多くを委ねてきた。病に倒れ、息子が命の瀬戸際に立たされたとき、このローデンブルグの土地管理は、ギルドに任せるしか他になかった。……だが、君とエリシア様の働きで、真実を知った」


「“シュトラウス家の呪い”が、実は地下道に巣くう魔物によるものだったなどと、誰が信じられよう? しかし君たちは、見抜いた。そして対処した。私が頼りにしていたギルドが、対症療法しか用意できなかったその間に、だ」


 伯爵の言葉には、ギルドに対する明らかな失望の色が見てとれた。


「君に一つ詫びねばならんことがある、ソーマ君」


  伯爵はわずかに視線を下げ、自らの手のひらを見つめるように言った。


「……詫び、ですか?」

「ヴィクトールのことだ。あいつは、私の知人でもあるグリード家の三男でな。貴族としてのプライドが高く、不動産ギルドと協調関係を維持することが当然という考えがあったようだ。グスタフは、あいつのそうした矜持を巧みに刺激し、利用した。あいつの言動が、結果的に君や白樫亭を追い詰める形になったことを、申し訳なく思っている。ヴィクトールは騎士団から解任し、実家へ送り返した」

「そうだったんですね」


 伯爵の声には、深い悔恨が滲んでいた。


(いけ好かない奴だったが、グスタフにプライドを刺激され、利用されたとあれば、少しかわいそうにも思える)


「君の言う『リノベーション』は、まさに根源から物事を変える力だ。それは、今の不動産ギルドにはできないことだと思った」

「……ですが、俺のような者が、ギルドの縄張りに踏み込めば、当然干渉は避けられません。彼らが黙って見過ごすとは思えない」

「それでも私は、彼らの顔色ではなく、“土地”に応える決意をした。君が白樫亭で示したように、失われかけた場所を人が集う場へと変えたあの働き……あれは、ただ温泉が復活したからだけではない。“白樫亭の価値そのものを立ち上がらせた”と感じたのだ」


 伯爵には断固たる決意が垣間見えた。これは断ることができない案件だ。


 だが、これは空き家の改修事業とは異なる。単なる口約束で受けられる規模の仕事ではない。街一つを再開発するとなれば、莫大な利権が絡み、必ずギルドの反発を招く。


 その圧力に対抗するためには、伯爵の正式な権威を背景にした立場が必要だった。


「……ならばなおさら、“正式な立場”が必要です。俺がこの手で再生に取り組むには、言葉ではなく制度という形で、その意志を示してもらわなければ……不動産ギルドから横槍が入った時に対抗できません」


 伯爵は椅子を離れ、机の奥にある引き出しから、新しい羊皮紙と筆を取り出した。


「今、ここで君を“地域開発顧問”として正式に任命し、ベルクシュタットの調査、企画、開発、管理、その全ての指揮権を与えよう」


 筆の音が静かに響き、シュトラウス家の銀のユリと黒き塔をあしらった印章が赤く押された。


「そして、報酬として前金に金貨二枚。成果を達成した暁にはさらに八枚を追加で支払う。君の能力と信頼に、相応の対価を」


 俺は差し出された任命書を見下ろし、深く頷いた。


「……承知しました」


 そして一息、胸に溜めていた言葉を口にする。


「建築は、記憶と希望をつなぐ橋である。」——マリオ・ボッタ


 伯爵はしばし目を細め、やがて笑い声を上げた。


「その通り。私はあの地の“希望”をつなげたい。君に、その指揮を任せよう」


 その時、扉の外から控えめなノックが響いた。


「入れ!」伯爵の声に導かれて、部屋に入ってきたのは、ユリウスだった。


「父上……」

「ユリウス、よく来たな。ソーマ君。ベルクシュタットの視察には、ユリウスを同行させたい」

「……ユリウスを?」


 ユリウスは白樫亭に訪れるときとは違い、やや緊張した様子で頭を下げた。


「よろしくお願いします、ソーマさん。……一生懸命、勉強します」

「こちらこそ、ユリウス。ベルクシュタットを見て回る際は、ただ建物を見るだけでなく、この土地がどんな『暮らし』を育み、これからどんな『暮らし』を生み出すかを想像し、感じ取ってほしい。街の再生とは、そこに住む人々の営みに新たな息吹を吹き込むことだからだ」


 伯爵は目を細めて微笑んだ。


「……そう、“土地は生きている”。だが、それに耳を塞いでいたのは、我々、貴族のほうだったのかもしれん」


 俺は立ち上がり、背筋を伸ばして静かに言った。


「伯爵、依頼、確かに引き受けました」


ご覧いただきありがとうございました。


今回の物語では、主人公がオスヴァルト伯爵から、寂れた街「ベルクシュタット」の再生という大きな依頼を託されました。

タイトルに掲げたマリオ・ボッタの言葉——「建築は、記憶と希望をつなぐ橋である。」——は、この依頼の本質を端的に表す言葉として用いました。


マリオ・ボッタはスイスを代表する現代建築家で、力強い幾何学的造形と地域性・歴史的文脈を重んじた設計で世界的に知られています。日本では、渋谷の「ワタリウム美術館」で彼の作品を直接見ることができます。彼の建築哲学は、過去の栄光や土地に刻まれた物語(記憶)と、未来に向けた新たな営み(希望)とを、空間づくりという“橋”によって結びつけることにあります。


主人公の進める「リノベーション」もまた、単なる修繕ではなく、そこに暮らす人々の生活や価値観そのものを再設計し、街全体に新しい息吹を吹き込む試みです。

相馬が手掛けるベルクシュタットの再生が、この世界にどんな橋を架けることになるのか——その行方を、ぜひ今後の物語で見届けてください。

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