表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/88

#45-2「すべての石塊の中には彫像がある。彫刻家の仕事はそれを発見することだ。」—ミケランジェロ

 ローデンブルグの街は、日に日に秋の色を濃くしていた。街道沿いのカエデが赤く染まり、冷たい風が石畳の隙間を通り抜けていく。


 そんな朝、俺は一枚の図面と共に、とある小路の突き当たりに立っていた。


 目の前にあるのは、時間の堆積を感じさせる木造の長屋。屋根は少し歪み、扉も傾いているけれど、骨格はまだ力強く立っているように見えた。

 かつては職人たちの賑やかな声が響いていたのだろうか。今はほとんどの住戸がひっそりと口を閉ざしている。


「さぁ、始めるか……」


 ここを舞台に、俺の異世界での新たな事業――リノベーションが始まる。


 俺のいた世界では、壊して建て替えるだけが建物の再生じゃなかった。元の構造を活かし、内装や設備を“今”の暮らしに合わせて作り直す。そうすることで、建物の価値そのものが甦る。

 それが「リノベーション」という考え方だ。


 この世界では、家は壊れたら直すもの、という感覚が強い。けれど、本当に必要なのは、住む人の「暮らし」に合わせて、建物そのものを変える工夫だ。


 「ここに住みたい」と思わせる、光の満ちた空間、スムーズな生活動線、清潔で心地よい水場。

 古いものに、新しい価値を吹き込むこと。それが俺の考えるリノベーションだ。そして今、この異世界で、それを形にする際一歩を踏み出した。


 白樫亭の手伝いを続けながらでは、新しい事業に専念できない。だから、数日前、アメリアさんとフィオナにそのことを伝えた。


「――少しの間、宿の手伝いを休ませてほしいんです」

「そっか……ソーマさん、お仕事始めるんですね」


 俺が切り出すと、フィオナはきょとんと目を丸くした。その顔には、新しい仕事を始める俺への驚きや、それを応援してくれているような気持ち、そして少しの寂しさが浮かんでいるように見えた。


「ええ。それで、宿の手伝いはできないから、寝泊まりする場所は、別に部屋を借りようかと思ってます」


 俺がそう続けると、フィオナはそれまでの表情を消し、驚いたように、困惑したように目を見開いた。


「えっ? 部屋をですか? 白樫亭じゃダメなんですか?」

「いや、さすがに働かないのに、いつまでも居候はできないだろ」


 そう言うと、今度はアメリアが腕を組み、穏やかな目でこちらを見た。


「……そんなこと、いちいち気にしなくていいのよ。ソーマ君がいなくなるほうが、私たちにとっては困るわ。フィオナが、毎朝の朝食が寂しくなるって言ってるわよ?」

「お母さん!」


 真っ赤になったフィオナが慌ててアメリアの口を塞ごうとするのを横目に、俺は温かいものが胸に広がるのを感じた。


「でも、けじめはつけたいんです。これまでのように甘えるわけにはいかない。せめて宿代は払わせてください」


 アメリアはしばらく考え込んだあと、静かに頷いた。


「じゃあ、こうしましょ。うちに長く泊まってくれるお客様用の長期滞在割引。そういうことにして、ソーマ君なら半額でいいわ。暇なときだけ宿を手伝ってくれれば、それで充分よ」

「……それで、お願いできるなら、助かります」

「ふふ、頑張ってね」


 アメリアさんの温かい計らいで、俺は白樫亭に「自分の部屋」を持つことになった。長期滞在割引という名目だけれど、それはこの街に自分を受け入れてくれる場所ができたということだった。

 二人の優しさが身に染みて、ただ感謝するばかりだった。



     ***



 最初の案件は、街の裏通りに静かに佇む木造長屋『槌音コート』だ。


 築年は優に四十を超える。風雨に晒された外壁は剥がれ、屋根はところどころ歪んでいたが、骨格は驚くほどしっかりしていた。場所も悪くない。賑やかな通りから一筋入っただけで、周囲は静寂に包まれている。


 所有者は、長屋の斜向かいに住む老婆――ルーサ婆さん。


 この長屋は、鍛冶職人だった夫が遺した大切な建物だったらしい。しかし、先立たれてから、婆さん一人では修繕する費用もままならず、夫の死後、管理を任せた不動産ギルド傘下の商会に相談しても、ろくに話を聞いてもらえなかったという。


「相談はしたさ。でも返ってくるのは、取り壊して新築すればいいって話ばかり。あたしにそんな金があるわけないだろうに。それに、うちの爺さんが残したもんだから、できれば残しておきたいんだがね……」


 ギルドは何もしない。ギルドにとって、こんな古屋は儲けにならない『価値なし』の烙印を押されたも同然だった。


 俺は、懐にしまっていた契約案の写しを取り出した。


「この建物、まるごと俺に貸してもらえませんか?」


 ルーサ婆さんは、じろりと俺を見上げた。赤茶けた眼差しが、軽く揺れる。


「……へえ? あのボロを、あんたが? 一体、何に使うんだい? あんた、不動産ギルドの回しもんじゃないよね?」

「違います。俺個人です。これから、この長屋を借りて事業を始めようと思ってるんです」

「事業、ねぇ……あたしのこの長屋でかい? 具体的にはどうするんだい?」

「はい。俺が長屋を一棟まとめて借りて、自分の費用で手を入れます。改修後、部屋を他の住人へ貸し出すつもりです。お支払いするのは、一戸につき元の家賃の七割でいかがでしょう。ただし改修費はすべて、こちらの持ち出しです」


 ルーサ婆さんは、口をつぐんだまま、しばらく考え込んでいた。

「……つまり、あんたが勝手に直して、勝手に人を入れて、差額で儲けるって寸法かい?」

「ええ。リスクはすべて、こちらが負います。万が一、借り手がつかなくても、ルーサさんに工事費用などのお金を出していただくようなことは一切ありません」

「面白いことを言うもんだねぇ」


 その声には、呆れよりも微かな期待が混じっていた。


「正直なところね、もう諦めてたんだよ。あの長屋、空き部屋ばかりだろ。誰も住まないし、手入れもままならない。でも、あんたが金出して直すって言うなら、話は別だ」

「ありがとうございます。必ず、人が戻ってくる場所にします。俺の仕事は――“古い建物に、新しい価値を吹き込むこと”なんで」


 ルーサ婆さんは、しわの刻まれた手で膝を叩き、笑った。


「へっ、言うじゃないか。なら任せようじゃないの。家賃はあんたの言う通りで良いよ。ただし、変な細工はナシだよ。人が住めるようにしてくれなきゃ困るよ」


「もちろんです。住みたいと思える場所に、仕上げます」


 契約はすぐにまとまった。不動産ギルドの目がある以上、記録は必要と考え、口約束だけではなく、簡易だが書面も交わした。

 あくまで俺が“借主”であり、運用益は自らの裁量に基づく――そう明記して。



 こうして、俺の異世界での第一号案件――〈槌音コートリノベーション計画〉が動き出した。


 翌朝、俺はこの物件の状態を見せるために、グラムを呼んだ。

 現場に到着したグラムは、重そうな工具袋を下ろすと、まず長屋の外観をぐるりと見回した。歪んだ屋根や剥がれた壁を見ても、特に表情は変わらない。


「これか。お前が見つけたってやつは」


 俺が頷くと、グラムは俺と一緒に長屋の中へ入った。埃っぽく薄暗い部屋に足を踏み入れる。グラムはまず柱の根元に手をやり、軽く叩く。耳を澄ますようにその音を聞き、わずかに目を細めた。


「ふむ……」

「見た目より骨はしっかりしてるでしょう。素人目にはボロ屋かもしれませんが、俺からすれば、構造がこれだけ生きていれば、内装はいくらでも変えられる『上物』ですよ。再生のポテンシャルを秘めている」


 俺が言うと、グラムは無言で頷いた。部屋の奥へ進み、太い梁を見上げて再び叩く。


「梁も問題ないな。これならあと三十年は保つ」

「ですよね。湿気や腐食も限定的でしたし装は板張りで覆えば十分です。問題は動線と水回り。炊事場は位置から見直した方がいい」

「天井は落として張り直しだな。壁土も全撤去で。あとは……火の元は共用化して、煙抜きを一本にまとめる」


 さすがの職人だ。俺の頭にあった図面を、言葉にせずとも正確に読み取ってくる。


「支払いの方は、前金として魔晶石の換金分から一部出します。残りは、分割で」


 俺の言葉に、グラムは一瞬、考え込むように視線を落とした。資金的に楽ではない、初めての事業。そこに踏み出す俺の覚悟を、彼なりに測ったのかもしれない。


 やがて、グラムはふっと息を吐き、俺の目を見て頷いた。


「それでいい。お前が途中で投げなきゃ、最後まで付き合ってやる」


 その言葉に、俺は少しだけ笑って返した。


「投げませんよ。これは、ただの改修じゃない。俺にとっての“仕事の原点”みたいなもんなんです」


 言葉を続けながら、ふと思い出した言葉があった。建築家が自身の思想を語るインタビューでの一節だ。


「記憶と歴史こそ、建築家の主なインスピレーション源であるべきだ」――マリオ・ボッタ


 グラムが巻尺を回す手を止め、こちらを見た。


「……いい言葉だな」


 彼は一歩、部屋の中心に出て、見上げた天井をじっと見つめる。


「こういう仕事はな……つい、自分の技術を見せる舞台だと勘違いしちまう。だが、そうじゃねぇんだな。人が暮らした場所に、もう一度“生きる時間”を戻す……そういう仕事なんだ」

「ええ。“ボロ屋”じゃない。“誰かが生きた空間”です。俺たちが手を加えることで、その記憶が未来につながるなら……それこそが建物の価値じゃないかって思ってます」


 グラムは、巻尺を収めながら小さく笑った。


「いいぜ。やる気が出てきた。最初の一軒、見本になるよう仕上げてやる」

「お願いします。この部屋が、やがて街全体を変える、その最初の『入口』になるんです」


 こうして、異世界での俺の最初の事業が動き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ