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#13 「情報とは、意味と目的を与えられたデータである。」— ピーター・ドラッカー

「では、始めようか」

 俺はテーブルの中央に腰を下ろし、顔を上げて周囲を見渡す。


 アメリアとフィオナの母娘、カイル、コール、エレノア、俺。加えて、少し緊張した面持ちで背筋をピンと伸ばしている少年・エディ。合計七人。

 エディの様子は、まるでこれから試験でも始まるかのようだった。頬がこわばっているのがわかる。けど、その目は真剣だ。少し頼もしくも見えた。


「まずは、食事の差別化を考えよう。宿泊者限定の特別な夜食や朝食を用意するのはどうだろう」


 俺が切り出すと、アメリアが興味深そうに頷いた。

「確かに、朝食が名物になれば、宿の知名度も上がるわね」


「冒険者は夜遅くに戻ってくるし、商人は早朝に発つことが多い。そういう人たち向けに、消化のいいスープや体に良い食事を出せば、宿の“顔”になるかもしれない。『白樫亭の朝食は違う』って、評判になるはずだ」


「薬草入りの特製ポトフとか、どうでしょうか?」フィオナがぱっと顔を上げて提案してきた。

「夜遅くに戻る冒険者や、早朝に出る商人向けに、胃に優しくて栄養たっぷりの一品があれば、きっと喜ばれると思います!」


 その言葉に、アメリアがすぐに応じる。

「それだけじゃなくて、朝食のバリエーションも増やしたほうがいいわね。軽めにパンとスープのセットとか、しっかり食べたい人には肉料理を出すとか」


「それ、いいな。『白樫亭に泊まれば翌日の活力が違う』って、広まっていくかもしれないな」

 コールが静かに頷いた。 表情はいつも通り冷静だが、内容には納得しているようだ。


 ……けれど、アメリアはすぐに現実に引き戻す言葉を口にする。「でも、食材費が増えるのは問題ね……」


「それなら、仕入れ先を見直すのはどうですか?」

 俺は頭の中でざっと数字を組み立てながら続ける。

「市場を通さずに、直接農家や猟師と契約すれば、流通コストが抑えられるはずです。量や内容も調整しやすいし、場合によっては珍しい食材も仕入れられるかもしれません」


「なるほど、それなら新鮮な食材も手に入りますね」フィオナが目を輝かせる。


 けれど、その隣でエレノアが首をかしげた。「でも、農家や猟師との交渉って、どうするの?」


 確かにそこがネックになる。けれど、アメリアは静かに前を見つめて言った。

「私が、常連の商人たちに相談してみるわ」


 一同がそれに頷く。やはり、地元で長くやってきた彼女の顔は広い。頼りになる。


 すると、テーブルの端で小さく手が挙がった。声の主はエディだった。

「僕にも……手伝えること、ありますか?」おずおずとしたその声に、みんなの視線が集まる。


 俺はエディの目をしっかり見て、少しだけ柔らかい口調で聞いた。

「エディ。君は、どうしたい?」


 しばらくの沈黙のあと、彼は唇をきゅっと結び、小さくもはっきりと答えた。

「僕、料理はできないし、交渉も無理だけど……買い出しとか掃除とかなら、できます!それに、宿のこと、もっと勉強したいんです!」


 その真っ直ぐな言葉に、フィオナが微笑む。「エディ、ありがとう。だったら、一緒に食材の管理をしてみよっか?」 


「うん!任せてよ、フィオナ!」小さな拳を握るエディの姿に、思わず俺も頬が緩んだ。


「次は、宿泊者向けの独自サービスについてだ。この宿を、情報交換の場として強化できないかと考えている」

 そう言いながら、白樫亭の間取り図をテーブルに広げ、指でなぞる。


「例えば、周辺地域の情報を整理・記録して提供する。『白樫亭に泊まれば、最新のルートや魔物の動向がわかる』という信頼が生まれる」


 一同が静かに耳を傾けるのを感じながら、俺は続ける。

「それを発展させて、いずれは宿を拠点にした、旅の商人同士の情報交換所——取引所を設けられないかと考えている」


 エレノアが静かに口を開いた。「それ、良いんじゃない?」


「でも、商業ギルド会館には交渉スペースや会議室があるし、契約魔法の使い手もいるでしょう?」 アメリアが現実的な視点から指摘する。


「確かにね。でも、それでも商人同士の交流が、他の場で自然に生まれることもあるはずよ」 エレノアは淡々と、けれど揺るがぬ口調で返した。


「なるほど……。じゃあ、白樫亭の一部を改装して、商人たちが気軽に集まれるサロンスペースを設けるってのはどうだ?」


 腕を組みながら提案すると、エレノアが即座に応じた。

「それならギルドとの対立も避けられるし、白樫亭の独自性も高められるわね」


 彼女の分析は冷静で、どこか理路整然としている。俺としても心強い意見だ。


「商人が集まりやすくなれば、自然と情報や物資も流れ込んでくるはずです」

 フィオナもまた、力強くうなずいた。


「それに……」言葉を継いだのはエディだった。やや控えめな声だったけれど、その目はまっすぐだった。「白樫亭がもっと賑やかになったら、きっとみんな安心できると思います!」

 一言一言を丁寧に紡ぐように、彼は言葉を続ける。

「僕、旅人の話を聞くのが好きです。ここにいろんな人が集まったら、白樫亭が特別な場所になると思うんだ!」


 その純粋な気持ちに、誰もが少しだけ表情を和らげた。


「そうね、エディ。それこそが白樫亭の本来の姿なのかもしれないわ」

 アメリアが優しく頷いたその瞬間、俺はふと、白樫亭の未来が少しだけはっきりと見えた気がした。


 静かにテーブルの上に視線を落としながら、俺はぽつりと口にする。

「本当に価値ある場所は、人が集まって“共に未来を信じた”ときに生まれる」

 ——都市計画の本で読んだ一節が、今ほどしっくり来たことはなかった。


「……誰の言葉だ、それ?」コールが眉を上げて聞く。


「昔、街のことを考え続けた誰かの言葉さ」俺は軽く肩をすくめて笑った。


 カイルが、しばらく考え込むような顔をしたあと、小さく頷いた。

「……悪くないな。確かに、今の俺たちには“信じるしかない”んだろうな」


 この場所には、まだたくさんの可能性が眠っている。それを引き出すのは、ここに集まった一人ひとりの想いだ。そして、俺自身の覚悟も——その一部であることを、改めて実感した。


「ソーマさん、旅人への情報提供についてはどうしましょう?」

 フィオナがこちらを見て問いかけてくる。


「まずは、商業ギルドに頼んで、周辺地理や商人の動向に詳しい人物を紹介してもらえないかと考えてる。宿でも最新の情報を提供できるようになれば、それは旅人や商人にとって大きなメリットになるはずだ」

 情報は価値になる。それは俺がいた世界では常識だった。


「それだけじゃない。この宿に泊まる商人や冒険者って、それぞれ違うルートを通って、違う情報を持ってるよな。それをうまくまとめて管理できれば、白樫亭はただの宿じゃなく、情報拠点としての価値が出せると思うんだ」


 手応えのある話のはずだった。だが、その直後、エレノアが首を傾げる。

「でもさ、それって本当に役に立つの?」


 唐突な疑問に、一瞬きょとんとしてしまった。


「どういう意味だ?」聞き返すと、エレノアはさらりと答える。

「商人や冒険者は、馬車か徒歩でしか移動しないのよ?」


「ああ、それは……まあ、そうだな」

 うっかり反射的に頷きかけて、そこでピタリと思考が止まる。妙な違和感が胸の奥に残る。


「たとえば、隣町まで行くのに一日かかるの。宿に泊まった旅人が話す“最新情報”って、実際には昨日以前の話よね? その場所に行くのに、さらに一日以上かかるわ。情報がいつまでも有効とは限らない」


 その指摘に、アメリアも静かに頷いた。「昨日まで安全だった道が、今日も安全とは限らないわ。盗賊や魔物が移動してくることだってあるもの」


 ……そうか。そういうことか。俺はそこでようやく気づく。

 これまでの俺の発想は、「情報さえあれば価値がある」という前提に立っていた。でもこの世界では、情報が届くまでに時間がかかる。つまり——届いた頃には、もうそれが“過去”になっている可能性が高い。


 なるほど、俺は“集めさえすれば情報は力になる”と思い込んでた。でもそれは、俺が元いた世界——交通と通信が発達した社会での常識だった。ここでは、人の足が情報の速さそのものなんだ。


「でも、全く意味がないわけじゃないですよね?」

 前のめり気味に口を挟んだのはフィオナだった。その目には、希望が消えていない。

「例えば、ある街道で魔物が増えてるって話が、何人かから出たら、それが信ぴょう性のある情報になるかもしれませんし!」


「それはそうだな」俺は頷きながら腕を組む。

「ただ、問題は、どうやってその情報の素早く届けるかだな。情報の鮮度が古くなってしまえば、逆に誤った判断を生む可能性がある」


「それに……旅人がそんな情報を簡単に話してくれるとも限らないわよね」

 アメリアが落ち着いた声で補足してくる。「商人にとって、有益な情報は取引の武器になるもの。そんなに気軽には教えてくれないわ」


「……なるほどな」

 俺は小さくうなずいて、思考の中に潜り込む。

 つまり——情報は集めるだけではダメで、それをどう届けるか、信頼できるか、そもそも集まるか。そのすべてが問題になるということだ。


「まあ、そういうことね」エレノアがふっと笑って肩をすくめる。

「でも、ソーマって変わった発想するのよね。普通なら最初から“情報はすぐ古くなる”って分かるでしょ?」


「……ああ、まあな」

 俺は誤魔化すように笑い返したけれど、内心では自分の感覚のズレに苦笑していた。俺の中では“情報”っていうのは、常にリアルタイムで更新されていくものだった。でも、ここではそれが当たり前じゃない。スピードがすべてだった世界から、のんびりと時間が流れる世界へ。

 環境が違えば、価値観も変わる。なら、やり方を変えればいい。


「……一旦、この案は保留にしよう」俺は静かに口を開いた。


「情報の管理や伝達手段をもう少し考えてみる。集めた情報が古すぎて役に立たないなら、意味がないからな」


 一拍おいて、俺は図面を見下ろしたまま、ぽつりと呟く。

「情報は、それによって行動ができるときにのみ、力となる。そのとき初めて、それは知識となり、そして真の力となる」——ダニエル・バラス


 沈黙が一瞬、空気を締める。


「……それ、どこかの有名な学者の言葉か?」

 コールが眉をひそめて尋ねる。


「俺のいた所じゃ、未来予測の専門家って呼ばれてた人が、こんなことを言っていたなと思ってさ」


 そう答えると、エレノアが肩をすくめた。

「未来予測かぁ……ふふ、ソーマって本当に面白いわ」


「でも、ちょっと分かる気がします」フィオナが目を輝かせながら続けた。

「ただ情報を知るだけじゃなくて、“行動しないと”意味がないんですよね」


 その言葉に、アメリアが深く頷いた。

「それなら、なおさら“白樫亭で得られる情報は信頼できる”って評判を作ることが大切になるわね」


 その通りだ。俺は静かに図面を指先でなぞりながら、改めて思考を組み立てる。この世界に合った情報の扱い方——それが見つけられれば、白樫亭はもっと強くなれる。


 そして俺自身も、もう少しこの場所に根を下ろせる気がした。

ご覧いただきありがとうございました。


情報とは、意味と目的を与えられたデータである。— ピーター・ドラッカー


この言葉は、単なる事実や数字の集まりが、明確な意図や活用方法と結びついて初めて真価を発揮する、という意味合いを持ちます。

本話では、異世界で情報の価値を見出そうとした主人公が、元の世界の常識との違いに直面しました。単なる旅人のデータも、この世界で意味(信頼性)と目的(旅人の助け)を与えられなければ、力にならない。異世界での情報の扱い方について、主人公が深く考えさせられる展開でした。


「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ブックマークを宜しくお願いします。

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