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#42 「勇敢な人とは、恐怖を感じない人ではなく、その恐怖を克服する人なのだ。」—ネルソン・マンデラ

 ダンジョンは静かに、息を潜めるように奥へと続いていた。


 エレノアの魔法が生んだ淡い光が、前を歩くカイルの背を照らしていた。

 闇の中に、彼の大きな背中だけが浮かび上がっている。


 コールとエレノアがその後に続き、俺が最後尾だ。


「おいソーマ、足元に気をつけろよ」

「わかってる……」


 岩だらけの通路は、気を抜けばすぐにつまずきそうだ。天井は低く、空気は湿って重く、身を縮めて歩かざるを得ない。


 不意に——足元の感触が変わった気がした。


 ぴたりと足を止める。


「どうしたの?」


 エレノアが振り返り、不思議そうな顔でこちらを見てきた。


「いや……なんか、足元が動いた気がして……」


 その言葉が終わりきる前だった。


 ——目に地脈の淡い光が浮かび上がる。


 突然、足元に整列していた地脈の束が、まるで扉が開くように左右へと裂けた。


「なんだ……地脈が……?」


 暗闇の底が一気に広がる。今まで整然と地面を走っていた地脈の筋が、俺の立っている部分だけを避けるように開いていく。


「——まさか!」


 直感が、危険を告げた。


「ここ、崩れるかもしれな——」


ゴゴゴゴ……!


「——うわっ!」


 次の瞬間、足元の地面が崩れ落ちた。


「ソーマ!」


 コールが叫んだ。が、その声が届く前に、俺の足場はもうどこにもなかった。


「——っ!」


 とっさに手を伸ばすが、掴めるものなど何もない。


「ソーマ——!」


 エレノアの声を残して、俺の身体は闇の底へと落ちていった。。



     ***



 重力に引かれて無重力の暗闇を一直線に落ちていく。


ドン!


 背中を何かにぶつけ、息が詰まった。だが、それでも止まらない。


「うわっ——!」


 視界が回転する。身体ごと滑るように、岩でできた滑らかなチューブ状の通路を、猛烈な勢いで落ちていく。


「くそっ、なんだこれ——!」


 ウォータースライダーのような感覚に、身体が左右に大きく揺れる。


 速度は増すばかり。頭が混乱し、方向感覚も失われていく。


 ——だが、それも長くは続かなかった。


ドサッ!


 何かに叩きつけられるように止まり、砂煙が舞い上がった。


「……いってぇ……」


 背中と腰に痛みが走る。だが、骨は……大丈夫、なはずだ。

 体を起こし、どうにか立ち上がる。


 耳を澄ませても、上からは何の声も聞こえない。


「……カイルー! エレノアー! コールー!」


 叫んでも返ってくるのは、虚しい反響だけ。


 空気が冷たい。肌を刺すような寒気が走り、背筋がぞくりとした。


「マジか! こんな……場所で、一人かよ……」


 ダンジョンに来たこと自体が、間違いだったんじゃないか。

 そんな後悔がよぎるが、もう遅い。


「落ち着け……まずは冷静に……」


 自分に言い聞かせるように、腰のナイフを握り直したが、震える手が情けないほどだった。


「こんなとこで怖気づいてどうする……」


 そのとき、ふと脳裏に言葉が浮かんだ。


「勇気とは、恐怖に抵抗し、それを支配することであって、恐怖がないことではない」——マーク・トウェイン


 そうだ。怖いのは当然だ。だけど、進まなきゃ、何も変わらない。


(異世界転移なんて訳のわからない状況に放り込まれて、右も左も分からなかった。……それでも、ここまでやってきたんだ)


 冷や汗を拭い、心を整える。

 誰のせいでもない。自分で選んだ道だ。


 ランタンを取り出し、火を灯す。温かな光がじんわりと広がり、心に少しだけ余裕が戻った。



「……なんだ、この場所……」


 気持ちに余裕が出ると、周りが見えるようになってきた。

 先に続く通路は緩やかな下り坂になっていた。通路の壁は不自然なほどに滑らかで、人工的につくられたもののようだった。


 気を入れ直し、慎重に歩を進める。カイルたちと完全にはぐれた現実が、じわじわと心を締め付けてくる。


「……どうすれば戻れんだ?」


 焦るな、焦るな……と自分に言い聞かせながら、歩を進める。


 体感的に三十メートルほど進んだとき、不意に壁に埋め込まれた古びた石板が目に入った。


「なんだ……これ」


 手を触れた瞬間、通路の壁面が淡く光り始めた。

 通路全体が照らされ、左右の壁に掘られた彫刻の像が浮かび上がる。


 そして、その通路の先に重厚な両開きの扉が見えた。


「まるで……地下神殿みたいな佇まいだな……」


 不安と恐怖が胸を締め付けるが、引き返す道はない。


「行くしか、ないか……」


 震える足を前に出し、一歩、また一歩と扉へと近づく。石でできた床は冷たく、湿り気を帯びた空気が肺に重く圧し掛かった。


 通路を支配する静寂。灯された光が薄暗い影を作り、石像たちがこちらを睨んでいるように見えた。

 

「こいつら、動き出して襲ってきたりしないよな……」


 冗談混じりの独り言が、少しだけ気を紛らわせてくれた。


 やがて、扉の前へとたどり着いた。


 四メートル近い高さの両開きの古びた扉。

 重たそうだが……俺一人で、開けられるのか?


 とりあえず、両手で押してみた。


 ……音もなく、扉は開いた。


 目の前に広がったのは、奥行左右とも五十メートル程のだだっ広い無機質な空間。


 ——そう見えたのは、一瞬だけだった。


 部屋の最奥、壁の中央に、それはあった。


 巨大な球体。直径二メートルはあろうかというその構造物は、金属のようなものでできており、表面には無数の歯車状の突起と溝が刻まれていた。

 球体全体が、時計仕掛けのように静かに回転している。歯車がゆっくりと噛み合いながら、内部機構を動かしている音がかすかに響いていた。


 金属の光沢はところどころに錆を浮かべ、まるで何かの“時間”がそのまま凝縮されたようにも見えた。

 無数の歯車の隙間から、球体の中心に埋め込まれた赤く光る結晶が透けて見える。それは、心臓の鼓動のように、規則正しく脈動していた。


 そしてその光は、歯車の球体から伸びるオレンジ色の複数のラインとなって、床や壁を這うように広がっていた。まるで、神経網か、あるいは巨大な回路図のように——。


「……なんだよ、これ……」


 呟いた声が、無機質な空間に吸い込まれていく。


 俺は無意識に一歩後ずさった。


(地脈が……この装置からダンジョン全体に広がっているのか? )


 通常、ランド・オラクルで見る地脈は、まるで植物の葉脈のように太さも流れも不規則で、自然な形をしている。

 だが、この部屋に広がる筋は、すべてが一定の太さで、機械的に配置されたように見えていた。それは、まさに半導体集積回路の回路線のように規則正しい軌跡を描き出していた。


(これが……ダンジョンの地脈? いや、まるで誰かが意図的に組み上げたかのような構造だ)


 まるで球体そのものが地脈の発信源とでもいうような構造。

 その存在感が、部屋全体を支配している。

 まるで無機質な設計図の中に閉じ込められたような、異様な圧迫感だった。


 ――気づけば、背後の扉は音もなく閉じていた。ぞわりと、冷たい汗が背中をつたう。


「やばい。出られなくなった……?」


 不安が一気に膨れ上がる。

 逃げ場を失ったという現実が胸を突き刺し、息苦しさに襲われた。


「冷静になれ、俺。こんな時こそ……」


 そう自分に言い聞かせるために、何かないかと言葉を探すが、何も出てこない。

 足が震え始める。


 その時——


 ガラン……


 金属の何かが転がったような音が、静寂を裂いた。心臓が跳ねる。


「誰だ……?」


 問いかける。しかし、返答はない。

 部屋の奥、闇の中で確かに何かが動いている気配がした。


「……やばい、何かいる……」


 緊張が限界まで高まり、喉が渇く。


 その瞬間、重く鈍い足音が静寂を切り裂いた。


 暗闇の奥から現れたのは、まるで神話の中から抜け出してきたかのような異形だった。


 ギリシャ神話に登場する、半人半牛の怪物。


 クレタ島の迷宮「ラビュリントス」に封じられ、英雄テセウスによって討たれた——あのミノタウロスだった。


(う、嘘だろ……ミノタウロス!?)


 その姿を目にした瞬間、全身の筋肉がこわばった。


 牛の頭部には、大きく湾曲した二本の角。外側に張り出すような形状で、威圧感をさらに増している。


 燃えるような赤い目がぎらりと光り、こちらを射抜いた。理性などとうに消え去ったような、獣そのものの眼差しだった。


 全身は赤銅色に近い肉体で覆われている。隆起した筋肉の間には、獣毛のような体毛がところどころ浮き出し、まるで獣と戦士の間を彷徨うかのような存在。

 その巨体は三メートル以上、まるで神殿の柱のように圧倒的な質量を誇っていた。

 腰には真紅の布が巻かれ、腰帯には赤い玉石のような装飾が並ぶ。


 そして、その手には、両刃の巨大な戦斧——。


 弧を描いた両端の刃が、月のように鈍く輝いていた。

 一振りで、俺の存在など簡単に消し飛ぶ——そんな錯覚では済まない現実的な殺意を帯びていた。


「……人間……」


 低く、くぐもった声が空気を震わせる。

 それはただの唸りではない。獣の咆哮に、呪詛にも似た怨念が混ざっていた。


「我が……ダンジョン……奪う……許さぬ……」


 鈍く、たどたどしい言葉。

 それがかえって、不気味な恐怖を倍加させる。


 喉がひどく渇く。背中を冷たい汗が伝う。

 圧倒的な威圧感に、手の震えが止まらない。

 ナイフを握っている自分が、無力な兎のように思えた。


 ミノタウロスが一歩、また一歩と踏み出すたび、床が軋んだ。


「ダンジョンは……俺の物……誰にも渡さぬ……」


 苦痛と狂気が入り混じったその表情。

 だが、よく見ると、その巨体がわずかに震えている。

 それは怒りか、それとも——殺意か?


「く、くそっ……!」


 後ずさろうとするが、足がすくんで動かない。


 突如、ミノタウロスが跳躍した。


「——っ!」


 反射的に横へ飛び退き、かろうじて回避する。

 だが、巨体が床に叩きつけられた衝撃で、足場が大きく揺れた。

 岩の破片が飛び散り、頬をかすめる。


「やばい……!」


 立ち上がる間もなく、再び突進が来る。


 ランド・オラクル!


 視界が金色に染まり、動きの予兆が視える。右から来る——!


「くそっ!」


 間一髪で横へ転がり、斧の軌道をかわす。

 床が削られ、深い傷痕を刻んだ。


「グモォォォ!!」


 ミノタウロスの咆哮が、空気ごと鼓膜を震わせる。


「くそ、死にたくない……!」


 逃げ場のない絶望が、胸を押し潰す。


 背中が壁にぶつかる。もう後がない。


 もう一度、ランド・オラクルを無理やり発動。


 だが、ミノタウロスの動きは常軌を逸して速い。

 未来を読み取っても、それに身体が追いつかない。


「ガァアアアッ!」


 雄叫びを上げ、振り下ろされる斧。


 反射的にしゃがみ込む。


 斧は頭上をかすめ、 背後の岩壁に突き刺さり、ひびが走った。


「これ以上、避けきれない……!」


 次の一撃が来る、その瞬間——



「——君、変だね? マナがないよ」


 唐突に、ミノタウロスの動きが止まった。


ご覧いただきありがとうございました。


「勇敢な人とは、恐怖を感じない人ではなく、その恐怖を克服する人なのだ。」これは、南アフリカの反アパルトヘイト運動を導いたネルソン・マンデラ氏の言葉です。

今回、ダンジョンで一人取り残された主人公が、恐怖を克服する試練に直面し、絶望的な状況下で、その恐怖をどう克服し、前へ進むかを描きました。

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