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#19-2 「より少ないことは、より豊かなこと。」— ミース・ファン・デル・ローエ

 ローデンブルグの街の喧騒が途切れる路地裏、鍛冶ギルドの工房の片隅にある一角。 重厚な金属音と、火花が散る閃光が入り混じるその場に、俺はカイルに案内されて足を踏み入れた。


「よお、グラム。ちょっと頼みたいことがあるんだ」

 カイルが声をかけると、炉の前で巨大なハンマーを振るっていたドワーフの男が手を止め、鋼のような視線をこちらに向けた。


「……今度は盾でも壊したのか?」


 グラム・アイアンハンド。


 鍛冶職人であり、建築にも精通している職人だ。冒険者向けの装備修理や家屋の修繕を請け負っているという。


「相馬直樹といいます。今は白樫亭の再建を手伝っているんですが、ぜひグラムさんの腕をお借りしたいなと思いまして」


「……宿屋の改修?」 グラムは顎を撫で、短く問い返す。


「白樫亭を改装して、宿泊した商人たちが集まれるサロンスペースを作りたいんです」


 グラムは炉の火を見つめたまま、わずかに眉を動かした。

「……そこらの大工に頼めばいいだろ」


「それも考えたんですが、普通の宿屋にはしたくなくて。商人たちが気軽に集まれて、取引の話ができる空間にしたいんです。それに、頑丈な作りにしたくて……」


「ふん」 グラムは腕を組み、しばし沈黙する。

「……納得できねぇ仕事ならやらねぇ」


「もちろんです!  まずは現場を見てみてもらえませんか?」俺は交渉を続ける。「カウンターと食堂周りの改装なんですが、グラムさんの職人としての目で見ていただきたいなと」


 グラムは無言で俺を睨み、やがて短く鼻を鳴らした。


「……試しにな」

「それで構いません!」


 グラムは椅子を引いてどっかりと腰を下ろし、手に持っていたハンマーを指で弾いた。


「宿屋のカウンターと食堂か……材質は?」

「材料選びからお願いできますか。 長く使えて、しっかりしたものにしたいんです。人の出入りも多いし、商人たちが頻繁に使う場所なので、耐久性が求められます」


 グラムは短く鼻を鳴らし、炉の火をくべながら答えた。


「ふん……適当な木じゃもたねぇな」

「そうなんです。あと、見た目も重視したくて……格式を感じさせるデザインが求められるというか」


 グラムは興味を引かれたのか、顎をなでながら思案し始めた。

「……現場を見てはやる。だが、俺が納得できなきゃ、それまでだ」


 その言葉に、俺は頷きながら、一歩前に出た。

 炎の揺らめきが鉄と汗の匂いを引き立てる空間の中で、静かに言葉を紡ぐ。


「建築の成功とは、人々が自然とそこに座り込み、会話を始めるような空間を生むことだ」—— レンゾ・ピアノ


 ハンマーを弾いていたグラムの手が、ぴたりと止まる。


「俺たちは、白樫亭をそんな場所にしたいんです。だからこそ、グラムさんの腕が必要なんです」


 わずかに目を細めたグラムが、黙ってこちらを見つめる。 そして、ゆっくりと手袋を外し、無言のまま俺の手を取った。


「……まずは素材と設計だ。明日、白樫亭で話す」

「ありがとうございます! お待ちしてます!」


 こうして、俺とグラムの取引が始まった。頑固な職人のようだが、話が通じない相手ではない。

 日本でも、こういう職人気質の大工たちと仕事をする機会があった。寡黙で、口下手で、だが手を抜かず、納得できるまで手を動かす。彼らは決して愛想がいいわけではなかったが、一度信頼を得られれば、確実に良い仕事をしてくれた。


 グラムもそういうタイプなのだろう。時間はかかるかもしれないが、彼が白樫亭の改装に関われば、商人たちの憩いの場作りは確実に前進する。


 俺は内心の期待を抱きながら、彼の鍛え上げられた腕を見つめた。



     ***



 翌日、捌の刻(朝八時)ちょうどに、グラムは白樫亭の入り口に姿を現した。


「……時間通りですね」

 俺が声をかけると、グラムは無言のまま頷き、ちらりと宿の外観を見回した。


「……いい宿だな」


 それだけ言って、彼は重厚な扉を押し開けた。白樫亭の内部は、朝の光を受けて木の温もりが際立ち、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「ようこそ、白樫亭へ」


 アメリアが穏やかな笑みを浮かべながら迎える。フィオナとエディも、少し緊張した面持ちでグラムを見つめていた。


「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」


 アメリアが丁寧に挨拶をすると、グラムは軽く顎を引き、炉の火をくべるような目つきで室内を見渡した。


「ここを改装するんだな。どこをどう変えたい?」


 俺はカウンター近くの空間を指さしながら説明を始めた。

「食堂の一部を仕切って、宿泊者専用のサロンを作りたいんです。応接スペースも設けて、旅人たちが落ち着いて話ができるような空間にしたいんですよ」


 グラムは黙って頷きながら、床を軽く踏みしめ、壁に手を当てて感触を確かめている。

「……悪くねぇ。木材はしっかりしてる。変に手を入れず、この風合いを活かした方がいい」


 そう言いながら、彼は天井を見上げ、梁の構造を確認するように目を細めた。


「この柱は残すべきだな。抜けば開放感は出るが、構造が弱くなる。それと、仕切りには厚めの板を使う。薄いと、話が筒抜けになって落ち着かねぇ」


 的確な指摘だった。俺は頷きながら、アメリアに視線を向けた。


「なるほど。確かに、せっかくの落ち着ける空間なのに、騒がしいと意味がないわね」

 アメリアは納得したように微笑む。フィオナとエディも、それぞれ頷いていた。


「テーブルと椅子も考えないとな」

 グラムはそう言うと、厨房の方へと歩を進めた。フィオナとエディが慌てて後を追う。


「グラムさん、厨房も見ますか?」


「当然だ」 短く答えながら、彼は扉を押し開け、内部をじっくりと見回す。


「カウンターの高さは少し下げた方がいいな。調理する側も出しやすく、客も受け取りやすい。棚は手の届く範囲で増やして、無駄をなくす」


 グラムは厨房の一角に手を置きながら、必要な変更点を淡々と指摘していく。その姿を見ながら、俺は改めて感心していた。


(やっぱり、職人気質の人間は違うな)


 日本でも、こういう頑固な職人たちはいた。無愛想で言葉は少なくても、その手から生み出されるものは確かな品質を誇っていた。グラムも、まさにその類の人間だ。


「素材はどうしましょう?」


 俺が尋ねると、グラムは考え込むように指を組んだ。


「木材は堅木を使う。床材はこのままでいいが、補強は必要だ。仕切りには、音を抑える加工を施した板を使う。椅子やテーブルは頑丈なものにして、安っぽくならねぇようにする」


「すごい……」

 エディが感嘆の声を漏らす。フィオナも目を輝かせてグラムを見ていた。


「そんな感じで進める。いいか?」

「ええ、ぜひお願いします」


 グラムの言葉に、アメリアが深く頷いた。


 グラムはそれを聞いて、最後にもう一度食堂全体を見渡した。


「……いい宿だな」

 それだけ呟くと、彼は俺の方を向き、ゆっくりと顎を引いた。


「詳細は詰めるが、大筋は決まった。作業に入る前に、準備を進める。明後日からでいいか?」


「もちろんです。よろしくお願いします!」


 こうして、白樫亭の改装計画が本格的に動き出した。

ご覧いただきありがとうございました。


ミース・ファン・デル・ローエの「より少ないことは、より豊かなこと」は、装飾を排したシンプルさが本質的な豊かさにつながるという思想です。

今回の白樫亭再建で、機能性・耐久性を重視し無駄を排す姿勢は、まさにこの哲学に通じます。グラムとの改装で目指す商人向けサロンスペースも、装飾でなく、居心地の良さで豊かな空間を目指します。

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