#22-2 「われわれが感覚で捉えるものは、真の実在の影でしかない。実在は、イデアとして知性によってのみ捉えうる。」— プラトン
「ソーマ?」
伯爵は眉をひそめ、俺を値踏みするように見つめた。
まるで「誰だお前は?」とでも言いたげな顔だ。というか、この部屋に入ってから初めて俺に意識が向いた気がする。
伯爵の注意は完全にエリシアに集中していて、俺なんか背景の壁紙みたいな扱いだったのだろう。光り輝くエリシアの横にいるせいで、完全に空気だったらしい。
「その者が、何をできると?」
伯爵がエリシアに問いかける。
「ソーマには、呪いを見ることができます」
……いや、エリシアさん? それ、初耳なんですが。
「呪いを?」
伯爵の視線がじわりと俺に向かう。疑念を隠さないその目は、まるで「お前、本当にそんなことができるのか?」と詰めてくるようだった。
……いや、俺も聞きたいよ、それ。
「えぇ。私たちは、地下道の奥にシュトラウス家を苦しめる呪いの根源があり、それが地下道を伝って、この館にまで及んでいると考えています」
「……ふむ。地下道にわが家を蝕む『何か』があり、それが呪いの根源だと……」
「はい。今から、このソーマが『呪いを視る』力を使って、この屋敷内にある地下道の入口を探り当てます」
待て待て待て。いつの間に俺、そんなスゴい能力者になったんだ?
「呪いがどこからこの館に侵入してきているかが、わかれば、おのずと地下道の入口はわかるという話です」
エリシアの説明は堂々としていた。
だが俺は「そんな力、あったっけ?」としか言いようがない。
ランド・オラクルはどうやら土地の過去を探ることはできるみたいだ。だが、呪いのような曖昧なものを明確に視認できるかは未知数だ。
「地下道は、以前はこの館とローデンブルグの外とをつなぐ脱出経路でもありました。入口は秘されており、当時の図面も残っていません。私やソーマがその入り口を知る由もなく、その位置をソーマが言い当てることができれば、力の証明になり、呪いが館を蝕む原因であるとの証左にもなります」
エリシアの説明は淀みない。
……ハードルがどんどん上がっていくんだけど?
伯爵は腕を組み、じっと俺を見つめる。領主の重圧というか、場の空気がピリピリする。
……胃が痛くなりそうだ。
「確かに、地下道の入口は、代々の領主とその家の者にしか知らされていない……それを、その男が見つけると言うのか?」
伯爵はしばし沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「わかった。そこまで言うのであれば、ソーマとやら、その方の力を示して見せよ。もしエリシア様の仰るとおり、その力で地下道の入口が見つかったならば、探索を許すこととしよう」
もう逃げられない。俺はひそかに息を吐き、できる限り冷静になろうとした。ランド・オラクルがどこまでの情報を視せてくれるかわからないが、やるしかない。
(頼む……何か手がかりが見えてくれ)
呼吸を整え、意識を集中させると——視界が変わった。
―― 館の空気が歪み、ゆらめく光の粒子が俺の周囲に舞い上がる。
燻る火の粉のようにゆっくりと立ち上がり、空間の中で寄り集まっていく。
そして光の粒子が折り重なり、過去の痕跡を映像として形作る。 ——
そこにいたのは、壮年の男だった。
————
階段裏の壁が静かに動き、その奥に口を開く暗い空間。
男はその前に立ち、ゆっくりと手を差し伸べる。
やがて、一人の妙齢の女性が現れた。
夜会のドレスを纏い、慎ましくも艶やかな仕草で男の手を取る。
ふたりは顔を近づけ、低く何かを囁き合う。
男は微かに笑い、女性を導くようにして、暗闇の奥へと消えていった
————
地下道を密会に利用していたのか……。
光の粒子がふわりと舞い上がり、映像はゆっくりと霧散する。
「……付いてきてください」俺は静かに告げた。
応接室を出て、館の中央階段へたどり着くと、その横に回って壁の一画を指差した。
「ここに地下道があります」
エリシアが目を細める。「確かなの?」
「間違いない。この場所には、異様な気配が漂っている」———俺には呪いの痕跡が視えるという設定は忘れない。
「失礼、伯爵」エリシアが呪文を唱える。
「Näytä minulle kuiskausten virta.《風精よ、囁きの流れを示せ》」
呪文の響きとともに、柔らかな風が壁際を撫でる。微細な気流が流れ込み、わずかに揺れる埃を巻き上げる。すると、風が壁の一部に集まり、そこだけが微かに空間を揺らすようにざわめいた。
「確かに、この壁の向こうには空間がありそうね」
俺は手を伸ばし、指先で壁をなぞった。かすかに感じる隙間。そこに力を込めると——石の表面が、ごくわずかに沈んだ。ゆっくりと、壁の一部が軋むように動く。隠し扉だ。地下道への入口を見つけた。
「まさか……本当に見つけるとは」
伯爵は驚いている。
「一旦応接室に戻りましょう」 エリシアはそう言って、伯爵を連れて応接室へと戻る。
俺は、階段の踊り場に飾られている一枚の肖像画に目を奪われた———そこに描かれているのは、さっき視た男とそっくりだった。整った口ひげ。貴族らしい気品。そして、どこか余裕のある表情。
俺は伯爵に尋ねた。「伯爵、この肖像画の人物は?」
「ブラムト・フォン・シュトラウス。私の父であり先代の当主だ」
俺は微かに肩をすくめ、ふっと息を吐いた。
彼は、ここを使っていたのだ。密かに、誰にも知られず、この地下道を。
「ソーマ?」
エリシアが怪訝そうに俺を見た。「どうしたの?」
「……いや、何でもない」俺は、さりげなく視線を外した。
伯爵に、これを告げる必要はない。先代の当主は、地下道を逢引の場にしていた。おそらく、家族すら知らない秘密だったのだろう。
とにかく、地下道の入口は見つけた。今はそれでいい。
***
館の正門から続く続く石畳の道を、俺とエリシアは並んで歩いていた。夜の冷たい空気が心地よく、館の中の緊張した雰囲気とは対照的だ。
伯爵との交渉が思いのほか上手くいったのが嬉しいのか、エリシアはどこか満足げだった。
「ふふ、思ったよりスムーズだったわね」
「まあ、地下道の入口が見つかった以上、伯爵も探索を許可せざるを得なかったってことだな」
「そうね。これで本格的な調査ができるわ」
エリシアの足取りは軽く、機嫌がいい。俺はそんな彼女を横目で見ながら、ふと気になっていたことを口にした。
「……で、呪いを視る力って何?」
エリシアの耳がピクリと動いた。
「……え?」妙に間を置いて振り向く。その顔には若干の動揺が見えた。
「ランド・オラクルのことを伯爵に説明するわけにはいかないのは分かるけど、なんでよりによって“呪いを視る力”なんてことにしたんだよ?」
俺の問いに、エリシアは視線を逸らしながら言い訳を始める。
「だって、適当にそれっぽいことを言わないと、伯爵は納得しなかったでしょ? それに、結果としてちゃんと地下道の入口を見つけたんだから問題ないじゃない!」
「それは結果論だろ。もし、俺のランド・オラクルが発動しなかったり、見つからなかったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は……私もソーマに騙された、とでも言えば大丈夫」
「いや、それ俺が処刑されるパターンじゃね?」
「うふふ、冗談よ」 冗談と言いながら、エリシアは悪びれもせず微笑む。
「その時はちゃんと別の方法を考えていたわよ」
「例えば?」
「…………」
「何も考えてなかったんじゃないか!」
俺のツッコミに、エリシアは少しだけ気まずそうに咳払いをして誤魔化した。
「ソーマなら絶対見つけるって思ってたのよ。フィオナを救出した時も言い当てたでしょ? だから大丈夫だと思ったの」
「楽観的すぎる……」
俺はため息をついたが、それと同時にエリシアの中で俺への信頼が意外と厚いことに気づき、少しだけ気恥ずかしくなった。
「それにね、ソーマのランドオラクルって、単に土地の過去を視るだけじゃなくて……ソーマが『視たい』と思ったシーンが浮かび上がるんじゃないかって思うの」
「……どういうことだ?」
「例えば、フィオナの拐われた痕跡を視た時も、今回の地下道の入口を視た時も、必要な情報がピンポイントで出てきたでしょう? もし、すべての土地の記憶が無作為に視えていたら、膨大すぎて処理しきれないはず。でも、ソーマはちゃんと“必要な情報”を視ている」
「確かに……」言われてみれば、その通りだ。過去の全てが視えるのではなく、俺が知りたい情報に絞られて視えている。
「つまり、ソーマのランド・オラクルは“過去の記憶”の中から、ソーマが求めるシーンを選んで視せているんじゃないかってことよ」
理に適った仮説だ。
「さすが、ルミナス・スター」
からかうように言うと、エリシアの耳が一気に赤くなった。
「ち、違うわよ! 私が言い出したわけじゃなくて、周りが勝手にそう呼び始めて、いつの間にか定着しちゃったの!」
顔まで赤くしながら抗議する。
「でも気に入ってるんだろ? さっき伯爵にそう呼ばれた時、なんだかんだ否定しなかったし」
「……そんなことないわよ!」
「でも、その呼ばれ方に慣れてる感じはするんだよな」
「そ、そんなことないったら!」
エリシアが俺の腕を軽く叩く。俺は笑いながらそれを受け止めた。
そんなやり取りをしながら、俺たちは館の正門をくぐったのだった。
「われわれが感覚で捉えるものは、真の実在の影でしかない。実在は、イデアとして知性によってのみ捉えうる」— プラトン
このプラトンの言葉は、感覚の裏に真の実在があることを示唆します。
今回の話で、相馬が「ランド・オラクル」で通常の視点では見えない地下道入口や「呪い」の痕跡を視認できたのは、まさに感覚を超えた真実に触れる行為でした。
領主の病も、表面的な問題の裏に土地の深層的な問題が隠されていたのです。
明日はいつも通り、夜8時半に更新します。




