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#12 「世界を変えたいなら、家に帰って家族を愛しなさい。」— マザー・テレサ

 エリシアと話を終えた俺は、この白樫亭にどんな強みがあるかを知るため、白樫亭の建物と敷地内を見て回った——。

 そして、自室へと戻り、扉を閉めると、深く息をついた。


 状況は、決して楽観できるものではない。

 不動産ギルドの圧力、宿の評判を落とすための陰湿な工作。さらにはエヴァレット母娘(おやこ)への嫌がらせを超えた強硬手段。どれも、白樫亭を追い詰めるために計算された手口だ。


 この宿を助けるべきか?  俺は、すでに答えを出していた。


 この世界に来て、何の基盤も持たない俺が生きていくためには、足場を築かなければならない。白樫亭はそのための起点になり得る。


 もしここが繁盛すれば、不動産ギルドの横暴を覆すことができるかもしれない。

 そして何より、この宿には、それを成し遂げるだけの価値がある。


 俺は机に肘をつきながら、ふと目を細めた。


「……最大のチャンスは、誰もが見捨てた場所に眠っている」—— ピーター・ドラッカー


 独りごちたその言葉に、俺自身の迷いが払拭されていくのを感じた。

 机に腰掛け、冷静に白樫亭の状況を整理する。



[ポジティブ要因]


・立地は悪くない。ローデンブルグのメイン通りから一本入った道沿いだが、逆に静かで落ち着いている。冒険者ギルド支部や商業区に近い。


・建物自体も手入れが行き届いている。老舗らしい雰囲気があり、落ち着いた宿を好む旅人には魅力的に映る。


・食事の質も高い。俺自身が食べた限りでは、日本の宿屋のようにしっかりとした味付けで、旅の疲れを癒してくれる食事が出る。宿泊客の満足度を上げる武器になる。(これは白樫亭の潜在的な競争力になる)


・アメリアたち母娘の人柄も、客を惹きつける要素だ。気さくで、親しみやすい雰囲気は、まるで家に帰ってきたかのような安心感を与え、リピーターを生む可能性が高い。旅人たちにとっては、ただの宿泊場所ではなく、心を休める癒しの場となるだろう。(これこそ、他の何にも代えがたい白樫亭の魂だ)



[ネガティブ要因]


・不動産ギルドの妨害。白樫亭の悪評が意図的に広められ、客足が遠のいている。(これは、表向きの攻撃)


・他のギルドと連携して、不動産ギルドの息のかかった宿泊施設に泊まると特典が得られる仕組みが作られている。結果、冒険者や旅商人たちが白樫亭を選ぶメリットが相対的に薄れている。(これは、経済的な締め付け)


・この街は不動産ギルドの影響力が強く、今後さらなる嫌がらせが発生する可能性も高い。(そして、これは潜在的なリスク)



 ネガティブ要因を覆し、ポジティブ要因を強化する。そのために、宿の魅力を再構築する必要がある。


「冒険者や商人が泊まりたくなる宿か……」


 俺は腕を組みながら考え込む。


 彼らにとって、宿を選ぶ基準は何か?


 ただ寝る場所があればいいわけではない。より快適で、実利的な価値を持つ宿なら、多少のリスクがあっても選ばれるはずだ。商人ならば、安全性、情報、交流の場が重要だ。冒険者なら外出中の管理、つまり信用が鍵になる。


 これを活かせば、白樫亭をただの宿から、「彼らにとって必要な場所」に変えることができるかもしれない。


「宿の改革……面白くなってきたな」


 俺は手元の紙に、いくつかのアイデアを書き留めながら、具体的な戦略を練り始めた。



     ***



 朝日が差し込む部屋の中で、俺は目を覚ました。

 昨日の出来事がまだ脳裏に焼き付いているが、眠ったおかげで少しは疲労も抜けた気がする。


 傷も、ほとんど癒えていた。


 寝ぼけた目をこすりながら身を起こすと、椅子にかけられていた服が目に入る。昨日、アメリアから譲り受けたものだ。彼女の夫、ルーカスの服だったらしい。

 着てみると案外しっくりきて、悪くない着心地だった。


 部屋を出て階段を降りると、食堂ではフィオナが朝の支度をしていた。


「フィオナ、おはよう。もう大丈夫なのか?」


 彼女は振り返り、ふわりと微笑んだ。が、次の瞬間——


「……お父さん?」

 ぽつりとこぼれたその声に、俺は思わず立ち止まる。

 フィオナの目が驚きに見開かれ、じっと俺を見つめていた。


「……あっ、ご、ごめんなさい! 違うんです、一瞬、その服が……」


 慌てて頭を下げるフィオナの姿に、ようやく思い至る。

 この服、ルーカスのものだったな。


「いや、気にするなよ」

 そう言って軽く笑ってみせたが、フィオナの表情はまだどこか硬い。昨日の件が尾を引いているのかもしれない。


「昨夜はよく眠れたか?」

「……はい。でも、まだ少し怖くて」

 フィオナは目を伏せて、小さく息を吐いた。


「昨日は、本当にありがとうございました。もしソーマさんがいなかったら……」

「俺は何もしてないさ。エリシアがいなかったら、どうなってたかわからない」


 そう返すと、フィオナはそっと微笑んだ。

「それでも、助けてくれてありがとうございます」


 まっすぐな瞳で言われると、なんだかくすぐったい。

 胸の奥に、言葉にしづらい何かがふつふつと湧いてくる。温かいものが広がり、それが次第に、強い意志の光を帯びていくような感覚。


「……ああ」

 小さく頷きながら、その感情を持て余す。


 これはなんだ? 俺がこの世界で、初めて明確に抱いた、誰かに対する——。


 まだ自分に何ができるかなんて分からない。けれど、この世界で出会った彼女たちを守りたいという気持ちだけは、確かに芽生え始めていた。


 あの理不尽な暴力から、この温かい場所を。


 異世界での自分の役割を模索する中で、守りたいものが少しずつ増えていく。

 その事実に戸惑いながらも、不思議と心は安らいでいた。


「さあ、朝ごはんにしましょう。ソーマさんもお腹が空いているでしょう?」

 フィオナが明るく言いながら、テーブルの準備に取りかかる。


「ああ、そうだな」

 俺はその後ろ姿を見つめながら、窓から差し込む穏やかな朝の光に、静かな安心感を覚えていた。



     ***



 朝食の片付けが終わり、食堂には俺、アメリア、そしてフィオナが残っていた。


「アメリアさん、少しお話しできますか?」

  俺がそう声をかけると、アメリアは軽く息を吐きながら俺の方へ向き直った。


「何かしら?」

「事情は、もう分かっています。白樫亭が不動産ギルドに狙われていることも、経営が苦しいことも。俺に、何か手伝わせてくれませんか?」


  アメリアは少し目を見開き、それから苦笑した。


「……気持ちは嬉しいけれど、ソーマさん。あなたに頼るわけにはいかないわ。今の状態じゃ、満足な給金も払えないし、それに……この宿を守ることは簡単なことじゃない。不動産ギルドに逆らうのは、この国で命取りになることだってあるの」


「それでも、俺はやりたいんです」  俺は強く言った。


「アメリアさん、俺はここで、フィオナとアメリアさんの温かさに触れて、この宿が好きになりました。ここには……俺にできることがある気がするんです。だから、お願いします。俺にこの宿を立て直す手伝いをさせてください」


 アメリアは驚いたように俺を見つめ、しばらく沈黙した。

「……ソーマさんが、そこまで言うなら……」


 迷いが滲む声だったが、彼女の表情には決意が垣間見えた。


「ありがとうございます。実は、俺には白樫亭を立て直すための計画があります」


 そう、アメリアに告げた時、「ソーマさん、私にもそれを聞かせてもらえますか?」 フィオナが小さく口を開いた。


 瞳には強い意志が宿っている。

「私もこの宿を守りたい。だから、できることがあるなら知りたいんです」


「フィオナ……」

 アメリアが優しく彼女を見つめる。


(この宿を守る。そしてこの場所を、俺がこの世界で生きていく足場にする。そのための、最初の一歩だ)


  俺は二人の視線を受け止め、ゆっくりと頷いた。



     ***



「白樫亭の強みは、何だと思いますか?」


 唐突な俺の問いに、フィオナとアメリアが顔を見合わせた。言葉を探すように視線が行き交う。


「昔は、旅人が安心して泊まれる宿として評判が良かったわ。食事もおいしいし、居心地の良さには自信がある。でも……」

 アメリアの声が途切れる。横でフィオナも困ったように眉をひそめた。


「今はその評判が落ちてしまった……そういうことですよね?」

 俺の問いかけに、ふたりはゆっくりと、苦しげに頷いた。


「白樫亭は、この街で最も歴史ある宿です。かつては質の高いサービスで知られ、旅人たちにとって、ただの寝床じゃなかった。安心して休める場所であり、情報を交換する場でもあった。……俺は、そこにこそ立て直すヒントがあると思ってます」


 言いながら、過去の白樫亭の姿を想像した。今はその輝きを失っているが、取り戻せないはずがない。


「でも、ギルドの嫌がらせでお客さんが来なくなってるのよ? それをどうにかできるの?」

「方法はいくつもあります。大事なのは、白樫亭に“ここにしかない価値”を持たせることです」


 俺は一拍おいて、ふたりの視線を受け止めるように微笑んだ。


「ビジネスの目的は顧客を創造することである」—— ピーター・ドラッカー


 その言葉に、アメリアとフィオナの瞳に、わずかに光が戻るのを感じた。


「今のままじゃ、お客さんは減る一方なのは明らかです。でも、改善できるところは確実にある」

「でも、改善って……具体的にどうすればいいんですか?」


 フィオナが身を乗り出し、真剣な目で俺を見つめてきた。

 俺はペンを置き、ふたりの方に向き直る。



 ちょうどそのとき、食堂の扉が開き、カイルたち三人が入ってきた。


「おいソーマ。その話、俺たちも手伝うぜ」


 不意に声をかけてきたカイルに、アメリアが驚いたように顔を上げる。

「そんな……あなたたちにまで負担はかけられないわ」


 しかし、カイルは真っ直ぐに首を振った。

「違うんだ、アメリアさん。俺たちが今こうして冒険者としてやっていけてるのは、昔、金もなくて飯にも困ってた頃に、ルーカスさんとアメリアさんが助けてくれたからだ」


 その言葉に、エレノアとコールもうなずきながら言葉を重ねる。

「白樫亭がなかったら、私たちはここまで来られなかったと思います。だから今度は、私たちが恩返しをする番です」

「そういうことだ。ここを守るためなら、俺たちも協力する」


 アメリアの目に、うっすらと涙がにじむ。唇を震わせながら、それでもはっきりと声を絞り出した。

「……ありがとう。そんなふうに思っていてくれたなんて……本当に、ありがとう」


 彼女はこらえきれない涙を拭いながら、カイルたちの申し出を静かに受け入れた。

ご覧いただきありがとうございました。


今回のタイトルテーマは、マザー・テレサの「世界を変えたいなら、家に帰って家族を愛しなさい」という言葉です。これは、大きな変化は最も身近な場所、愛する人々から始まるという意味です。


本話では、主人公が白樫亭とそこに暮らす人々を「守りたい」という強い気持ちを抱きました。彼の異世界での新たな「家」と「家族」とも言える場所への愛こそが、現状を変える最初の一歩となります。

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