#40-2 「港にいる船は安全だ。だが、船は港に留まるために造られたのではない。」 — ジョン・A・シェッド
俺は白樫亭の裏庭に腰を下ろし、グラムから借りた防具を眺めていた。
肩当や急所を守る防具が一体となった革製のジャケット。くたびれているが、軽くて動きやすそうだ。
その隣には、これもグラムから借りた、研ぎ直した大振りの短剣が一本。
正直、こんな装備でダンジョンに挑むのは無謀かもしれないが、今の俺にはこれが限界だった。
「おーい、ソーマ。準備できたか?」
振り向けば、カイルが爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
その後ろには、腕を組んで少し呆れた顔をしたエレノアがいる。
「本当に大丈夫? その装備で怪我しても泣き言、言わないでよね」
「いや、俺にはこれを振るのが精一杯でさ……」
「ま、無理して気張る必要はないけどね。とにかく、無茶だけはしないでよ」
エレノアの口調は少しきついが、心配してくれているのがわかる。
「装備はこれで大丈夫か? カイルたちに迷惑かけたくない」
「そこは心配すんなって。俺たちが前に出るから、ソーマはその後ろをしっかりついてこいよ」
「そうだな。下手に戦おうとすると危ない。ソーマは観察が得意なんだろ? その力を活かせばいいさ」
コールが言い添え、戦斧を確認している。
「観察……か。確かに、俺の取り柄って言ったらそれくらいだな」
「そうそう。妙なことに気づいたら教えてよ。それで十分助かるから」
「わかった」
少しだけ安心感が生まれた。
今回潜るのは、ローデングラムから半日ほど歩いた距離にある森の中のダンジョンだ。
出現したのは五年ほど前。粗方探索されており、冒険者が目当てとする魔晶石も採り尽くされたらしく、最近では探索者もほとんど見かけない。
特に、半年ほど前に新たなダンジョンが見つかったことで、そちらに探索の主流は移ってしまった。
ダンジョンには必ず、ダンジョンマスターというのが居るそうで、それがダンジョンのボスということらしい。ただ、これから向かうダンジョンでは、まだ誰もダンジョンマスターとは遭遇していないらしく、奥には新たなエリアがあり、そこにはまだ多くの魔晶石が埋もれているはずだと言われていた。
「俺たちもよく知っている場所だから、安心してついてこいよ」
「ダンジョンって聞くと、もっとこう、死と隣り合わせなイメージなんだけどな」
「うーん、種類によるな。中には管理されてる『制御型ダンジョン』ってのもあって、騎士なんかの訓練や魔晶石の採掘の場になってるらしいぜ」
「へぇ、人間が管理しているダンジョンなんてのもあるのか」
「そう、国や貴族なんかがダンジョンマスターと契約してるんだとよ。だから、比較的安全に魔物狩りや採掘ができるって話だ。まぁ、俺たち一般冒険者は縁がないけどな」
カイルが苦笑しながら肩をすくめる。
「ダンジョンマスターって、話が通じる相手なのか?」
「知性があるやつも多いらしいわ。でも全部がそうじゃないし、凶暴なタイプもいる」
エレノアが真剣な表情で補足する。
「なるほど…マスターって聞くと魔物か何かかと思ったけど、話し合いができる相手もいるんだな」
「そうね。ダンジョンでも、制御型は比較的安全に探索ができるのよ。でも今回のは自然発生型だから、絶対安全ってことはないわ」
「まぁ、ソーマは荷物持ちの立場を忘れず、無理に戦おうとしないことだな。俺たちが先に進むから、後ろをついてこいよ」
カイルが笑って肩を叩いてくる。その力強さに、俺も少しだけ気が楽になった。
グラムが作業を終え、そのごつい手で防具の締め具合を確認してくれた。
「大丈夫だ。これなら多少の衝撃には耐えられる。お前が死んだら白樫亭の女将とフィオナ嬢が泣くだろうからな」
「それは困るな。二人を悲しませないためにも、無事に帰るつもりだよ」
「その心意気で行け。あとは気張らず、周囲を見ていればいい」
「よし、それじゃあ準備完了だな。いざ、ダンジョン探索へ出発だ!」
カイルが声を上げ、コールとエレノアも頷く。
俺は最後にもう一度、防具の留め具を確認し、短剣を腰に差し込んだ。
***
街を出発し、森の中を進む。木々が生い茂り、朝露を含んだ草が靴にまとわりつく。
歩き慣れたカイルたちに比べて、俺は少し息が上がりながらも必死に足を進めた。
「ソーマ、大丈夫か?」
先頭を歩いていたカイルが振り返り、心配そうに声をかけてきた。
俺は軽く息を整えながら、カイルの励ましに頷くと、隣のエレノアが少し苦笑している。
「ソーマ、呼吸が乱れてるわよ。体力温存しなきゃ、ダンジョンの中でへばるわよ」
「わかってるけど、思ったより道が険しくてさ…」
「ま、慣れてないならそんなものかもね。でも、しっかりついてきなさいよ」
エレノアの言葉には、少しからかうような優しさがあった。
コールは無言で隊列の後ろを守っている。その背中には無骨な大斧が背負われており、黙々と周囲を警戒していた。
「コール、問題ないか?」
カイルが声をかけると、コールがうなずいた。
「特に異常はない。でも、森の中の気配が普段より薄い。獣が警戒しているようだ」
「ダンジョンが近いせいだな。慎重に進もうぜ」
カイルが指示を出し、隊列を崩さないように気を配る。
「そうだ、ソーマ」
カイルがふと思い出したように声をかけてきた。
「ダンジョン内では、いくつか気をつけてほしいことがあるんだ。特に罠には十分注意してくれ」
「罠?」
「ああ。床や壁の色が不自然だったり、妙にきれいな場所なんかは怪しい。他にもいろいろ種類があるから、常に周囲をよく見ておくことだな」
「そうね。慣れてる場所でも、うっかり罠にかかることがあるから油断禁物よ」
エレノアが念を押すように言う。
「了解。足元に気をつけて歩くよ」
その時、微かに足元が揺れた気がして、俺は思わず立ち止まった。
(何だ、この違和感…?)
周囲を警戒しながら、そっと屈んで地面に手を触れる。
(ランド・オラクル…)
目の前の地面が淡く金色に染まり、微かな脈動が足裏に伝わってきた。
(…やっぱり、震えてる。これ、なんだ?地震……いや、違う。この揺れ方、地脈が震えているのか?)
カイルが怪訝そうに振り返る。
「ソーマ、どうした?」
「いや、ちょっと足元が揺れた気がしてさ…」
「揺れ? 地震か?」
「いや、気のせいかもしれないけど…」
「この森、地震が起こるような場所じゃないわよね?」
エレノアが疑問を口にする。
「うーん、そうだな。でも、気をつけながら進むぞ」
カイルがそう号令をかけた。
(地脈に何かが起きているのか……?)
カイルたちに怪しまれないよう、再び歩き出す。冷たい風が吹き抜け、森の奥が少し開けた。
「さあ、もうすぐダンジョンの入口だ」
カイルが指差し、全員が立ち止まった。
「準備はいいか?」
「えぇ」
「もちろんだ」
エレノアが前を向き、コールも頷く。
未知の領域がすぐそこに待っている。俺は心を引き締め、次の一歩を踏み出した。
***
「ここか…」
森の奥深く、不自然な隆起があった。
大地が突き上げたような高さ三メートル程の小山だ。 表面には苔や草、持ち上げられた木の根が露出し、急斜面の木々は傾き、無理に支え合うように絡み合っている。まるで山肌にしがみつくようだ。
小山の中央には、土がごっそり削られたような大きな穴。黒々とした入口は、闇が口を開けたようで、周囲の静けさが、その異様さを際立たせていた。
洞窟は地下に向かってへ傾斜していた。暗がりから冷たい空気が絶え間なく流れ出し、森の生気を吸い取るように漂っている。
「森の中に、こんな場所が……」
思わず呟くと、カイルが頷いた。
「これがダンジョンってやつさ。ある日突然、地面が盛り上がってこの洞窟が現れたんだ」
「自然にこんな洞窟ができたのか?」
「ああ、森を歩いてた奴が偶然見つけたらしい。立ち入ってみて、奥まで続いてるのがわかってな」
「でも、地面が隆起して洞窟ができるなんて……普通じゃないよな!」
「まあ、ダンジョンってのはどこも異常だ。理屈なんてわからねぇさ」
俺たちは慎重に洞窟の入口に近づき、足元を確認しながら一歩を踏み出した。その瞬間、全身に鳥肌が立った。
(なんだ……?)
冷たい風が吹き抜けたわけでもないのに、背中に氷のような感覚が走った。まるで空気そのものが歪んでいるような、不自然な圧力が体を包み込む。
頭の奥がキンと鳴り、ランド・オラクルが微かに反応した。
壁や床に光の筋が浮かび、四方へと張り巡らされた。
(これが……地脈? いや、普段見るものとは違う)
俺がいつも見る地脈は、大地に根付いた自然そのものだ。植物の葉脈のように、太さも形状もバラバラで、複雑に絡み合い、無秩序に広がっている。
けれど、このダンジョンの地脈は違う。
壁や天井にも均等に走り、すべてが一定の太さで整然と配置されている。
理路整然とした回路図のような線が、壁面を縫うように描かれているのだ。
まるで誰かがCGでデザインしたかのような、あまりにも機械的なものを感じた。
(地脈が意図的に配置されている……のか? 自然の力じゃない…誰かが作ったのか? それとも…)
大地が持つ生命力が、何者かの手によって管理され、コントロールされている――そんな感じだ。
(ダンジョンって、こういう仕組みなのか……? )
カイルが振り返って声をかけてきた。
「ソーマ、何突っ立ってんだよ。早く来い」
「あ、ああ……ちょっと、空気が違うなって思って」
「まあ、ダンジョンってのはどこもこんな感じだよ。空気が重くて気持ち悪いのは、いつものことだ」
カイルは肩をすくめて笑う。
(俺にとっては異様でも、カイルたちにとっては“いつも通り”ってわけか)
「なるほどな……そういうもんか」
無難に頷き、俺はカイルたちの後を追い、ダンジョンの奥へと進んだ。
本話では、現状維持から一歩踏み出す相馬の決意を描きました。
ジョン・A・シェッドの言葉は、「船は港にいるだけでなく、外洋へ出るために造られた」と、安穏な場所を離れ、新たな挑戦に挑むことの意義を示唆しています。
白樫亭という安定した環境に安住せず、新たな行動のために冒険者登録へと一歩踏み出した主人公の心情が、この言葉と重なります。
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