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#33-1 「すべてのものは、ある形相によってそれとして存在するのであり、その形相こそが本質である。」 — アリストテレス

 グランツ商会を後にした俺は、張り詰めた空気を感じながら白樫亭へと戻った。


 ユージンは必要な協力はしてくれるだろう。だが、彼が融資のリスクに言及したことは、グスタフの陰謀を阻止できなかった場合の破滅を示唆していた。


 白樫亭を守ることは、単なる所有権の問題だけではなく、アメリアたち母娘の生活に直結している。その重圧が、俺の肩にずしりとのしかかる。


 白樫亭に戻ると、皆は遅い時間にも関わらず、それぞれの持ち場で作業を続けていた。サロンには、アメリアたちが集まり、ルーカスさんの遺品や、倉庫の奥から運び出された古い文書や帳簿の山と格闘している。


 埃っぽい紙の束の中から、白樫亭の長い歴史を物語る断片を探し出す作業は、根気と集中力を要求されるだろう。


「ソーマさん、おかえりなさい

 フィオナが、帳簿から顔を上げて俺に声をかける。

 彼女の顔は疲れているが、瞳には力強い光が宿っていた。


「進んでる?」

「はい。お父さんの手書きの帳簿や、古い税金の領収書がたくさん出てきました。それと、これ、白樫亭が出来た当時のものと思われる日付が入っています。この頃からずっと、この場所で宿として営業していたことを証明できます」


 フィオナが差し出した。茶色く変色した紙切れには、崩れた文字で七十年前の日付と金額、そして「エヴァレット」の名が記されている。グスタフの主張と真っ向から矛盾する“継続的利用の実績”という揺るぎない証拠だ。


「それに、この修繕記録も見てください」

アメリアが、別の分厚い綴りを見せる。


「当時の公的な書類の控えもいくつか見つかりました。地番表記や開発当時の区画分けについて。……ルーカスやお義父さん達が、こんな古いものまで大事に取っておいてくれたなんて。まるで、いつかこんな日が来ることを知っていたみたいに……」


 その言葉には、亡き夫への追慕と感謝が滲んでいた。フィオナは母の横で、黙って頷いている。彼女もまた、宿の歴史の重みと、それを守る責任を静かに受け止めているようだった。


 別の一室では、カイルたちが、外から戻ってきたばかりの様子で、肩を落としていた。

 彼らは、冒険者ギルドや商人たちの間を駆け回り、文書そのものに残された“時間的な矛盾”――例えば、インクや紙の組成、封印の魔力残滓などを鑑定できる専門家を探していたが、成果は上がっていなかった。


「やはり、簡単には見つからないな。文書鑑定なんて、ほとんどが王都の役人か、大貴族、あとはギルドの専属らしい。おいそれと、俺たちみたいな一見さんの依頼なんて受けてくれないし、何より『揉め事』への関与を嫌がるしな」

 カイルが悔しそうに言う。


「それに、仮に見つかっても、本当に中立な立場で鑑定してくれるかどうかが問題だわ。グスタフの背後には不動産ギルドがいる。迂闊な鑑定を出せば、後で何をされるか……」

 エレノアが神妙な顔で付け加えた。


 ユージンが商業ギルドのコネクションを使って、不動産ギルドの息のかかっていない鑑定人を探してくれるというが、どうなるかわからない。専門家の証言を得るハードルは、想像以上に高かった。


「くそっ…結局、俺たちにできることなんて、こんなもんか…」


 カイルが俯きそうになったその時、コールが無言で彼の肩に手を置いた。そして、力強く一度、頷く。カイルはコールの目を見て、小さく息を吐き出した。


「…ああ、そうだな。俺たちは、俺たちにできることをやるだけだ」


 彼の顔に再び、諦めではない、泥臭くても粘り強く戦う冒険者としての決意が戻った。



     ***



 刻々と時間が過ぎ、七日間の期限が迫る中、皆の間に疲労と同時に、言いようのない緊張感が漂い始めている。

 静けさの中に、張り詰めた糸がピンと張られたような感覚。



 白樫亭の温泉が復活して間もなく、俺とエリシアは密かに相談を重ねていた。


 伯爵家の御用亭となった白樫亭に対するグスタフの反応は、明らかに不自然だった。

 奴が何か企んでいるのは明白だったが、それは暴力ではない。そんなことをすれば、伯爵は御用亭とした白樫亭を全力で守るだろう。


 俺は、次に奴が仕掛けてくるとしたら、それは白樫亭の土地の登記に対してだと予想した。

 元の世界でも、登記の偽造や古文書偽造による土地所有権の詐取といった事件があった。ましてや、この国では土地の殆どが王族や貴族の所有であり、白樫亭のように庶民に土地の所有権が与えられている事など稀だという。


 そして、不動産ギルドが大きな力を持つ。


 だが、白樫亭所有権に対する登記の正当性は揺るがしようがない。そのため、グスタフが登記による直接的な対抗が難しいと判断すれば、権力を使った圧力に訴えてくるだろうと踏んでいた。


 そんな状況を踏まえ、エリシアの提案で、レオンとリシェルに王都へと急ぎ向かってもらっていた。


 彼らは、王都で待機しつつ、エリシアからの連絡をランド・マップで受け取ると、すぐに渉りを付けて王都文書館を訪れ、今回のグスタフが提示してきた王家の湯治療養院計画が事実なのか、「嘘の痕跡」を探してくれていた。


 通常、ランド・マップの有効範囲はローデンブルグ領内程度に限定される。だが、エリシアが「これは、私たちルミナス家が普段の連絡に用いる、特別性なのよ」と得意げに語っていたように、彼女が特別に魔力を込めて強化したことで、遠く王都からの連絡も可能になっていたのだ。


 しかし、やつらは寄りにもよって王権を持ち出してきた——これには正直驚いている。不動産ギルドとは、この国ではそこまでの組織なのか。


 レオン達からの情報はなかなか届かず、俺とエリシアにも焦りが生まれてきたていた。

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