#36-2 「この世には、誰もが見ているのに、誰も気づかない“明白な事柄”が溢れている。」— アーサー・コナン・ドイル
――これだ。俺たちが白樫亭の復興作戦の折、せっせと情報を書いては消し、書いては消し、していたランド・マップ。
その時、使っていた『魔力を加えて書くことで、後からその痕跡を消せる特殊なインク』。
この世界には全ての物にマナが宿る。正規のインクで書かれた文字も然り。だが、偽造犯は、正規の記録の上にこの『消せるインク』で嘘を書き加え、後から証拠を隠滅するために強い魔力を流し込んだ。
隠蔽しようとした『力』が、紙の繊維にインクを通して、より強く、より濃いマナの痕跡を刻み込んだのだ。
皮肉なことに、その『消す』ための強いマナこそが、エリシアの地脈魔法によって、こうして濃く深い緑の『偽りの痕跡』として、物理的に暴き出された。
伯爵は、目の前で起こった信じがたい現象、正規の痕跡と偽造の痕跡が色の濃淡として物理的に転写・可視化された証拠に、明白な衝撃を受け、言葉を失っていた。
魔法の原理を知るはずのシルヴィアも、そしてエベラールもまた、この現象が持つ意味の重大さに、真剣な、そして驚愕の表情を浮かべている。
対照的に、グスタフとヴィクトールは、完全に顔色を失い、ただ立ち尽くしていた。
文書に刻まれた魔力的な痕跡が、エリシアの地脈魔法によって、このような誰の目にも明らかな物理的証拠として暴かれることなど、奴らの知識の範疇を超えていた。
隠蔽のための工作が、逆に偽造の痕跡を濃くするという現象を、全く想定していなかったに違いない。
俺は、机の上の羊皮紙に浮かび上がった、濃く深い緑の「嘘の痕跡」を指差し、審問官たちに向き直る。 心臓が高鳴っているが、声は不思議と落ち着いていた。
まるで、あの頃、幾度となく経験した、決定的なクロージングの瞬間だ!
相手のあらゆる注文や反論を封じ、こちらの提示する「条件」――この場合は文書に刻まれた物理的な証拠――を受け入れさせる。
これまでの情報収集、戦略立て、相手の疑念を一つずつ払拭してきた全てが、この一点に集約される。ここで、一気に契約(=勝利)へと導く。
「これが――グスタフ氏らの『白樫亭の土地が王家の所有である』という主張が、偽りであることの、動かぬ証拠です」
俺の声は、静かながらも、勝利を確信する圧倒的な力に満ちていた。
「この紙に転写された二種類の痕跡を見てください。淡い緑の文字と紋様は、この文書が六十八年前に作成された際に、正規の記録として残したマナの痕跡です。そして、この濃く深い緑の痕跡。これこそが、正規の記録にはない、『重ねられた嘘』が残したマナの履歴です」
俺は、転写された羊皮紙上の、濃い緑の痕跡が示す、不自然な地番コードの部分を指し示す。
「先ほどゾルタンさんが解説し、エリシアの魔法が可視化した通り、これは偽造者が特殊なインクを用いて、この文書に後から情報を書き加えようとした、その行為そのものが紙に残した、物理的な証拠です。この濃く深い緑の痕跡が示す地番コードによって、この文書が白樫亭の土地を指し示すように改竄されています」
一拍置く。その言葉に、グスタフの顔色が一層失われた。
「しかし、この偽造によって加えられた部分を『無かったことにして』、正規の、淡い緑の痕跡が示すコードのみを読み取ると——この文書が本来指し示していた場所が浮かび上がります」
俺は羊皮紙に浮かび上がった淡い緑の痕跡、その中でも特に地番を示す部分を示し、伯爵に問いかけた。
「伯爵閣下。この淡い緑の痕跡が示すコード、これは、ローデンブルグ領内のどこを指し示す場所になりますでしょうか?」
伯爵は転写された羊皮紙を覗き込み、その地番コードを確認する。そして、僅かに息を呑み、重々しく答えた。
「…これは、『|RODENBULUGU1-1』という地番だな。それは……まさしく、このローデンブルグ領主館の敷地を示すコードだ」
俺のランド・オラクル、エリシアの地脈魔法、そしてゾルタンの専門的な解析――三つの異なる視点から得られた情報は、疑いようのない一つの真実を示していた。
この文書の淡い緑の痕跡が示す正規の記録には、『|RODENBULUGU1-1』という地番が記されていたのだ。それは、街の造りからみて、当時の地番表で、ここ領主館の敷地を示すコードに他ならない。
だが、その上に濃く深い緑の痕跡として浮かび上がった偽造の層によって、『5-378』という情報が継ぎ足されていた。
その結果、『|RODENBULUGU1-15-378』という、現在の白樫亭の地番を示すコードへと改竄されたのだ。
これは、俺がランド・オラクルで「情報の重ね貼り」として視ていた現象そのものだった。
そして、偽造の痕跡は地番だけではない。濃い緑の痕跡は、王家封印にも及んでいた。これを偽造した者は、原本の封印を一度解き、その後で元の封印そっくりに再封印を試みたのだろう。
だが、ゾルタンの解析が暴いたように、偽造犯は王家特有の特定の魔力定式を完全に模倣できず、決定的な触媒である星屑石の存在も知らなかった。その不完全さが、こうして物理的な痕跡として暴かれたのだ。
伯爵、エベラールは、眼前に示された証拠に衝撃を受け、僅かに息を呑んだ。グスタフとヴィクトールは、もはや反論の言葉を見つけられずに立ち尽くしている。
「伯爵閣下に伺います。領主館のような公的な建物を建築する際、たとえ貴族であっても、王都に建築許可の申請が必要であるかと存じますが、いかがでしょうか?」
俺は伯爵に問いかけた。伯爵は未だ転写された紙に視線を落としていたが、俺の声に顔を上げる。
「もちろんだ。私邸ならともかく、領主館は王国の重要な拠点となる建物だからな。王都のしかるべき機関の建築許可なくして建てることはできない」
エベラールも落ち着いた声で補足する。
「そのとおりです。特に大規模な建築は厳格な審査が伴います」
「ありがとうございます。もし、この領主館が建つ場所が、伯爵閣下にローデンブルグ地方が新恩給与された五十年前の時点で、伯爵家の領地に含まれていなかったとすれば、王都から建築許可が下りるはずがありません。王家がその土地を保持し続ける意図があったならば、他家の領主館の建設など許可するはずがないのです」
声に力がこもる。
「これは、グスタフ氏らが示す『王家が湯治療養院計画地として土地を保持し続けている』という主張と、ローデンブルグ領主館が五十年前から物理的にここに建ち続けているという事実との、決定的な矛盾を示しています」
俺はグスタフとヴィクトールに視線を移す。
「湯治療養院は、当時の計画として立案されたのかもしれません。しかし、五十年前には、その計画はすでに撤回されており、この土地は伯爵家の領地に組み込まれていた――そう考えるのが、領主館がここに建つ理由として最も自然であり、歴史的事実と合致します」
「皆さんが今、この目で視た『濃く深い緑の嘘の痕跡』。そしてそれが暴き出した、この文書が本来指し示していた場所が領主館の敷地であるという事実——これらが証明するのは、真実の歴史と物理的事実を踏みにじり、白樫亭から全てを奪おうとする、グスタフ氏の偽りであり、不正な意図に他なりません」
グスタフとヴィクトールに視線を移す。奴らは、もはや何も言い返せない様子だった。顔色を完全に失い、ただ呆然と立ち尽くしている。
審問の空気は、完全に一変していた。ほんの数分前まで、奴らの論理と権威の前に追い詰められ、俺たちは絶体絶命の窮地に立たされていた。
ここは、グスタフの、ヴィクトールの、そして王家の権威という「敵の牙城」だった。だが、俺がランド・オラクルで掴んだ真実の糸口、異世界ならではの魔法技術、そしてこの世界の仕組みへの理解を組み合わせた、起死回生の一撃が、それを打ち砕いた。
それはまさに、地道な調査と確固たる事実を元に、どんな難解な案件もひっくり返してきた、元不動産屋としてのクロージングだった。
異世界らくし、最後は魔法がその決定的な「証拠」の役割を果たした。だが、本質は同じだ。確固たる物理的な証拠が、全ての嘘を無効にする。
勝負はまだ決していない。奴らがこの状況をどう覆そうとしてくるかは分からない。
だが、この瞬間、審問の流れは、明確に、そして不可逆的に、こちら側に傾いたのを肌で感じていた。
ご覧いただきありがとうございました。
「この世には、誰もが見ているのに、誰も気づかない“明白な事柄”が溢れている。」――これはアーサー・コナン・ドイル作『バスカヴィル家の犬』の中で、名探偵シャーロック・ホームズが述べた言葉です。真実は目の前にあるにもかかわらず、見過ごされがちであることを示唆します。
本話では、ソーマが「視え方」で察知した文書の「歪み」を、エリシアの地脈魔法が物理的な痕跡として可視化しました。誰も気づかなかった「明白な事柄」が暴かれ、偽造の決定的な証拠として提示された瞬間は、まさにこの言葉を体現しています。




