#18 「嵐を捲きおこすものは最も静かな言葉である。」— フリードリヒ・ニーチェ
「神殿に行ってきなさい!」
その日、突然、エレノアが俺に向かって言った。
「あんた、まだ魔法鑑定を受けてないんでしょ!?せっかく私が鑑定料を用立ててあげたのに」
「え、いや……フィオナの件やユージンとの交渉とか、忙しくて……」
「言い訳はいいの! あんたがこの国で暮らすなら、自分の魔法の適性くらい知っておくべきでしょ? もしかしたら、とんでもない才能があるかもしれないのよ!」
俺はエレノアに促され、渋々ながらも大地神ルーヴェの神殿へ向かうことになった。
「私もあなたの魔法には興味があるわ」
エリシアはそんな俺を見て、微笑みながら一緒に付いてきた。
ローデンブルグの中心にそびえるルーヴェ神殿。石造りの荘厳な建物には緑の蔦が絡まり、厳かな雰囲気が漂っている。
「ここの神官に頼めば鑑定してもらえるわ」
エリシアが受付で手続きを済ませた後、俺たちは奥の鑑定室へと案内された。
鑑定室の扉を開けると、室内は薄暗く、神秘的な雰囲気が漂っていた。
壁には大地神ルーヴェを象徴するレリーフが刻まれ、中央には複雑な紋様の魔法陣が輝く台座が設置されている。
部屋の四隅には大理石の柱がそびえ、天井からはゆらめく魔灯が淡い光を落としていた。 どこか湿った空気が漂い、かすかに香草の香りがする。
「では、お布施をこちらへ」
神官が静かに告げると、俺は自分の財布から銀貨を一枚取り出し、そっと差し出した。
「ここで鑑定を行います。心を落ち着けて、台座に手を置いてください」
神官の静かな声が響き、部屋全体がますます厳かな雰囲気に包まれた。
「それでは始めます。手を置き、目を閉じてください。魔法陣があなたの魔力の流れと適性を測定します」
言われるままに、俺は中央の台座に手を乗せ、ゆっくりと深呼吸する。
魔法陣が淡く光を帯び、優しく俺の体を包み込んだ——。
「……」
数秒後、神官の顔色が変わった。
「……こ、こんなことが……ありえない!」
神官が後ずさるほどの驚愕を見せ、エリシアもその異常な反応に目を細めた。
「どうしたんですか?」
もしかしたら、俺の魔力値はチート級じゃね——と一瞬期待したが、神官の様子は、明らかに違っている。俺は不安になりながら尋ねる。
「あなたの魔力は……ゼロ。貴方の中には“マナ”がない……」
「ゼロ……?」 チート級どころか……ゼロ!
「そんなことありえないわ!」
エリシアが驚愕し、神官を見つめる。
「もう一度測っていただけませんか? こんなこと、考えられません」
エリシアが神官に強く言う。
「……しかし、これは確実に……」
戸惑いながらも、神官は再び魔法陣を起動し、俺の手を台座に置かせる。 ……しかし、次の瞬間、光が異常に強く輝いた。
(うわっ……!)
視界が真っ白になり、俺の意識は遠のいた。
———気がつくと、俺は空に浮かんでいた。
見下ろすと、ローデンブルグの街が広がる。いや、視界の果て、地平線を超えて、大地を巡る光の流れが広がっている。
まるで地脈そのものが、生命の鼓動のように脈打っていた。
だが——
白樫亭のある地点だけ、その光が途切れ、まるでぽっかりと穴が開いたように黒い影が広がっていた。そして、その影の一部は、この街の中心にそびえる最も大きな館へと伸びている。
(……何だ、これ……?)
その時——。
「大地に癒しを……流れをあるべき姿へと……」
低く、それでいて包み込むような荘厳な声が響く。
そして、地脈の光が強烈に発光し、俺の意識は急速に引き戻され——
ハッとして目を開くと、俺はまだ神殿の台座に手を置いていた。
……ほんの一瞬の出来事だった。
「……やはり、ゼロです」
神官の震える声が耳に入る。
「いや、それどころか……まるで、この世界のマナそのものを拒絶しているかのように……」
エリシアが息をのむ。
俺は異世界人で、元の世界でも不動産の知識しか持っていないただの一般人。
魔法の才能は期待していなかったが、まさかゼロとは……。
「こんなことは初めてです。貴方は存在しているのですか?」
神官は不気味なものを見るように俺を見てくる。
俺って幽霊か何かなの!?
「ちゃんと生きてるよ!!」 そう言って、神官の手を握る。
彼はびくりと体を震わせて驚いた後、俺の手を振り払った。
「……とりあえず、魔法が使えないってことは分かったな」
俺は苦笑しながらそう言うと、エリシアは未だ驚きの表情を浮かべたまま、俺を見つめ続けていた。
神殿を後にし、俺とエリシアは白樫亭へと向かう道を歩いていた。
夕暮れの街は賑やかで、行き交う人々の喧騒がどこか現実感を呼び戻してくれる。しかし、俺の頭の中は未だ整理がついていなかった。
「なあ、エリシア」
俺は歩きながら、隣を歩くエリシアに軽い調子で話しかける。
「俺の魔力、ゼロだってよ」
エリシアは何か考え事をしていたのか、一瞬遅れて「そうね」と返した。 しかし、その顔は冗談を受け流すようなものではなく、深刻な色を帯びていた。
「エリシア……やっぱり、そんなに異常なことなのか?」
俺の問いに、エリシアは静かに頷く。
「魔力とは“マナ”。すべての人間、いえ、動植物、果ては石ころに至るまで微弱なマナを持っている。それが、この世界の常識よ」
彼女の言葉に、俺は思わず足を止めた。
「石ころにまで?」
「ええ。風や水、炎といった自然現象にも、精霊力——つまりマナが宿っている。この世界に存在するものは、すべてマナの影響を受けているの。でも、あなたは違う。神官も言っていたでしょう? 魔力が一切感じられない存在なんて、本来あり得ないのよ」
俺はゆっくりと息を吐く。
「そんなにやばいことなのか……」
「軽く考えない方がいいわ。さっきの神官の反応を見たでしょう? もし、誰かがこの事実を知ったら、あなたへの見方が変わるかもしれない」
「つまり、さっきの神官も……?」
「そうね、その可能性はあるわ。でも、彼らには神に仕える者としての制約がある。鑑定結果を他者に漏らすことは禁じられているし、もし破れば神の恩寵を失うかもしれないもの」
そう言って、エリシアは俺を安心させるように微笑んだが、その表情にはまだ警戒の色が残っていた。
エリシアは俺の目を真っすぐに見据え、静かに声を落とした。
「このことは、他の誰にも言わないで。いい?」
その瞳には、ただの忠告ではない、強い警戒心があった。
「……分かった。口外しないよ」
そう答えた俺に、エリシアは少しだけ安心したように微笑んだ。
「それと……」 俺は一瞬言葉を選び、静かに続けた。
「二回目の鑑定のときに、変なものを見たんだ」
エリシアが小さく眉を寄せる。
「変なもの?」
「空の上から、この街……いや、世界全体を見下ろしているような感覚だった。大地を流れる光がどこまでも広がっていた。でも、白樫亭のある場所だけ、ぽっかりと黒い影ができていて……」
俺は自分の見たものを言葉にしながら、改めてその異様さを感じた。
「そして、声が聞こえた。『大地に癒しを』とか、なんとか」
エリシアは驚き、しばらく考え込んだ後、小さく息を吐いた。
「それ……本当なの?」
「俺の勘違いじゃなければな。でも、あれが何なのか、まったく分からない」
エリシアは慎重に言葉を選びながら、俺を見つめた。
「いずれにしても、このことは誰にも話さないほうがいいわ。あなたの魔力がないことも、その“光や声”のことも。もしかすると、ただの幻視ではなく、何か深い意味があるのかもしれない」
「深い意味、か……」俺はぼんやりとつぶやいた。
「この世界の理から外れた存在として、あなたがここにいること自体が異質なのよ。だからこそ、慎重になるべきだわ」
彼女の言葉には、ただの忠告ではない、強い確信がこもっていた。
「分かった。誰にも言わないよ」
そう答えると、エリシアは少しだけ安心したように微笑んだ。
しかし、その微笑みの奥には、まだ疑問が渦巻いているようだった。
「……ソーマ、あなたは一体何者なの?」
彼女は足を止め、真剣な眼差しで俺を見つめる。
「どこから来たの?」
その問いに、俺は返答に詰まった。
俺が元々いた世界のことを話すべきか? それとも、この異常事態に対して、まだ自分でも答えを見つけられていないことを伝えるべきか?
「……それには、まだ答えられない」
俺は正直にそう言った。
エリシアはしばらく俺を見つめた後、小さく息を吐いた。
「……そう。でも、いつか話してくれる?」
「そのときが来たらな」
俺の言葉に、彼女は少しだけ納得したようにうなずき、また歩き出した。
「白樫亭に戻ったら、少し休んで。きっと、頭を整理する時間が必要でしょうから」
俺は彼女の言葉を胸に刻みながら、ゆっくりと歩き出した。
この世界で、俺は『存在している』のか。
そんな疑問を抱えたまま、俺たちは静かに白樫亭へと帰っていった。
ご覧いただきありがとうございました。
今回のあとがきに掲げたニーチェの言葉「嵐を捲きおこすものは最も静かな言葉である。」は、表面上は取るに足らないように見える言葉や事実が、やがて大きな出来事を引き起こすことを示唆します。
主人公の「魔力ゼロ」という鑑定結果が、この世界の常識を揺るがし、彼自身の存在、そして今後の物語に大きな嵐を巻き起こす序章となります。
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、作品の評価★、ブックマークを是非宜しくお願いします。また、感想をいただけると嬉しいです。