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#28 「与えよ、さらば与えられん。」— 『ルカによる福音書 」6章38節より

 領主館の中央階段広間には、未だ戦いの跡が残っていた。


 バジリスクの吐息で石化した騎士たちが、灰色の彫像のように横たわる。その身体に生気はなく、静寂だけが支配していた。


「始めます」エリシアが静かに告げ、騎士たちの前に立つ。


 シュトラウス伯爵、レオポルド、シグリット、そして多くの騎士たちが固唾を呑んで見守る。


 俺は少し離れた位置から、エリシアの動きを見つめていた。


 彼女はゆっくりと両手を組み、瞳を閉じる。

 ——その瞬間、広間の空気が変わった。


 二人はまだ生きている。マナの流れは止まっているが、完全に失われたわけではない。ただ、このままでは——やがて体内のマナは枯れ、死へと至るという。


(まだ間に合う)


 エリシアが魔力をマナの領域へと送り込む。

 微細な光が広間の床に広がり、やがて騎士たちの身体を包み込んでいった。


「Tutela Terrae, vim impedītam lībera《大地の加護よ、滞りし力を解き放て》——」


 静かな声と共に、石の表面に細かな亀裂が走る。次第に広がり、石の層が剥がれ落ちていく。


やがて——。


「う……ぐっ……!」 

「っ! 俺は……?」

 騎士たちは目を開き、自分の身に起こった変化を理解しようとする。


「おお、目覚めた!」 レオポルドが安堵の声を上げ、駆け寄った。


「レオポルド様……俺たちは……」

「バジリスクの吐く息で石化していた。だが、エリシア様が救ってくださったのだ」


 騎士たちはまだ混乱していたが、驚きと安堵の表情を浮かべた。そして、エリシアを見て、「助けていただき、感謝いたします……!」とすぐに膝をつき、深々と頭を下げた。


「お礼は不要です。あなた方も共に戦ってくれたからこそ、バジリスクを討伐できたのです」


 周囲の騎士たちも、その奇跡を目の当たりにして感嘆の声を上げた。

「本当に、石化が解けた……!」

「これがルミナスの力……」


 シュトラウス伯爵は深く息をつき、エリシアを見つめた。その眼差しには、驚きと共に何かを確かめようとする色が宿っていた。


「エリシア様、貴方には感謝してもしきれぬ」

「礼には及びません、伯爵。当然のことをしたまでです」


 エリシアは穏やかに微笑んだ。

 伯爵は頷き、石化から解放された騎士たちの様子を確認すると、わずかに表情を和らげた。



     ***



 「伯爵、次は貴方とユリウス様です」

 エリシアが静かに告げる。


「これから、お二人の呪いを解きます」

「おぉ……!」


 伯爵は驚きと感激が入り混じった声を上げ、長年の重荷が取り払われるのを予感したような表情を浮かべた。


 俺たちはすぐにユリウスの寝室へ移動した。部屋は静まり返り、厚いカーテンが光を遮っている。

 ベッドに横たわる少年はやつれきっていた。顔は青白く、生気がまるで感じられない。


 俺は息を呑み、ランド・オラクルを発動する。

――――

 ユリウスと伯爵の体内のマナ。

 それは異常にゆっくりとした動きだった。

 まるで凍りつく寸前の川の流れのように。

――――

 ……これが呪いの影響か。


「伯爵、こちらへ」

 エリシアが手招きし、伯爵をベッドの傍に座るよう促す。


 伯爵はベッドの端に腰を下ろすと、息子の手を取り、じっと見つめた。


 エリシアは瞳を閉じ、ゆっくりと両手を重ねた。


「Maasuoni, puhdista seisokki ja palauta oikea virta!《地脈よ、澱みを払い、正しき流れを取り戻せ》」


 彼女の言葉とともに、淡い光が床から広がり、ユリウスと伯爵の体を包み込んだ。


 ベッドに横たわるユリウスが、微かに震えた。


 やがて——。


 少年の顔に、赤みが戻る。浅かった呼吸が、少しずつ深くなる。


「ユリウス……!」 伯爵が思わず息子の名前を呼んだ。


 伯爵自身の顔色も良くなっている。動揺したように自分の手を握りしめると、驚いた顔で俺たちを見た。


「……楽だ。呼吸が、軽い……!」


 俺はランド・オラクルで再び視た——今度は違う。

 伯爵と息子のマナの流れは、他の人と同じく正常に戻っていた。


「伯爵とご子息の呪いは解けました エリシアが静かに告げる。

「今後は安静にしながらも、栄養をしっかり摂ってください」


 伯爵はしばらく息子の顔を見つめ、深く息をついた。

「エリシア様、シュトラウス家は貴方様への御恩を決して忘れません。今後、何かあれば遠慮なくお申し付けください。できる限りお応えいたします」


 伯爵は背筋を伸ばし、エリシアに深く一礼した。


「頭を上げてください、伯爵」

 エリシアは柔らかく微笑む。


「私は、貴族として、そしてルミナスの者として、当然のことをしたまでです。御礼には及びません。ただ……ここにいるソーマは貴族ではありません。彼に対しては、ぜひ報いてあげてください」

「おぉ、エリシア様のお心遣い、痛み入ります」


 伯爵は目を瞬かせ、俺の方へ向き直る。


「ソーマ殿、何か望むことがあれば遠慮なく言ってくれ。できることであれば、力になろう」


 これは……いい流れだ。俺は軽く息を整え、言葉を選ぶ。


「では、一つお願いがあります」 そう前置きし、白樫亭に対する不動産ギルドの強硬な立ち退き要求について説明した。


 伯爵の表情が険しくなる。

「……なるほど。不動産ギルドが、そこまで強硬な態度を取っていたとはな」


 伯爵はしばらく腕を組んで考え込むと、ゆっくりと息をついた。


「恩人の頼みだ。何とかしてやりたい。しかし……領主として、この領内における不動産ギルドの影響を無視するわけにはいかん。私が体調を崩し始めて五年、このローデンブルグはすっかりギルドに頼ることとなってしまった。今や、彼らの機嫌を損ねることは、領地経営にも響く」


 やっぱり、そこか。 俺は内心で溜め息をつきかけた。伯爵の立場を考えれば当然の話だ。ギルドとの関係が悪化すれば、ローデンブルグの経済に支障をきたしかねない。


 そんな俺の考えを見透かしたように、エリシアが口を開いた。


「伯爵。では、不動産ギルドとの軋轢を生まずに、伯爵家の名を掲げる方法があれば?」


 伯爵が目を細める。「……ほう?」


 興味を引かれたのが明らかだった。俺もエリシアを見た。


 また何か考えてるな……。


 エリシアは少し間を置き、ゆっくりと続けた。


「伯爵も殿下も、まだ万全とは言えません。そんな中、ある場所が復活し、再び利用できるようになるのをご存知でしょうか?」


 伯爵が眉をひそめる。「……どこだ?」


 エリシアはちらりと俺を見る。促されるように、俺は口を開いた。

「白樫亭の温泉です」


 その瞬間、伯爵の表情が変わった。驚き、そして強い関心が滲む。

「温泉が……?」


「はい。長い間枯れていましたが、再び湧き出しました」


 俺が告げると、エリシアが再び言葉を続けた。


「伯爵も湯治という言葉をご存じですよね?」

「もちろんだ。温泉には疲れを癒すだけでなく、怪我や病気にも効果があると、かつては遠くの地からも白樫亭へ訪れる者がいたものだ」

「そうです。ですが、温泉の本当の効能についてはあまり知られていません」

「本当の効能……?」


 伯爵が僅かに前のめりになる。

 エリシアはゆっくりと頷いた。


「白樫亭の温泉には、豊かなマナが溶け込んでいます。温泉の効果とは、体内のマナを回復させること。それによって、自然治癒力が高まり、怪我や病気が治りやすくなるのです」

「……なるほど。マナを回復させる効果、か」

「伯爵やユリウス様がもし定期的に湯治をされれば、より早く回復できるはずです」


 俺は心の中でガッツポーズを取る。ナイスアシスト!


 伯爵はしばし黙考し——そして、静かに頷いた。


「……確かに、療養には適しているだろう……。そうだな、であれば、白樫亭にシュトラウス伯爵家“御用亭”の商号を与えるというのはどうだろうか?」


 場が静まり返る。


「本当に……?」俺が思わず問い返すと、伯爵は微かに微笑む。


「当然だ。領主として、温泉の効能を確認するのも務めだからな」


 ——よし、これで白樫亭は領主のお墨付きをもらった。まさか、こんなに上手くいくとは。


 エリシアを見ると、彼女は穏やかに微笑んでいた。


 こうして、白樫亭の未来は決まった。


ご覧いただきありがとうございました。


今回の名言「与えよ、さらば与えられん」は、新約聖書ルカによる福音書からの引用であり、与えることで見返りが得られるという相互扶助の精神を示唆しています。まさに本話で、エリシアと相馬がシュトラウス伯爵を助けたことで、白樫亭が伯爵家の「御用亭」という形で報われる結果となりました。この相互の関係が、今後の物語にも深く影響していきます。


物語はまだまだ続きます!

「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークを是非宜しくお願いします。

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