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#16-2 「投資が最も賢明なのは、それが最もビジネスライクであるときだ。」— ベンジャミン・グレアム

第15話の後半をお届けします。

 ユージンは椅子にもたれかかり、指を組む。

 まるで盤上の駒を眺めるように、慎重に、そして楽しげに。


「ボクにとってのリスクです。エヴァレット夫人に肩入れすることは、不動産ギルド……つまり、ローデンブルグ支部の連中を敵に回すことを意味する」


 俺たちは息を呑んだ。だがユージンは気にせず、飄々と続ける。


「彼らは手段を選びませんからね。ウチの商会の信用や取引にまで圧力をかけてくる可能性がある。……それを考慮した上で、それでも、契約を望まはるんですね?」


 アメリアは少し息を飲み、目を伏せた。しかし、すぐに力強く顔を上げる。

「はい。それでも、白樫亭を守りたい。だからこそ、あなたの力が必要なのです。」


「なるほど。……いい顔をされてはる。では、話を続けましょうか」

 ユージンはしばらく沈黙した後、口元に薄い笑みを浮かべた。


「たとえ温泉が出たとしても、不動産ギルドからの妨害は避けられへん。その点についてはどうお考えで?」


 俺はその問いに頷き、対策を説明する。

「ギルドの影響力を削ぐために、俺たちは公的機関や貴族の後ろ盾を得ます。そして、宿の利益を確実に確保し、経済的な余裕を作る」


 ユージンは顎に手を当て、じっと俺を見据えた。

「なるほど……良い考えですねぇ。けど、そこまで上手くいくとお思いなら、少し甘いところもあるかもしれまへんよ?」

 彼の声は軽いが、その眼差しには鋭い光が宿っている。


「不動産ギルドは手段を選びません。嫌がらせ程度ならまだしも、暴力的な手を使ってくる可能性もある。さて、そのへん、どうお考えで?」


 俺は一瞬、言葉を選んでから答えた。

「確かに、その可能性は否定できません。しかし、彼らもただの暴力集団ではない。いくら力を持っているとはいえ、公然と無茶をすれば、貴族や王国の法の目が光ります。俺たちは、法を盾にしながら、慎重に立ち回ります」


「つまり、法と世論を味方につけて、ギルドの力に対抗するいうわけですか」


「ええ。不動産ギルドの動きに対抗するには、俺たち自身の立場を強化し、白樫亭をただの宿ではなく、公的に価値のある施設として確立することが大事です。商人や貴族ともつながりを持ち、白樫亭を潰すことが彼らにとって不利益になるような状況を作り出すつもりです」


 ユージンは興味深げに眼鏡を押し上げ、机をトントンと指先で叩きながら考え込むような仕草を見せた。

「なるほど……しかし、そんなに上手くいくものですかね?」


 彼はわざと軽い調子で続ける。

「例えば、最近の白樫亭周辺の騒動……フィオナ嬢が誘拐されかけた件について、あなたはどう考えてはります?」


 その言葉に、思わず息を呑んだ。

 エリシアを見ると、彼女は小さく首を振り、「私じゃないわ。衛兵から情報を得たのでしょうね」と囁く。


 背筋に冷たいものが走る。

(ここで下手に取り乱せば、主導権を握られる——)


 俺は内心の動揺を押し殺し、あえてゆっくりと口を開いた。

「……ご存じだったんですね」


 自分でも驚くほど硬い声が出たが、ユージンの表情は微動だにしない。


「それは当然ですよ。商会というのは、情報も扱ってますからね」

 肩を軽くすくめる彼の仕草は飄々としているが、その背後には確実な計算が透けて見える。

 この場を完全に支配しているという自信。それが、言葉の端々に滲んでいた。



(やばいな……こいつ、本当に油断ならない相手だ)


 日本でも、不動産ブローカーや資産家の代理人の中には、こういう手合いがいた。   

 情報を小出しにし、相手の反応を探りながら徐々に追い詰める。

 駆け引きに長け、話の流れすらも意図的にコントロールする交渉人——俺がこれまで何度も向き合ってきた、厄介だが優秀な相手。


 エリシアが警戒するのも納得だ。俺たちが動き出したばかりの段階で、すでにここまで把握しているとは——。


「つまり、白樫亭を潰したい連中は、もはや手段を選ばないということ。それに対して、あなたはどう立ち回りはるつもりです?」

 ユージンの問いに、俺はわずかに目を細めながら口を開いた。


「だからこそ、白樫亭を『ただの宿屋』から『守るべき拠点』へと変える必要があるんです」


 少し間を置き、さらに続ける。

「そうなれば、ここにいるアメリアさんとフィオナさんの安全も確保できる」


 ユージンはふっと笑い、眼鏡の奥から俺を見据える。

「ほぉ……大胆ですねぇ。けど、ボクはそういう話、嫌いじゃないですよ」


 彼は一度、椅子に深くもたれかかり、指先で机をトントンと軽く叩く。

「……さて、では改めて確認しましょか。つまり、これは白樫亭に対する融資案件として、ボクにご提案されてるということでよろしいですか?」


「ええ。白樫亭は温泉が復活すれば、ただの宿屋ではなくなります。ローデンブルグ唯一の温泉宿として、貴族や商人の上客を惹きつける存在になれる。あなたにとっても、融資を通じて、利息を含めた確実な回収が見込めますし、仮に返済が難しくなれば、白樫亭の土地が担保として確保できる」


 俺の言葉に、ユージンは薄く笑った。

「なるほど、普通の融資とはひと味違うと……実に興味深いですねぇ」


 彼はゆっくりと椅子に深く腰掛け、指を組んだ。

「で、問題は……ほんまに温泉が出るんかどうか、ですわ」


「もちろん、温泉が出なかった場合は、ユージン様にお借りしたお金を返済することは難しくなります。その際は契約に従い、白樫亭の土地がユージン様の所有となることも承知しています」

 静かに答えたのは、アメリアだった。



 その言葉に続けて、俺はまっすぐユージンを見据えた。

「投資が最も賢明なのは、それが最もビジネスライクであるときだ」— ベンジャミン・グレアム


 ユージンの笑みがわずかに深まり、眼鏡の奥の視線が鋭くなる。それは、相手の腹が据わっていると見たときにだけ浮かぶ“プロの表情”だった。


 ユージンは満足げに頷く。

「ほな、具体的な返済計画についても聞かせてもらいましょうか」


 俺はユージンの視線を受け止めながら、準備していた試算表を取り出した。

「白樫亭には三十室あります。現在の宿泊料は一泊三十ブロンですが、温泉ができれば倍の六十ブロンに引き上げることが可能と考えています」


「ふむ……それで?」


「白樫亭の温泉は、この街で唯一の施設となるため、宿泊率は最低でも八十パーセントを維持できると見込んでいます。経費は食材費などがメインですが、一泊の利用者につき、二十ブロン程度かかります。したがって、一泊当たりの粗利は四十ブロン。そのうち従業員への給金など営業経費を差し引いた純利益は二十五ブロン。この利益の一部を返済に充て、計画的に融資を返していきます」



 ユージンの反応を見ながら、試算表の重要な数字を示す。

「一月の宿の利益は約一万八千ブロン。その中から毎月固定額で返済に充てていきます。年間にすると、およそ二十一万ブロンの収益が見込めるため、余裕を見て、今回融資をお願いする二十ゴール(二十万ブロン)と利息を一年半後に完済する計画です」


 ユージンは静かに試算表を眺め、ふっと笑みを浮かべる。

「数字は確かに悪うない。もちろん、情勢の変化で多少のブレは出るやろけど、それも見込んでの計画っちゅうことですね?」


「はい。もちろん融資ですので、契約に基づき、返済時に元本と利息をまとめてお支払いします」


 ユージンは試算表を指先でなぞりながら、一つ一つの数字を確認するように目を細めた。

「ソーマさん。あなたは、本当にただ、宿屋の再建を考えているだけですか?」


 鋭い視線に俺は一瞬息を詰まらせた。しかし、すぐに平静を装いながら微笑む。

「俺はただ、白樫亭を復活させたいだけです。そして、それがユージンさんにとっても良い話になると確信しているから、こうして提案しているんですよ」


 ユージンは数秒の沈黙の後、満足そうに頷いた。

「実に興味深いですねぇ……いいでしょう、あなたの言う通り、この話お受けいたしましょう。ただし、すべては温泉が出たら、という前提です」


 俺は手を差し出し、ユージンとしっかり握手を交わした。

「約束ですよ、ユージンさん」


 こうして、白樫亭復興のための資金調達の道が開かれた——。


「投資が最も賢明なのは、それが最もビジネスライクであるときだ。」


ご覧いただきありがとうございました。

今回は、著名な投資家ベンジャミン・グレアム氏のこの言葉をタイトルに選びました。これは、投資において最も大切なのは、感情に流されず、ビジネスの本質を見極め、冷静かつ論理的に判断することである、という意味合いです。


物語の第15話では、まさにこの原則が試されるかのような融資交渉が描かれました。主人公・相馬は白樫亭の収益性や担保といった具体的な数字と計画を示し、相手であるユージンもまた、リスクとリターンを徹底的に計算し、純粋なビジネス判断としてこの話に乗るか否かを決めました。

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