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#27 「失われていたものが見つかったのだ」— 『ルカによる福音書』15章32節より

「……ここだったな」


 呟きが、湿った石の空気に溶けていく。

 瓦礫は崩れ、通路は開いていた。まるでバジリスクの暴走が、先へ進めと言っているかのように。


「お願い土精霊ノームたち」


 崩れた地点まできたところで、リシェルが、呪文を唱え、石が剥がれむき出しになった土壁にそっと語り掛ける。通路のあちこちが胎動し、崩れかけた天井と壁を、そっと支えていった。


「応急ですが、これでしばらくは保ちます」


 魔法で補強された通路を抜けると、視界が一気に広がる。直径十メートルほどの円形の空間。東西南北、四方へと地下道が伸びていた。


「……ここね」


 エリシアが立ち止まり、わずかに目を細める。


 他の通路と同じ石造りのはずなのに、どこかが違う。明かりが届かぬはずの壁面が、うっすらと白く浮き上がり、艶を失った石肌は、まるで命を吸われたようだ。


「色が……抜けている」


「この感触、石化された二人と、同じ気配だな」

 レオンが壁に触れ、低く呟く。


「ええ。バジリスクの吐息ブレスが、ここ一帯を呑み込んだのよ」

 エリシアの声が、空間の静寂に深く響いた。


「でも……石なのに、石化するのか?」


「石にも、マナは流れている。大地の脈のように」

 エリシアの指先が壁をなぞる。


「けれど……この石には、もう流れが感じられない。ブレスは、おそらくマナそのものを封じる力を持っているわ」


 足元に、ぬるりとした水の気配。壁の隙間から絶え間なく滴る水が、空間に広がっていた。


「……この水、マナを帯びているな」


 レオンが水をすくい上げると、リシェルが水溜りにそっと指を沈めた。


「……この水、静かに脈打ってる。…マナだけじゃない、何か……」

 その指先に、ほんのわずかに緑の光が灯る。


「生き物の呼吸に、少し似ているように感じる」


「……お前、よくそんな風に感じ取れるな」

 その様子を眺めるレオンに対して、リシェルは、少しだけ得意そうに笑った。


「ええ。確かに、マナを感じる」

 エリシアの手が水に触れた瞬間、小さく波紋が揺れた。


「これ……温泉か?」 俺が問うと、「そう」エリシアは静かに頷いた。


「この壁の向こうの、その上。ちょうど白樫亭の敷地にあたるわ」


 そして、俺の方を振り返る。


「ソーマ。貴方のランド・オラクルなら、この奥の源泉がどうなっているか、見えるはずよ」


 俺は、バジリスクが巣食っていた地下道の交差点に立ち、静かに壁へと手を当てた。指先から微かな感覚が広がり、視界が変化する。


 ランド・オラクル——。


 目の前の風景が歪み。

 まるで薄い膜を通して世界を見ているような感覚に陥る。


 淡く光るマナの流れが、地下道の壁、そして地中深くに絡み合いながら通っている……はずだった。 しかし、何も見えない。

 目を足元に向けると……そこに溜まる水。そこから光の粒子が湯気のように立ち上る。その湯気の中に映像が浮かび上がった。


「これは…温泉のマナに蓄えられた記憶だ」

 湯気の粒が揺らめき、記憶のように像を結んでいく。


「地下道……誰か来た!」

――――

 一人の男が歩いてくる。手に提げた籠。

 その中に、蠢く小さな影。

 バジリスク!


 男の顔が、ちらと横を向く。

 その横顔には、見覚えがあった。

―――—

「……あいつだ。グスタフ・ハインリッヒ。不動産ギルド、ローデンブルグ支部長……」


 籠から放たれたバジリスクは、地を這い、静かに姿を消した。



 映像はそのまま、時間を早回しのように進む。

―――—

 バジリスクが地下道に棲みつき、鼠を狩り、壁際を徘徊し続ける。

 そして、ある時、崩れる天井。

 瓦礫に閉じ込められたその場所から、壁に亀裂が走った。


 滲み出す、温かな水。

 やがてその水を飲んだバジリスクは、変わり始める。

 体躯が膨らみ、恐るべきスピードで成長していく。

―――—

「……温泉のマナを吸収して……力を……」



 映像はさらに続く。

―――—

 バジリスクの石化の息が空間を満たし、壁を染め、床を這う。

 それは空気だけでなく、土壌へ、そして地下深くまで、染み込んでいく。

 地脈へ——。


 源泉の口が、徐々に硬化していく。

 通り道が、音もなく塞がれていく。

―――—

「……流れが、変わった」



 視界が切れた。

 現実に引き戻される感覚。俺は、ゆっくりと目を開けた。


「わかった。……白樫亭の温泉が枯れた原因は、不動産ギルドだ」


 エリシアが静かに顔を上げた。


「グスタフが、バジリスクをこの地下道に放った。崩落で閉じ込められたバジリスクは、温泉のマナを吸収しながら成長した。結果……」


 俺は壁に触れ、確かめる。冷たいはずの石からは、その温度さえも感じられない。


「……あいつの石化の力が、異常に強くなった」


 俺は、石化して白けた壁を軽く叩いた。「カッン」石にしては異様に軽い音が響く


「それだけじゃない。バジリスクの影響は、石化だけじゃなかった。地脈のマナの流れまでも、完全に……止めた」

「マナの流れが……止まっている?」


 レオンの声が、沈黙の空間に溶ける。


 エリシアは壁に手を当てたまま、しばらく動かなかった。


「……確かにそう感じるわ。でも……」


 彼女の声には、いつもの確信ではなく、探るような揺らぎがあった。


「バジリスクには石化の能力があることは、それなりに知られてはいるの。でも、それが“何にどう作用しているか”までは、ほとんど分かっていなかった」

「……それってつまり?」


 エリシアは壁から手を離し、指先を見つめる。


「ここまで……、地脈にまで影響が及ぶほどの石化能力だなんて、聞いたことがない。ましてや、この辺り一帯の大地のマナが完全に沈黙しているなんて……」

「……普通じゃないってことか」

「ええ。あの個体は——」


 エリシアは床に目を落とす。その先、ぬるく濡れた石の隙間から、水が細く染み出していた。


「長くこの場所に留まり、温泉のマナを吸収し続けた結果……あの個体は、影響されて変異した」

「異常個体、ってやつか……」

「ええ。ここには、その痕跡が残っているわ」


 エリシアの視線が、壁から床へ、そして空間全体を見渡すように動いた。


「バジリスクがどのようにマナに干渉したのか。それを知る手がかりが、この場所にあるはず」

「……じゃあ、ここで何かが分かれば……石化された二人も?」


 リシェルが小さく問いかける。

 エリシアは一度、視線を壁から外し、足元に染み出す温い水を見つめた。


「まだ確かなことは言えないわ。だけど——ここで起きたことを見れば、何かに辿り着ける気がするの」 


「仮説……?」 俺が問い返すと、彼女はわずかに頷いた。


「この空間で何があったのか、それを知ることで、石化の本質にも近づけるかもしれない……」

 エリシアの視線が、再び白く乾いた壁に戻った。


「そしてそれが、周囲のマナの流れ——地脈にまで影響を及ぼした。ここにある沈黙は、“死”ではなく、強制的な“停止”。そう思える」


「でも……それを戻す方法なんてあるのか?」

「地脈魔法で刺激を与えれば、もしかしたらマナの流れを呼び戻せるかもしれない」

「……刺激を?」

「ええ。地脈は世界を巡るマナの血管。その流れを揺り動かす術……。私は、まだ“石化”の正体を掴めていない。だからこそ、この沈黙が、地脈魔法によってどう反応するのか……見ておきたいの」


 彼女はゆっくりと俺に向き直る。


「そしてそれは、温泉も同じ。……マナの流れさえ戻れば、きっとまた湧き出す」

「戻せるのか?」


 問いかけた俺に、エリシアは迷いなく頷いた。


「地脈が“死んだ”んじゃない。“眠っている”だけなら、刺激を与えれば、目を覚ますはず。バジリスクの動きを封じたときに使った術の逆よ」

「……あれか」


 あの時、光と静寂に包まれた魔法を思い出す。


「地脈魔法は、マナそのものに干渉する。通常の魔法とは違う。術者や精霊のマナではなく、大地の力を直接揺り動かす」

「つまり——術者の魔力で起こす魔術とも、精霊の力を借りる精霊魔法とも違う。根源的なエネルギーへの直接的な干渉……か」


 俺は壁を見やりながら、静かに言う。


「それができるなら……白樫亭の温泉も、復活させられるってことだな?」

「ええ。もちろんよ」


 その言葉のあと、エリシアはポーチから薄茶色の羊皮紙を取り出した。筆先が、滑るように文字を走らせる。静かな空間に、筆音だけが響いていた。


 “温泉を復活させる。準備して”


 地脈を通じて、対になる紙にその言葉が浮かぶ。

 この言葉は、白樫亭にいるアメリアたちに、確かに届いているはずだ。


 筆を置いたエリシアが、腰を落とし、両膝を床につけた。

 そのすぐ隣で、リシェルも静かに跪く。


「魔力の流れを整えます」


 握った指先に淡く緑の光が宿り、小さな風の精霊がふわりと降り立つ。

「……お願い、アイリス」 精霊の名を囁いたその声には、慎ましくも真摯な響きがあった。


 風が、詠唱のための空間を整えるように流れ、魔力の澱を優しく払いのけていく。


「始めるわ」


 エリシアの声は、確信というより祈りに近い静けさを帯びていた。

 指先がそっと地面に触れる。まるで眠っているものを、傷つけぬように揺り起こすような、慎重な手つきで。


「Terra, Venae Tuae Evocentur! Fluat Cursus! Sit Lux Nova Regno…‥」


 深く集中し、指先から微かな熱が地面に伝わっていくのが見えた。

 低く、澄んだ詠唱が空間に溶けていく——


 そして——空気が変わった。空気の粒がわずかに震え、地下に淀んでいた気配が、ゆっくりと動き始める。


 淡く金色の光が、エリシアの身体を包み始める。派手ではない、指先からじわじわと地面に染み込んでいく、やさしい光。


「……地脈が、呼吸してるみたい」

 リシェルが呟く。


 エリシアの囁きが続く。

「マナよ……眠りから目覚めて。あなたの流れを、再びこの場所へ……」


 ——ゴゴゴ……

 遠く、地の底から唸るような音が響く。


 俺はランド・オラクルを起動させた。


 視界に、光の筋が浮かぶ。

 さっきまで死んだように沈黙していたマナの流れが、まるで目覚めのように、

 静かに、しかし確かに脈打ちはじめる。


「……すげぇ……」


 エリシアの額に、じわりと汗がにじむ。繊細で静かな魔法……地脈を目覚めさせるということが、どれほどの集中力と技量を要するかが伝わってくる。


 ——ボコ……ボコボコ……

 どこかで、水が動き出す音がした。


 沈黙していた温泉の胎動。

 最初は小さく、それが徐々に空間全体に響いていく。


「……音が……」 レオンが声を漏らす。


 次の瞬間—— ボゴォォォッ!!


 裂け目の奥から、勢いよく蒸気が噴き出した。それに続いて、熱を帯びた湯が流れ出す音が、地下に広がっていった。


「……成功よ」

 エリシアがそっと手を離した。


 立ち込める湯気の中で、壁の割れ目から湧き出す水が、確かに命を宿していた。


「やったな……!」

 俺の声が弾んだ。


 湯の香りとともに、長く閉ざされていた地の奥から、再び命の音が聞こえてくる。


 エリシアはゆっくりと立ち上がり、息を整えると、小さく微笑んだ。

「……これで、ひとつ、繋がったわね」


ご覧いただきありがとうございました。


「失われていたものが見つかったのだ」は、『ルカによる福音書』に記された放蕩息子のたとえ話の一節で、失われたものが取り戻される喜びを表します。本話では、枯れていた温泉が復活し、文字通り「失われたものが再び見つかる」展開となりました。主人公たちの奮闘により、白樫亭に活気が戻る一歩となったかと思います。


「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、作品の評価★、ブックマークを是非宜しくお願いします。

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