#41 「私たちは物事をあるがままに見るのではなく、自分が何者であるかによって見るのだ。」—アナイス・ニン
足元の地面はぬかるみ、苔が滑りやすくなっているため、慎重に歩を進める。
「ソーマ、大丈夫か?足元、気をつけろよ」
カイルが先頭で振り返り、盾を構えながら声をかける。
「あぁ。でも、滑りそうで怖いな」
「こういった洞窟型ダンジョンってのは基本、自然のままなのよ。地面が脆くなってたり、穴が空いてたりもするから。注意してね」
エレノアが後ろから補足しながら歩く。
コールは無言で背後を守りつつ、斧を両手で構えていた。
「静かだな…」
「ダンジョン内部って、妙に音が響くんだ。だから、小さな物音でも大きく聞こえる」
カイルが警戒を強め、先頭を進む。
その時——
……ブフッ……ブフッ……
奥から低く唸るような音が響いた。
「来たぞ!」
カイルが盾を構えた瞬間、暗闇の中から鈍重な影が数匹飛び出してきた。
「ダスクホッグか! ソーマ、下がってろ!」
「わ、わかった!」
カイルが盾を前面に突き出し、突進してきたダスクホッグを受け止める。
重たい体躯が盾にぶつかり、鈍い衝撃音が響いた。
「くっ、思ったより力強いな!」
「エレノア、準備できてるか?」
「もちろん!」
エレノアが杖を掲げ、詠唱を始めた。
「――Flammenpfeil《炎の矢》!」
火の矢が三本、空中に現れ、一直線にダスクホッグへと飛んでいく。
グォッ!
先頭の一匹が炎を受け、毛皮が焼け焦げて転がった。
だが、残りの三匹が怯むことなく突進してくる。
「コール、左だ!」
「おう」
戦斧が薙ぎ払われ、突進してきた二匹をまとめて吹き飛ばす。
吹き飛ばされたダスクホッグが、暗闇の中で転がる。
「エレノア、もう一発頼む!」
「任せて!――Windklinge《風の刃》!」
鋭い風の刃が音を立てながら飛び、残った一匹の足を切り裂いた。
ブフッ!
バランスを崩して転倒したダスクホッグを、カイルが盾で押さえ込み、素早く剣で喉元を突き刺す。
「……ふぅ、楽勝ね」
エレノアが杖を下ろし、汗を拭う。
「ダスクホッグは単独行動じゃないからな。群れごと片付けたのはいいが……」
カイルが周囲を見回し、慎重に進もうとするその時だった。
「……ん?」 何か、地面が震えている。
微かな振動が足元から伝わってくるが、カイルやエレノアはまだ気づいていないようだ。
(なんだ……?)
視界の端に青白い光が浮かび、地面に淡い筋が刻まれる。
(この感覚……?)
次の瞬間、景色が一変する。
――――
目の前の地面に、巨大な光の筋が走っていた。
まるで暗闇の中に一本の道が描かれたように。
その道筋をなぞるように、黒い巨影が疾走してくる。
――――
(でかい……! このスピードで突っ込んできたら、まずい!)
ランド・オラクルの力が消え、現実に引き戻される。
「カイル、前!」
叫んだ瞬間、暗がりから巨体が飛び出してきた。
「うぉぉ!」
俺の声に反応したカイルが咄嗟に踏ん張り、盾で衝撃を受け止め、巨体をいなした。重く鈍い音が洞窟内に反響し、カイルがたたらを踏む。
「シャドウバイソン!」 エレノアが叫んだ。
シャドウパイソンは再び闇に紛れる。
心臓がまだバクバクしているが、何とか冷静を装いながら、俺は再びランド・オラクルを発動させた。
もしまた突進してきたら、次はどこから来る……? この力、どれだけ正確なんだ? 何が見える?
俺は集中しながら、再び青白い光を求めて、地面に視線を落とした——。
「カイル、右だ!」
ガッコォォォッ!!
再び突進してきたシャドウパイソンをカイルが盾を前に出して受け止めた。衝撃でよろめく。
「うっ……重っ……!」
それは、全身真っ黒の巨大な牛だった。頭には巨大な日本の巻き角を持ち、それをカイルの盾にぶつけて、力強い前脚で地面をかき、力で押し込んでいる。
カイルは全身と盾を青白い気力で多い、それを受け止めていた。
「エレノア!」
「分かってる!」
エレノアが杖を掲げ、素早く詠唱した。
「――Lichtlanze《光槍》!」
強力な懐中電灯のように一点に集約された光芒が、シャドウバイソンの顔面を正確に射抜き、一瞬怯ませた。
「今だ、コール!」
「任せろ!」
戦斧が振り下ろされ、バイソンの右肩に深々と食いこんだ。
グオォッ……!
だが、それでも倒れない。
「オラア!」
カイルが剣を振り上げ、シャドウバイソンの首筋を一気に切り裂いた。
グモォォォッ……
ようやく重たい体躯が崩れ落ち、血しぶきが床に染み込んでいった。
「はぁ……なんて突進力だ。腕が痺れてやがる」
カイルが息を整え、盾を下ろした。
「ソーマが警告してくれなきゃやばかったぜ。でも、よくシャドウパイソンが来るってわかったな」
「いや、俺は何となく危ないと思っただけだよ」
ランド・オラクルの反応を隠しつつ、無難に答えた。
「シャドウバイソンは、気配を消して突進してくる魔獣だ。警告がなければ、もっと厄介だったぜ」
「シャドウバイソンが一匹ってことは、縄張りを持ってる個体ね」
エレノアがシャドウバイソンの遺骸を見つめ、そう見立てた。
「だったら、しばらく近くには魔獣は現れないだろう」
コールが周囲を警戒しながら、静かに告げた。
「そうだな。いまのうちに素材を剥ぎ取っておこうぜ。ソーマ、手伝ってくれ」
「あ、ああ」
俺も腰を上げてナイフを取り出したが、どこから手をつければいいのか全くわからない。生き物の解体なんて、これまで一度も経験がない。せいぜいスーパーで買った肉をパックから取り出して調理したくらいだ。
カイルが慣れた手つきでバイソンの毛皮をめくり、ナイフを滑らせていく。
「まずは筋を切ってから、ゆっくり皮を剥がしていくんだ。力任せに引っ張ると破れるから、慎重にな」
「わかった」
教えられた通りに手を動かすが、最初は手元がぎこちない。筋を切る感触が妙に生々しくて、指先に震えが伝わってくる。
(生き物を解体するって、こんな感じなんだな……)
血の匂いが鼻腔を突き、内臓の独特な生臭さが漂う。
少し前まで突進してきた猛牛が、今はただの無力な死骸だ。
命を奪ったのは俺じゃないが、それでも胸に重たいものがのしかかる。
「ソーマ、大丈夫か?」
カイルがちらりと俺の顔色を伺った。カイルとコールは淡々と骨や皮を分解しながら、まるで日常作業のように黙々とこなしていた。
「ああ……なんとか」
本心では少しきついが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
カイルやコールが手際よく素材を剥ぎ取っているのを見て、俺も少しずつ慣れていくしかない。
(こういうのも、冒険者としての常識なんだろうな……)
少し離れた場所で周囲を警戒していたエレノアが、こちらを見て微笑む。
「まあ、最初は誰でもそんなもんよ。慣れれば平気になるけど、臭いのとグロいのは変わらないわね」
素材をある程度集め終えた頃、ようやく休憩に入った。
カイルが盾を横に置き、エレノアが水筒を取り出して一口飲む。
「ソーマ、喉乾いてない?」
「ありがとう」
水筒を受け取り、一口飲むと冷たい水が喉を潤した。
「なあ、カイル。“インベントリ”みたいな魔道具ってないのか?」
「インベントリ? なんだそれ」
「容量無視して何でも入れられるアイテムみたいなやつ。例えば、ポーチに大量の荷物が入るとか」
「へえ、そんなものがあったら便利だな」
カイルが感心していると、エレノアが思い出したように話し始めた。
「それって、闇属性の魔法に近いかもしれないわね。物や生き物を亜空間に吸い込む魔法があるって聞いたことがあるの。でも、そんな高度な魔法が使える魔道具なんて聞いたこともないわ」
「王都の魔導院で、似た研究がある。空間魔法を応用した“収蔵型魔道具”。一定領域に物を格納し、任意に取り出す試作があるそうだ。理論上は容量制限がない。ただ、魔力供給量が膨大で、構造素材の安定性も課題。実用化にはまだ時間がかかる。しかし―—」
それまで、黙っていたコールが早口で語り出した。
「急にどうした?……コール。なんで、そんなに詳しいんだ?」
思わず俺が問い返すと、エレノアがくすっと笑った。
「コールはね、魔道具関連の話になると別人みたいになるの。普段あんなだけど、魔道具店を巡ったり、古い文献を読み漁るのが趣味なのよ」
「こいつ、魔道具オタクなんだよ」
カイルが肩をすくめ、慣れた様子で茶化す。
一方のコールは、少しだけ照れたように視線をそらしながら、それでも淡々と言った。
「俺は、魔法は得意じゃないからな。……魔法に頼れない俺にとって、魔道具は時に生き残る武器になる」
無口で寡黙な戦士――そんなイメージしかなかったコールの、思いがけない一面。
「なるほどな……実用化されたら便利だけど、値段はえげつないだろうな」
俺が苦笑すると、カイルが大きく頷いた。
「だな。重さを感じなくするだけの魔道具ですら高級品だからな。あんなの、貴族様か商会の連中くらいしか使えねえ」
「だからこそ、相馬、お前がしっかり荷物持ちしてくれって話だよ」
カイルが俺の背中をバンと叩いた。
「……はいはい、任せとけ」
「さて、そろそろ行くぞ。次は少し進んで、奥の部屋を確認しておきたい」
カイルが立ち上がり、盾を握り直す。
「そうね。次がどうなるかはわからないし、気をつけて進みましょう」
仲間たちはそれぞれの武器を構え直し、ダンジョンの奥へと進んだ。
暗闇が息を潜め、何かを待っているかのような不穏さが漂っていた。
かすかな風の音が、警告のように耳に残った。
本話では、主人公の初のダンジョン探索を描きました。未経験からランド・オラクルで危機を予知し仲間を救い、戦闘や素材解体、コールの意外な一面を知る中で、ソーマはこの世界の一員としての自覚を深めます。
アナイス・ニンの名言「私たちは物事をあるがままに見るのではなく、自分が何者であるかによって見るのだ」は、ソーマ自身の変化が、彼自身の世界の見方をどう変えていくかを示唆しています。




