#14 「最も重要なことは、未来を予測することではなく、未来を築くことである。」— ピーター・ドラッカー
「白樫亭を復活させる決め手——これが本命だ」
俺は手元の紙に、ひとつの単語をはっきりと書き込む。
「温泉」
その瞬間、場の空気がすっと静まり返った。
全員が息を呑むのがわかった。
沈黙の中、最初に反応したのはカイルだった。「……は?」眉をひそめ、俺をじっと見据える。
「温泉?お前、まさか白樫亭で、また温泉が湧くとでも言うのか?」
「そうだ」俺はためらわずに頷いた。
視線をアメリアに移し、問いかける。
「白樫亭は、昔は温泉で有名だったんじゃないですか?」
アメリアはフィオナと顔を見合わせる。
「……ええ、そうよ。でも、それがどうして?」
「昨日、宿の中を見て回ったとき、閉鎖された大浴場を見つけました。最初はただの浴場だと思った。でも、違った。あれは——元々、天然の温泉が湧き出ていた施設だったんじゃないですか?」
カイルがふっと鼻で笑った。
「知ってたか? 白樫亭の温泉は、この辺じゃちょっとした名物だったんだぜ」
「へえ」俺は少しだけ驚いたフリをしてみせる。もちろん、本当はもう知っている。 だが、あえて今は話を進める。
「旅人や冒険者が、温泉目当て泊まりに来てたんだぜ。特に長旅のあととか、ダンジョン帰りにはたまらなかったぜ。ルーカスさんが元気だった頃は、宿もかなり繁盛してた」
「……でも、五年前に温泉が枯れてしまったの」
アメリアの言葉に、場の空気がわずかに沈む。
「夫が亡くなったのもその頃……温泉のせいじゃないけど、あの頃までは、毎日が忙しくても幸せだったわ。でも、温泉が枯れて、お客さんが減って、気づいたら笑う余裕もなくなってた……」
その表情は穏やかだった。でも、そこに刻まれた苦労の色は、消しきれていない。
「復活させようとしたこともあるわ。何度も敷地を掘り返してみたけど、どこを掘っても温泉は出てこなかった。掘削業者は、“源泉そのものが枯れてる”って……」
「そうか……」俺はゆっくり腕を組んだ。
俺がこの話を持ち出したのは、単なる思いつきじゃない。昨日、試しにランド・オラクルを使ってみた。白樫亭の敷地内に建つ別棟、あの浴場跡に、かすかに残っていた“過去の痕跡”を読み取るために。
ローデンブルグがまだそれほど大きな街ではなく、温泉が湧き出る宿場町として栄えていた時代。
若き日のルーカスが、老いた両親と共に白樫亭を切り盛りしていた頃。
アメリアが嫁いできてからは、二人でこの宿を支えながら、生まれたフィオナと共に穏やかに過ごしていた日々。
しかし、最も胸を締めつけたのは——ルーカスが襲われた、あの日の記憶だった。
そして——俺は視た。ルーカスを襲った男の顔を! 俺は拳を握り締める。
……とにかく、俺は温泉が白樫亭の過去に大きく関わっていたことを知った。
それだけじゃない……あの温泉は、この宿にとって、ただのお湯じゃなかった。家族の記憶であり、白樫亭の原点そのものだった。
そして、俺が視た最後の光景——それは、今は閉鎖された浴場に、確かに湯気が立ち上る姿だった。
(……温泉は、まだ消えていない)
「アメリアさん、もし源泉の流れが変わっただけだとしたら?」
「え?」
「枯れたんじゃなくて、地下の流れが何かの影響で塞き止められたとか、別の場所に移ったとか。そんな可能性は考えられませんか?」
「……確かに、そういうケースもあるとは聞いたことがあるわ。でも、調べてもらったときは、何も見つからなかったのよ」
「掘削業者が使ったのは、一般的な調査法ですよね? 地層の確認や、簡易的な水脈チェックくらいじゃないですか?」
「ええ、そうだけど……」
「だったら、もう一度調べてみる価値はあります。俺には確信がある。白樫亭の地下には、まだ温泉が眠ってる」
「……ソーマさん、本当に……?」 フィオナが、不安げな表情で俺を見つめてくる。
俺はその視線をしっかりと受け止めて、微笑んで返した。
「もちろんさ、フィオナ」
視線をアメリアに向ける。「やってみる価値は、あると思います」
「ソーマがそう言うなら……試してみる価値はあるかもな」
コールが腕を組んで、重々しく唸った。
「でもさ、またあの温泉が復活したら、宿の評判は爆上がりしそうよね」
エレノアが頬に手を当て、いつもの調子で言った。
その時——
「話は聞かせてもらった。この土地には温泉が、あるわ!!」
勢いよく食堂の扉が開き、エリシアが風を巻き込むように登場した。
扉がバンと跳ね返る音に、俺たちは一斉に顔を上げる。
「なっ……なんだって―――!!」 完璧なタイミングで叫ぶ三人。
カイル、コール、エレノアがまさかのハモリ。
……おい、ノリが良すぎるだろ。異世界の冒険者が某編集部ネタを揃えてぶっ込んでくるとは思えないし、これはたぶん偶然……だよな?
「ソーマ、あなたが“視た”のね。だったら、この土地の源泉は枯れていない」
エリシアの断言に、アメリアとフィオナが目を丸くする。
「エリシアさん、それって……」
「まあ、ソーマの持つ力のことよ」
あっさりと核心に触れるエリシアに、ちょっと肝を冷やした。けど、すぐに彼女は話を進めた。
「それより、この宿に精霊が集まってる理由がようやく分かったわ」
「どういうこと?」エレノアが目を輝かせながら身を乗り出す。
「精霊たちは自然のマナに引き寄せられるものよ。水、風、大地……そして、温泉もその一つ。この宿には妙に精霊の気配が多いと思っていたの。でも理由が分からなかった。でも今なら、納得がいくわ」
「つまり、温泉がある場所には精霊が集まりやすいってことか?」
「ええ。その影響で、この土地には精霊の加護が自然と根付いていたのかもしれないわ」
なるほど……俺は腕を組みながら考える。確かにそれなら、白樫亭が妙に心地いい理由にも筋が通る。
「でも、温泉が枯れた原因を突き止めないと、また同じことが起きる可能性があるわね」 アメリアが、慎重な口調で言った。
「確かに。ただ単に水脈が途切れたわけじゃない気がする。俺の“視た”ものからすると、何かが明確に妨げになっていた」
「じゃあ、何かが原因で塞がれたってこと……?」エレノアが眉をひそめる。
「その可能性が高い。たとえば、地中に魔物が巣を作ったとか、何かしらの力が干渉している……そんな感じだった。はっきりとはしないけど、地下に長くうねるような巨大な影が絡みついているように感じた」
「巨大な……?」フィオナが小さく声を漏らす。「蛇のような……いや、もっと不気味な、何かの生き物のようにも見えた。それが源泉に絡みついているように視えたんだ」
「まさか、それって魔物なの?」エレノアの目が鋭くなる。
「断言はできない。でも、魔物の仕業と考えるのが自然だ。源泉の流れを塞いでいる“何か”がいるとしたら、それが一番の候補だろう」
「……なら、まずは地下を調査するしかないな」カイルが腕を組み、低く呟いた。
「原因が分かれば、対処法も見えてくる」コールも頷き、視線を俺に向ける。
「それにしても……ソーマは、どうしてそんなものを感じ取れたの?」
エレノアがじっと俺を見つめてくる。好奇心と疑念が入り混じった視線だった。
「普通、地下のことなんて分かるわけないじゃない。……もしかして、何か特別な力でもあるの?」
その質問に、俺は言葉を失った。
(……しまった)
ランド・オラクルのことは、そう簡単に説明できない。いや、してはいけない。特に、この段階では。相手がエレノアたちでも、まだ話せることじゃない。
「それは……」なんとか適当な言葉を探そうとしたその時——
「ソーマは、土地を見る目があるのよ」すっと割って入ったのはエリシアだった。
「土地を見る目……?」エレノアが首をかしげる。エリシアは微笑みながら続けた。
「彼は元々、不動産と都市開発の知識を持っているの。だから、地形の状態や水脈、地下構造の違和感を見抜くのが得意なのよ。積み重ねた知識から、理論的に推測できるってわけ」
俺は思わずエリシアの顔を見た。
(……なるほど、そういう切り口か)
確かに、嘘は言っていないし、視点としても間違っていない。これなら、ランド・オラクルが存在を伏せたまま、説明がつく。
「そ、そういうことだ」 俺は少し気恥ずかしくなりながらも頷いた。
「宿の構造や地形を見て、温泉がどう流れていたのかを考えれば、地下の変化も推測できる」
それでもエレノアは納得しきれない表情を浮かべていた。
「……そんなこと、本当に可能なの?」
エリシアは落ち着いた笑みを浮かべながら答える。
「エレノア。あなたも分かるでしょう? 土地や建物には、そこに生きる人たちの歴史が刻まれている。ソーマは、そういうものを読むのが得意なのよ」
エレノアは、俺とエリシアを交互に見つめ、小さく息を吐いた。
「……まあ、確かに、そういう感覚が鋭い人っているのかもね。うん、そういうことにしておくわ」
完全には納得していないようだったが、それでも話を続ける姿勢に切り替えてくれたのが救いだった。
「でも、だったらやっぱり、地下はちゃんと調べておかないとね」
「そうだな」カイルが頷き、コールも真剣な表情でうなずいた。
その横で、エリシアが俺と視線を交わし、小さく頷く。
(……助かった)
内心、こっそりと息をつく。状況は動き始めた。ここからは、地下の調査が鍵になる。
ご覧いただきありがとうございました。
「最も重要なことは、未来を予測することではなく、未来を築くことである。」
今回も前話に引き続き、ピーター・ドラッカー氏による名言をタイトルとしました。これは、不確実な未来をただ推測するのではなく、自らの意志と行動によって望む未来を創造していくことの価値を示す言葉です。
今回の物語で描かれたように、登場人物たちは予測不能な困難に直面しながらも、ただ状況を傍観するのではなく、主体的に問題解決に取り組み、未来を切り開こうと奮闘します。彼らの姿は、まさに「未来を築く」ことの実践と言えるかもしれません。
彼らの行動が、読者の皆様に何か感じていただけることがあれば幸いです。
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