#37-2 「隠しきれないものが三つある。太陽と月、そして真実である。」— ブッダ(釈迦)
伯爵の言葉を聞いて、張り詰めていた糸が切れたように、ふっと肩の力が抜けた。
白樫亭の再建計画を始めてから、ユージンとの交渉、地下道でのバジリスクとの遭遇、領主館での死闘、そして今日の審問でのグスタフとの対決。
思えば、異世界にきて、右も左も分からないところから、本当に色々なことがあった。そして、それら全てが、この瞬間に繋がったのだ。
ようやく、この白樫亭という場所を、この世界でできた大切な人々を、自分の手で守り抜けた。
——だが、グスタフはなぜ、あれほどまでに白樫亭の土地に固執したのか?
ランド・オラクルで視た過去の地下道の映像——バジリスクを放ったのはグスタフだった……。そして今回の王家文書の偽造。
発覚すれば極刑だろうに、そこまでしてあの土地に執着する理由はなんだったのか? そこには俺たちも知らない、なにかとんでもない秘密が隠されているような気がする。
そして、やつが最後に言い放った「黒い薔薇」という言葉……奴の付けている指輪に刻まれた紋章も薔薇だ。これも無関係じゃないだろう。
「ソーマさん、少し宜しいですか?」
そこまで考えていると、シルヴィアが俺たちの方へ歩み寄ってきた。その表情は、審問中の張り詰めたものから解放され、柔らかな笑顔を纏っている。
「はい」
「伯爵様からも事前に少し伺っていましたが……ソーマさんには「呪い」やその他にもいろいろと人とは違うものが視えているのだそうですね。あの文書から、具体的に『何が』見えたのか、もう少し詳しく教えていただけますか?」
やはり、関心を持たれたか。伯爵がどこまで話したかは分からないが、迂闊なことは言えない。
「それは……」 俺は一瞬言葉を選んだ。
「あの湯治療養院について記された文書全体に、本来の記録とは異なる『歪み』のようなものが視えました。それは『偽りの情報』が刻まれた際に生まれたわずかな違和感のようなものだと思いますが、それが元となって、文書全体の整合性が失われているように感じたのです」
「偽りの情報の痕跡による、違和感ですか……」
シルヴィアは俺の言葉を興味深げに反芻する。
「それは非常にユニークですね。なるほど、伯爵の仰る通り、ソーマさんは、人には見えないものを見る、特別な眼をお持ちのようですね。それをどうやって身に着けたのか、宜しければ教えていただけますか?」
「もう、シルヴィア! ソーマは疲れているのよ。今は根掘り葉掘り聞くのはやめなさい」
シルヴィアがさらに踏み込もうとした、その時だった。スッと横からエリシアが間に入り、シルヴィアの言葉を遮った。
エリシアはほんの少しだけ口元を緩めているが、その目に宿る意志は強い。
「あら、随分と気遣うわね。エリシア。まさか、ソーマさんとそんな仲になったのかしら?」
シルヴィアが意地の悪い笑みを浮かべ、エリシアをからかった。
「なっ……!もう!昔からそうやってすぐに人をからかうんだから!」
エリシアは頬を赤らめ、ムッとした顔になる。
その様子を見て、俺は思わず尋ねた。
「もしかして、二人は知り合いなのか?」
「ええ、まあ。知り合いよ。腐れ縁というやつかしら」
「腐れ縁ですって? まあ、エリシアったら、ひどいわね。わたくしたちの付き合いが、そんな言葉で表せるかしら。もっとこう、麗しい友情とか……ふふっ、冗談よ。でも、本当に長い付き合いではありますわね」
シルヴィアは楽しそうに笑い、改めて俺に向き直った。
そして、真剣な表情に戻り、俺の目を見て言った。
「ソーマさん。エリシアとこれからも仲良くしてあげてくださいね。あの子は少し人見知りで、気難しいところもある子なのですが、ソーマさんに対しては、心を開いているみたいですし、随分と信頼しているようですから。どうか、これからも彼女の力になってあげてください」
「シルヴィア、何をソーマに吹き込んでいるのよ!」
エリシアが耳をぴくりと震わせながら、慌ててシルヴィアに言い寄ろうとした。
その瞬間、「おぉ!エリシア殿!あなたは素晴らしい!」興奮したゾルタンが、まるで宝物を見つけた子供のように目を爛々と輝かせ、エリシアに話しかけてきた。
「マナの痕跡を物理的に可視化するとは!これはまさに文書鑑定の歴史に残る大発見です! 是非とも、今後のわたくしの研究に協力していただけませんか? あなたの力があれば、この世界の文書研究は飛躍的に進む! さぁ、私と一緒に目くるめく文書鑑定の世界に飛び込みましょうぞ!」
ゾルタンは熱弁をふるいながら、エリシアにぐいぐいとまとわりつく。エリシアがそれを躱そうと身を翻した隙に、シルヴィアが再び俺に声を掛けてきた。
「ソーマさん。まあ、そういうわけですので、エリシアをよろしくおねがいしますね。もし今後、王都にいらっしゃることがあれば、是非わたくしをお訪ねください。エリシアの新しいお友達として、レティシア殿下もきっとあなたに興味を持たれるでしょう。ご紹介させていただきますわ」
王女様へのご紹介……!? 思わず、心臓が跳ねた。
この国の、それも第二王女。自分のような庶民、それも異邦人が、そんな高位の存在に易々と近付けるなど、夢にも思っていなかった。
だが、すぐに思考が切り替わる。
(待てよ。王女様って、この国の最高権力者に限りなく近い存在じゃないか。今後のことを考えれば、これほど強力な後ろ盾はない。この世界で不動産業をやるにしても、他の商売をするにしても、王家と繋がりを持つことは、計り知れないメリットがある……!)
計算高い考えが頭を駆け巡る一方で、シルヴィアの申し出が純粋な親切心からくるものなのか、それとも何か別の思惑があるのかは、まだ読めない。しかし、この機会を逃す手はないだろう。
俺は表情を引き締めて、シルヴィアに答えた。
「ありがとうございます、シルヴィアさん。もし王都に行く機会がありましたら、是非、ご挨拶に寄らせていただきます」
「お待ちしていますわ」
そう言って、シルヴィアは意味深な視線を俺に向け、軽く会釈をして伯爵のところへと戻っていった。
***
領主館を出ると、外の新鮮な空気が疲れた体に染み渡った。
「いやはや、素晴らしい審問でしたな! 特にエリシア殿の能力、いやはや、想像を絶する……!」
ゾルタンは興奮冷めやらぬ様子でまくし立てている。
「ゾルタンさん、今日は本当に助かりました。ありがとうございました」
俺は心から礼を言った。
「何を仰いますか、ソーマ殿! 素晴らしい研究成果に立ち会えたのはわたくしの方こそ僥倖! これは、今後ますます文書鑑定の世界も奥が深まりますぞ! では、わたくしは一度、今日の成果をまとめるとします。今後とも、なにかあれば是非お声がけくだされ!」
そう言って、ゾルタンは名残惜しそうにしながらも、小走りに街の方向へと戻っていった。
ゾルタンと別れ、三人で並んで歩き出す。
(そういえば、ユージンにもちゃんと御礼を言わないとな。ゾルタンさんを寄こしてくれなければ、今日の審問であれほど強力な証拠を提示することも難しかった)
帰りの道のりは、来た時よりも心なしか明るく見えた。不安に満ちていた往路とは違い、空気が軽く、足取りも弾むようだ。
ローデンブルグの街並みが、穏やかな日常を取り戻したように感じられた。
白樫亭の前に到着すると、待ちわびていたフィオナ、レナやエディ、カイル、コール、エレノアたち、皆が一斉に駆け寄ってきた。
不安げな顔をしていた彼らは、俺たちが無事に、そして晴れやかな顔で戻ってきたのを見て、すぐに状況を察した。
「アメリアさん!どうでした!?」
カイルが一番に駆け寄り、興奮気味に尋ねる。
アメリアは、再び目に涙を浮かべながら、それでも力強く答えた。
「勝ちました!白樫亭は……守られたわ!」
その言葉に、皆が歓声を上げた!
フィオナは「お母さん!」と叫んでアメリアに抱きつき、おいおいと泣き始めた。
レナたちも、喜びを分かち合い、俺やエリシアに感謝の言葉を述べる。
賑やかな歓喜の輪の外で、俺は一人静かに皆の様子を眺めていた。
(俺は、どうしてこの世界に呼ばれたんだ? 俺の『視る』力――ランド・オラクルとは、一体何なんだ?)
そんな疑問が頭をよぎる。しかし、今はそれらを考えるよりも、白樫亭を守れたという事実に心が満たされていた。
アメリアがフィオナを抱きしめながら、亡き夫ルーカスの話をしているのが聞こえてくる。
「白樫亭を、ルーカスが守りたかったこの場所を、ようやく自分たちの手で守り抜いたのよ……」
「さあ、営業再開!これから忙しくなるわよ!」
レナが、張り切った声で言う。
そうだ、白樫亭の再建はまだ道半ばだ。温泉は復活した。宿も活気を取り戻しつつある。だが、まだまだ、整えなければならない事がたくさんある。
湯上りにゆっくり休める場所が欲しいな。
そうだ、せっかくだし、日本の温泉宿みたいに浴衣を取り入れたら喜ばれるんじゃないか? 日帰り入浴とかも、ありかもしれない。
白樫亭を守り抜いたという勝利と、これから始まる再建への希望、そして大切な人々と分かち合う幸せな余韻が、俺の心を温かく包み込んでいた。
ご覧いただきありがとうございました。
今回引用させていただいたお釈迦様の言葉「三つのものは、長く隠しておくことはできない。太陽と、月と、そして真実である。」は、どんなに隠蔽しようとしても、真実は必ず明らかになるという普遍の理を説いています。
長らく投稿を続けてきました、第一部「土地所有権の真贋」も本話を以って、一応の決着を見た形です。
明日、第一部のエピローグ的なエピソードを投稿して、第一部が完結します。
この物語が「面白い!」と思っていただけたら、作品の評価★を是非宜しくお願いします。また、感想をいただけると嬉しいです。




