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#03 「土地は、万人に開かれるべきだ。」— ヘンリー・ジョージ

「間一髪だったな、おい!」


 力強い声が耳に飛び込んできた。

 俺は荒い息を整えながら顔を上げる。


 そこには、大柄な男が両手斧を構えて立っていた。

 肩で息をしながらも、その表情にはまだ戦闘の熱が宿っていた。


 その隣には、剣と盾を持った男。

 さらに、その後ろにはローブ姿の女性が控えていた。



(……パーティーってやつか)


 剣士の男が駆け寄り、険しい表情で俺を見る。


「おい、大丈夫か?」

「……ああ……なんとか……」


 痛みが全身に広がり、声がかすれる。

 呼吸をするたびに、傷口がずきりとうずいた。


「まずはこれを飲め!」


 差し出されたのは、小さな瓶に入った青い液体。

 半信半疑で受け取り、躊躇なく一気に飲み干した。


 瞬間、体の奥からじんわりと温かさが広がる。

 それは、横たわった地面から湧き上がってくるような、どこか遠くから流れ込むような不思議な温かさだった。


(……すげえ……この感じ……俺の中に何か流れてきたみたいだ…)


 傷口の痛みが引き、焼けるようだった傷跡が次第に落ち着いていく。

 まるで傷口そのものが存在しないかったかのように。


 だが、完全に治ったわけではない——鈍い違和感と共に痛みが残る。


「完全に治るまでは無理するな。後で街まで連れて帰ってやるからな」


 剣士の男がきっぱりと言う。


 その隣で、斧を担いでいた大柄な男がずいと俺の前に立った。


「っと、こりゃ歩くのも辛ぇだろ。俺が運んでやる」


 そう言うが早いか、俺の腕を掴むと——俺の体が宙に浮いた。


「ちょっ——」


 軽々と肩に担ぎ上げられたまま、少し広いところに移動した。



     ***



 森に静寂が戻った。

 踏み荒らされた地面や折れた枝が、激闘の余韻を色濃く残していた。


 魔物の亡骸が横たわり、血の染み込んだ土が、ついさっきまで命のやり取りが行われていたことを物語っている。


「……もう、大丈夫か?」


 剣士が俺を覗き込む。


(……そういえば、こいつらの言葉、普通に聞き取れるんだな)


 必死だったせいで気づかなかったが、彼らの話す言葉は日本語と変わらない。

 自動翻訳か、本当に同じ言語なのか——

 理由は分からないが、意思疎通ができることにホッとした。


「……なんとか、な」


 痛みをこらえながらそう答えると、剣士は安堵したように息をついた。


「悪いな、お前には借りができちまった」


 剣士の男が軽く頭を下げる。


「……借り?」


 聞き返すと、剣士はニッと笑った。


「お前がいなかったら、俺が死んでたかもしれない。助かったぜ」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 確かに、俺の叫びで、この男の命が助かったのは事実だ。

 でも——


(でも……あれは……)


 あの瞬間、俺の目には確かに魔物の攻撃の軌跡が浮かび上がった——ように見えた。

 それが何なのかは分からない。

 だが、これはただの偶然ではない気がした。


「まったく、お前、命知らずにもほどがあるぜ。あんな魔物に丸腰で突っ込むなんてよ」

「……突っ込んだわけじゃない」


 言い訳する気力もなく、俺はかすかに肩をすくめる。

 ただ、助けようとしただけだ。


「助けてくれて、ありがとう。おかげで死なずに済んだ」

「ははっ、こっちのセリフだよ。お前が叫んでくれなかったら、俺たちがやられてた」


 剣士の男は俺の肩を軽く叩くと、ようやく名乗った。


「俺はカイル。こいつはコールで、あっちの気の強そうなのがエレノア」

「誰が気が強いですって?」


 ローブ姿の女——エレノアがピクリと眉を動かした。

 その表情は冷ややかで、先ほど魔法を放っていた時の鋭さが残っている。


 俺は遅れて名乗ることにした。


「……相馬 直樹だ」

「ソーマ?」

相馬(そうま)だ」

()()()

「……ソーマでいい」


 微妙に違うが、ここは異世界だ、そんな些細なことを気にしている場合じゃない。


 俺が名乗ると、カイルは満足そうに頷いた。


「よし、これでお互い名乗ったな。で、ソーマ、お前何者なんだ?」


 予想していた質問だ。


 一瞬考えたが——


(……隠しても仕方ないか)


 腹をくくって答えた。


「日本って国では、不動産業者だった」

「ギョーシャ?」

「家や土地を売ったり貸したりする仕事だ」


 エレノアが鋭い視線を向けてくる。


「……あなた、不動産ギルドの職員?」

「不動産ギルド……?」


 初めて聞く単語だった。会社のようなものか? それとも……


 俺が知らないという反応を見せると、エレノアは訝しげに眉をひそめた。


「近くの街に不動産ギルドの支部があるわ。土地の取引をしてるなら、そこの関係者かと思ったけど」

「いや、違う。俺は、そこのギルドとやらの職員じゃない」

「……そうなの?」


 エレノアはじっと俺を観察するような目つきをし、まだ疑いを持っている様子だった。


(この世界にも、不動産を管理する組織があるのか)


 ギルドという名がつく以上、それなりに統制が取れた組織なのだろう。

 なら、土地の売買や賃貸の概念も確立されているはずだ。


「不動産ギルドってのは、どういう組織なんだ?」


 俺が尋ねると、それまで黙って話を聞いていたカイルが、不機嫌そうに腕を組んだ。


「チッ、あいつらのことか……!」


 舌打ちし、苛立たしげに言葉を吐き出す。


「土地を握って庶民から搾り取る連中さ。土地借りるには、奴らを通さなきゃならねぇ。好き勝手に値を釣り上げて、手数料だの管理費だのと理由をつけて金をむしり取る。土地を持てるのは貴族か、ギルドの息がかかった奴らだけ……要するに、この国の土地は、あいつらが牛耳っているんだ!」


「だから、普通の奴は好きに土地を持てねぇ。街で店を開くにも、住む家を借りるにも、全部ギルドの許可がいる。しかも、まともな場所を手に入れたけりゃ、賄賂を払うか、ギルドの機嫌を取るしかねぇんだよ」


 コールが低い声でぼそりと言う。その声には、静かな怒りが宿っていた。


「貴族や領主と関わってるってことか?」

「当然よ」


 エレノアが淡々とした口調で続ける。


「この国の土地は基本的に貴族や王族の所有。だから、誰に貸し出すか、どう利用するか——それをギルドが仲介することで、取引をスムーズにしてるわけ。でも、その実態はただの搾取よ」

「例えば?」

「商人が店を開こうとすれば、高額な契約金を払わされる。庶民が家を建てようとすれば、貴族やギルドの許可が必要になる。借金を抱えた商人なんかは、店ごと取り上げられて終わり……。ギルドが貴族と結託して、安く手に入れた建物を高値で転売することもあるわ」


 俺は言葉を失った。


 日本でも土地取引には金と権力が絡むが、ここまで露骨なものではなかった。

 生きるために必要な場所すら、完全に支配されているのか——。


「おかげでな、ギルドに逆らう商人なんてほとんどいねぇ。結局、みんな言いなりになるしかないんだよ」


 カイルの語気は強く、彼の不満がどれほどのものかが伝わってくる。

 コールも静かに頷いた。


「……ふざけるな」


 思わず呟いた声が、自分の中で驚くほど強い感情を帯びていた。


 ———この世界も、元の世界と同じか、それ以上に腐っている。


 土地を独占し、人々を好き勝手に振り回す。

 住む場所すら、金と権力で決められるなんて——そんなもの、あってたまるか。


「なんだ、怒ってんのか?」


 カイルが意外そうな顔をする。


「俺のいた世界の不動産業界も、そういう奴らばっかりだった。金に物を言わせて客を騙し、弱い立場の人間から搾り取る。だが……」


 俺は拳を強く握りしめた。


「俺はもう、そんな連中の手先にはならない」


 あの老夫婦の笑顔が、ふと脳裏に浮かんだ。

 駅近リフォーム済み、利回り12%。

 けれど実態は、築四十八年、雨漏りとシロアリのオンボロ物件だった。


 “資産を残したい”と願ったその気持ちごと、俺は数字に変えて売ろうとした。


 あのときと、この世界に生きる人々は何も違わない。

 土地を得るために頭を下げ、搾り取られ、声も上げられない。


 俺は、ずっと見て見ぬふりをしてきた。

 でも、もう目を逸らさない。


 脇腹の傷が熱を持って疼いた。


 まるで、大地が俺の決意に呼応するように光の粒子を舞い上げた。


「俺が……この世界の不動産を、正してやる」


 俺は静かに、だが強く言い放った。


「土地は、人を縛るものじゃない。人が生きる場所なんだ!」


 カイルとエレノアが、驚いたように俺を見た。コールは、黙ったまま微かに頷いている。


 それは、かつてブラック企業で心をすり減らしていた頃、ふとネットで目にした言葉だった。

 十九世紀の経済思想家、ヘンリー・ジョージの主張だ。

 彼は、土地の独占こそが不平等と貧困の根本原因だと考え、「土地は万人に開かれるべきだ」と訴えた。貧しい者が希望を持てる社会のために、土地課税制度を提案し、実現しようとした男だ。


 “土地と正義”に向き合い続けた思想家。


 サラリーマンの俺には、何の力もなかった。

 けれど、あの言葉だけは、確かに俺の中に残っていた。


 名言を口にする癖は、理不尽な上司に耐えながら、せめて自分の考えだけは曲げまいと、深夜の事務所で手帳に書き留め続けた言葉の断片たちから生まれたものだった。


 誰にも認められなかった日々の中で、“正しい言葉”だけが、自分を見失わないための支えだった。


 言葉は、俺が何者であるかを証明する。

 どんな世界にいたとしても、それは変わらない。


 ——相馬 直樹。

 この異世界で、土地を正して一旗揚げる。


「土地は、万人に開かれるべきだ。」— ヘンリー・ジョージ


ご覧いただきありがとうございました。


本日のタイトルとして引用したヘンリー・ジョージの言葉は、土地の独占を批判し、誰もが平等に土地を利用できるべきだという思想を表しています。

今回のエピソードで、主人公は異世界における不動産ギルドによる土地支配と搾取の実態を目の当たりにし、強い憤りを感じます。そして、彼の過去とも繋がるこのヘンリー・ジョージの思想を思い出し、この世界の不動産を正す決意を固めました。


この「土地は、万人に開かれるべきだ。」という言葉が、この物語全体の重要なテーマであり、主人公ソーマの今後の行動原理となります。彼の挑戦がどのように展開するのか、ぜひ今後の物語にご期待ください。


「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ブックマークを是非宜しくお願いします。また、感想をいただけると執筆の励みになります。

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『浮浪者は百万長者にとっては、なくてはならない付随物である』(ヘンリー・ジョージ著『社会問題』より)。 おはこんにちばんは、読者Hです。通り名は気にしないで下さい。 放浪者とは、或いは……自己の欲求…
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