#04 「人は出会いによってのみ、自らを知る。」— ガブリエル・マルセル
「とにかく、お前はしばらく傷を治すのが先だな。白樫亭に連れて行くぞ」
カイルの言葉に、他の二人も頷いた。彼らは俺の体を支え、ゆっくりと歩き始めた。だが、街までの道のりは想像以上に過酷だった。
夜の森を抜ける風が肌を撫で、草木が月明かりの下で静かにざわめいている。
出発前、カイルたちは手際よく魔物の死骸から素材を回収していた。
「おい、これ持っていくぞ」
カイルが無造作に魔物の鋭い爪を切り取り、腰の革袋に放り込んだ。その動作には長年の慣れが見て取れる。
「毛皮も忘れないでね」
エレノアの声に応え、コールが鋭いナイフで魔物の分厚い毛皮を剥いでいく。彼の手つきは職人のようだった。
「……それ、何に使うんだ?」
俺の素朴な質問に、エレノアは当然のことのように答えた。
「素材として市場で取引されるのよ。特に、あの魔物の爪は武器や装飾品の加工に重宝されるわ。毛皮は上質な防寒具や鎧の裏地として使われることが多いの」
「へぇ……」
ゲームや小説で読んだのと同じだ。
この異世界の経済システムについては、まだ何も知らないが、ちょっと感動した。
この世界でも、魔物の遺骸に価値があることは覚えておくべきだろう。
「本当なら、牙の方がずっと高く売れるんだがな」
カイルが意地悪く笑いながらエレノアを見た。
「こいつが派手に頭を吹き飛ばしちまったからな」
「……何よ、それが。あの一撃がなかったら、あんたたちの誰かが食い殺されていたかもしれないのよ?」
エレノアはムッとして腕を組み、不満げな表情を浮かべた。
「まあまあ、冗談だって」カイルが肩をすくめると、エレノアは「まったく」と深いため息をついた。
そんなやりとりを交わした後、俺たちは街へ向かって歩き出した。
負傷した脇腹に鈍い痛みが広がり、歩くたびに視界がぼやける。体力が急速に失われていくのを自分でも感じた。
カイルとコールに交互に肩を貸してもらいながら、俺は一歩一歩、懸命に前進した。
足を引きずりつつ、俺は三人に休む間もなく質問を投げかけた。
街のこと、人々のこと、商売の仕組みや土地の価値について。
何が高価で、何が安価なのか。
どの地域にどんな人々が暮らし、どの場所にどんな職業が集中しているのか。
——この世界で生き抜くために必要な情報を少しでも得ようとした。
痛みで顔を歪めながらも質問を浴びせかける俺を見て、カイルは呆れたような、感心したような笑いを浮かべた。
「ところで——」 ふと思いついたように、俺は新たな質問を口にした。
「この国の名前を教えてもらってもいいか?」
——沈黙が流れた。。
「……お前、そんなことも知らねぇのか?」
「いや、俺は気づいたら森の中に倒れていたから」
あまりに素直な返答に、カイルは「そうなのか」と深く頷いた。
「なら教えてやろう。ここはラウフェル王国だ」
カイルは立ち止まり、夜空を仰ぎながら続けた。
「国王“エドワルド・ラウフェル三世”が統治し、王都ラウフェルを中心に政治・経済・軍事の拠点が配置されている。各地方は貴族が治め、商業都市や港町が繁栄する一方で、辺境には貧しい村も少なくないな」
エレノアも立ち止まり、補足した。
「この国は周辺諸国との交易が盛んで、大陸全体でも商業の発展した地域として知られているわ。でも、王国の貴族層と台頭してきた商業ギルドとの間には深い対立があって、どちらが経済を支配するかの争いが激化しているの」
カイルが苦笑しながら付け加える。
「貴族連中は土地と税で権力を維持しようとするが、商人たちは自由な市場を求めてる。まあ、俺たち冒険者からすれば、どっちが勝とうが大した違いはねぇけどな」
俺は夜空の星を見上げながら考えた。 土地と経済を巡る権力闘争か——この世界で生きていく以上、それは避けて通れない現実なのかもしれない。
その後、向かっている街「ローデンブルグ」の状況を聞くことができた。
ローデンブルグは、この国の中心である「王都」から、馬車で二週間ほどの距離にある。
もともと小さな宿場町であったが、複数の交易路が交差する位置にあったことから、次第に大規模な商業都市へと発展していった。
王国内の各都市が成長する中で、ローデンブルグは物流の要衝として、その重要性を増していったのだ。
発展の過程で、不動産ギルドが都市開発を主導し、商業施設や宿泊施設を統括する体制を確立した。
長らく不動産ギルドが圧倒的な影響力を持っていたが、近年、新たなダンジョンの出現によって冒険者の流入が急増し、商業ギルドの勢力が年々拡大している。
現在、不動産ギルドと商業ギルドの力関係は微妙な均衡状態にある。
不動産ギルドは依然として土地の管理を独占し、街の開発を独占している。
一方、商業ギルドは自由な市場経済を目指し、都市の不動産改革を強く求めている。
今後の展開次第では、ローデンブルグの権力構造が大きく変わる可能性もあると、彼らは語った。
「これだけ話せるってことは、もう歩けるんじゃないか?」
カイルが冗談めかして言った。
「……いや、正直かなりきついんだ」
俺は正直に答えた。
「そうか。でも、お前のしぶとさには感心するぜ」
そんな会話を交わしながら、ようやく街の灯りが視界に入ってきた。
暗闇の中に浮かぶ温かな光の群れに、俺はようやく安堵の息を漏らした。
これで一旦、安全な場所に辿り着ける。
***
宿の扉を開けた瞬間、ふわりと温かな光と料理の香ばしい香りが迎えてくれた。
外の冷たい空気とは対照的に、宿の中は暖炉の炎が揺らめき、木造の床や壁が柔らかな灯りに照らされている。
広々としたホールには整然と並んだ木製のテーブルと椅子があり、どの席も心地よさそうに整えられていた。
だが、不思議なことに客の姿はなく、静寂が空間を包んでいる。
(……いい宿なのに、客は誰もいないのか?)
戦いと移動で消耗した体が、少しだけ力を抜けと訴えてくる。
無意識に息を吐いたとき、カウンターの奥にいた栗色の髪の少女がこちらを向き、ぱっと花が咲いたような笑顔を向けた。
「お帰りなさい、三日月の剣の皆さん!」
「ただいま、フィオナ。悪いが、部屋をひとつ頼む」
カイルが軽く手を挙げると、少女——フィオナは、柔らかな緑の瞳を輝かせながら、カウンターの下から鍵を取り出した。
彼女はエプロンドレスを身にまとい、清楚で可憐な雰囲気を持った少女だった。
どこか温かみのある佇まいで、その姿からは"安らぎ"を感じる。
少し巻きのかかった栗色のセミロングが、ふわりと肩に揺れる。
(……可憐な子だな)
彼女の笑顔には、不思議な安心感があった。
まるで、長旅の疲れを忘れさせるかのような、優しく包み込むような空気をまとっている。
「新しいお客さまですか?」
俺に興味を持ったように、フィオナが小首をかしげる。
その仕草はどこか控えめで、だが人を拒まない柔らかさがある。
「色々あってな。ちょっと預かることになった」
カイルが軽く説明すると、俺はフィオナに向かって一礼した。
「相馬直樹です。よろしくお願いします」
「フィオナ・エヴァレットです。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
彼女は柔らかく微笑みながら、手に持った鍵を俺に差し出した。
「このお部屋をお使いくださいね。ゆっくり休んでください」
その声音は、ほんのりと温かみを帯びていた。
彼女の言葉一つひとつが、自然と気持ちを和らげてくるのが不思議だった。
しかし、俺の体調はすぐれないままだ。 脇腹の鈍い痛みが再び主張し始める。
「悪いが、フィオナ。こいつの傷、診てもらえないか?」
カイルが頼むと、フィオナは俺の傷に視線を落とした。
「こいつに中級ポーションを飲ましたんだが、傷の治りが遅いようなんだ」
カイルの言葉に、フィオナは少し驚いたように目を丸くした。
「……治せるか?」
「中級ポーションでも治せないようなら、私には無理かもしれません。でも、少しでも楽になれば」
そう言うと、フィオナはそっと俺の傷口に手をかざした。
「Licht der Heilung, Wärme der Natur, umhülle diese Wunde.《癒しの光よ、自然の温もりよ、この傷を包み込め》」
淡い光が灯り、心地よい温もりが広がっていく。
じんわりとしたぬくもりが肌を包み込み、痛みが少しずつ引いていくのがわかった。
この感覚は、魔法というよりも、何か別の力が働いているような気がした。
(……これが、魔法……?)
映画やゲームの中の魔法とはまるで違う。
もっとこう、圧倒的な光や力を伴うものだと思っていたが、フィオナの魔法は"優しい"ものだった。
傷をそっと包み込むような、静かで穏やかな癒しの力。
それは、まるで自然の癒しの力そのものだった。
「……どうですか? 少しは楽になりました?」
彼女は小さく息をつきながら、俺の顔を覗き込む。
彼女の目には、純粋な心配の色が浮かんでいた。
「……ああ、だいぶ」
俺が答えると、フィオナはほっとしたように微笑んだ。
「よかった。でも、あまり動かないでくださいね」
彼女の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
どうやら、魔法でも俺の傷完全に治すほどの力はないらしい。
「完全に治るには三日くらいはかかると思います。その間は安静にしてください」
「三日、か……」
言われてみれば、確かにまだ鈍い痛みが残っている。
いくら異世界のポーションや回復魔法がすごいとはいえ、万能ではないらしい。
「金はどうするの?」
エレノアが冷静に問いかける。
手持ちの財布を確認するが、日本円しかない。
この世界の通貨とは交換できないだろう。
カイルは肩をすくめると、ポケットから何枚か銀貨を取り出した。
「こいつの分、頼む。完治するまでな」
「えっ……?」
俺が驚く間もなく、フィオナは「分かりました」と頷いた。
「じゃあ、三泊分ですね。カイルさん、ありがとうございます」
「いいってことよ。ただし——」
カイルは俺を指差し、にやりと笑った。
「これで貸しはないからな。あとは自分で何とかしろよ?」
「……分かった」
その言葉に、俺は頷くしかなかった。
ご覧いただきありがとうございました。
「人は出会いによってのみ、自らを知る。」 ——ガブリエル・マルセル
この言葉は、フランスの哲学者ガブリエル・マルセルによるもので、他者との関わりこそが自己理解を深める上で不可欠であることを示唆しています。
本作では、主人公が異世界で様々な人物と出会い、その交流を通じて自身の新たな一面や、この世界における役割に気づいていきます。彼の旅は、まさに「出会いによる自己認識の深化」と言えるかもしれません。
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