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#11 「名を与えることは、存在する場所を与えることだ。」— シモーヌ・ヴェイユ

「ランド・オラクル?」


 その言葉を口にした瞬間、何かがカチリと噛み合った気がした。

 曖昧だった力の輪郭が、ようやく形を持ちはじめた。

 まるで、ずっと迷子だったものが本来の場所に収まるような感覚——。


 “ランド・オラクル”


 その名前を知ったことで、この力が俺の中に静かに馴染んでいく。

 まるで、最初からそこにあったかのように。

 長く眠っていた何かが、今になって目を覚ましたようだった。


 その感覚に戸惑っていると、エリシアがゆっくりと頷いた。

「エルフの古い伝承にあるのよ。土地の記憶を読み取り、地脈の流れを視る力……」


 深いエメラルドグリーンの瞳が、じっと俺を見つめてくる。

「でも……実在するとは思わなかったわ」


「土地の記憶……?」


「そう。私たちエルフは、土地と共に生き、地脈と調和することを重んじる。土地はただの地面じゃない。そこには、過去の痕跡や、存在した者たちの記憶が刻まれているの」


 エリシアはふと、窓の外へと視線を向けた。

「地脈は、世界を巡るマナの血流……言わば、大地の血管であり、世界の神経網。生き物の体と同じよ。流れが滞れば病を生み、乱れれば大地そのものが歪む。都市が繁栄するのも、森が豊かであるのも、すべてはマナの流れが支えている。そして、それに逆らえば、大きな災厄を引き起こすこともある」

 声は静かだったが、その奥に淡い警告の色がにじんでいた。


「……俺が見たのも、その一部ってことか?」


「ええ。でも、それがどの程度のものかは、まだ分からない」


 彼女の視線が再び俺に戻る。そこには、興味と、言葉にしきれない迷いが宿っていた。

「あなたは、その力を……どう思っているの?」


「どうって……」

 俺は言葉を探し、少しだけ黙った。


「まだよく分からない。でも、知りたいとは思ってる」


 エリシアは一瞬だけ、納得したようにまぶたを伏せた。けれどすぐに、その表情を引き締め、言葉を重ねる。

「……でも、なぜあなたがその力を持っているの?」


 その問いに、俺は眉をひそめた。

「さあな。気がついたら森の中で目を覚ましてて……そのうち、いつの間にか使えるようになってた」


「森の中で……?」 エリシアの視線が刺さる。


 いや、普通ならこれだけの美人に見つめられれば喜ぶところなんだが……今は妙に居心地が悪い。尋問されてる気分だ。


「普通の人間が、突然地脈を視るなんてこと、ありえないわ。いえ……、私たちエルフにだって無理よ」


「俺にも分からない。でも、現に視えてる」


「……」 彼女は目を細め、しばし沈黙した。何かを考えている様子だったが、それを口にすることはなかった。


「もしかしたら、あなたのその力は、私たちが知る“ランド・オラクル”とは違うものかもしれない」


「違う?」


「わからない……でも、それが本来なら、この世界に存在するはずのない力だとしたら……」 そこでエリシアは言葉を切り、軽く首を振った。


「……ごめんなさい。今はまだ、答えを出すべき時じゃないわ。でも——気をつけて。あなたのその力は、あなた自身が思っているよりも、ずっと大きな意味を持っている可能性がある」


 その一言には、ただの忠告ではなく、何かを感じ取っている者の確信があった。


「わかった。十分気をつける」


「それなら、いいわ」


 短い静寂がふたりの間に降りる。


 宿屋の灯がわずかに揺れ、窓の外から涼やかな夜風が吹き込んだ。


     ***


「で、エリシアは、あれからどこに行ってたんだ? 俺のことでも調べてたのか?」

「そうじゃないわ。私が調べていたのは、この宿のことよ」


「んっ。白樫亭のことで何かわかったのか?」


「フィオナが狙われたのよ。あんなに善良な母娘が、ただのゴロツキに襲われるなんて、不自然でしょ? だから調べてきたの」


 すぐに眠らされ、救出後すぐにエリシアが適切に処置してくれたこともあり、幸いにもフィオナのショックはそれほど大きくなかった。それでも、白樫亭の危機が去ったとは思えなかった。


「そうだよな。さっきカイルたちとも、その話をしてたところだ」


「カイルたち?」


「ほら、今一緒に帰ってきた——」


「ああ、あの冒険者三人組ね」

 エリシアは興味なさげに肩をすくめた。彼らにはさほど関心がないようだ。


「それで? 白樫亭について何かわかったのか?」


「捕らえた男たちは、ただの街のゴロツキだったわ。彼らはフードを被った男に金で雇われただけで、フィオナを攫う理由までは聞かされていなかったそうよ」


 そんなところだろうとは思っていた。 だが、やはり、あの逃げた奴が本命だったか!


「フィオナをどうこうするつもりはなく、少し脅したらすぐに解放するように言われていたらしいわ。しかも、報酬が良かったから、深く考えずに引き受けたそうよ」


「で、そのフードの男の正体は?」


「分からない。でも、少し気になる話をしていたの。……ゴロツキの一人がね、そいつ右手に見慣れない模様の指輪をはめていたって。その指輪には薔薇の紋章が描かれていた。聞く限りでは、最近、不動産ギルドの関係者が付けている指輪によく似ているわね」


「ギルドの関係者……ってことか?」


 今さらながら、あの男を捕まえられなかったのが悔やまれる——いや、戦えない足手まといの俺とエリシア……男四人を相手にして、あの場ではフィオナを助けられただけで十分な成果だ。


「……つまり、不動産ギルドが裏で手を引いてる可能性があるってことか?」


「ええ。そして、問題の核心はそこよ」 エリシアの声が少しだけ低くなる。


「端的に言えば、白樫亭はローデンブルグの不動産ギルド支部から土地の譲渡を求められているの。でも、それを断ったから、圧力をかけられている。今回の襲撃も、その一環と見ていいわ」


「……でも、それって変じゃないか? この国の土地って、庶民が持つことはできないんだろ? なら、譲るも何も——」


「普通はね」 エリシアは軽く首を振った。


「白樫亭は例外なの。ローデンブルグが、まだ宿場町だった頃——不動産ギルドがこの街の管理に手を出す前の話よ。当時の領主が、宿の経営者に土地の所有権そのものを与えたの。白樫亭もその一軒だった」


「所有権を……? 本当に?」


「ええ。当時の領主は、交易の発展には宿が不可欠だと理解していたのよ。宿屋がなければ旅人も商人も滞在できない。だから、安定して運営してもらうために、正式な“土地の所有”を認めたの」


「なるほどな……借地だと、賃料が経営の重荷になるし、契約切れたら即退去ってのもありえる。そんな不安定な立場じゃ、商売にならないってわけか」


「そう。土地を持つってことは、経営の命綱を握ってるのと同じ。だからこそ、白樫亭は長く続けてこられたのよ」


 俺は腕を組んで、少し考える。

「ってことは、その所有権が今も有効だとすれば……ギルドはそれを無理にでも取り上げたいってことか」


「そういうこと。土地の管理を一手に握りたい不動産ギルドにとって、白樫亭は“管理外”の存在。だから、あの手この手で揺さぶってきてるの」


「……そして、今回の襲撃ってわけか」


 エリシアは小さく頷いた。

「正面から取り上げる法的根拠がないから、裏から揺さぶるしかないのよ。不動産ギルドが本気で動いてるとすれば、ここから先は、もっと露骨になっていく可能性があるわ」


「フィオナたちを守るためにも、放ってはおけないな」


「ええ。それに……この土地には、まだ何かある気がする」


「……それは何だ?」


「まだ、わからない。でも、それを確かめるには慎重に調べる必要があるわ」


 白樫亭が“例外”である理由。不動産ギルドがそこまでして狙う理由。まだ分からないことは多いが、少なくとも、この宿を巡る問題は想像以上に根が深い。


「エリシア、引き続き調査を頼めるか?」


「もちろんよ。でも、あなたも気をつけて。土地の争いは、理屈だけじゃ済まない。力でねじ伏せようとする者もいるわ」


「……十分、わかってる」


 エリシアはほんのわずかに、口元を緩めた。

「なら、いいわ」


 静かな風が窓を揺らし、灯火がかすかに明滅した。

ご覧いただきありがとうございました。


今回のタイトルは、シモーヌ・ヴェイユの言葉「名を与えることは、存在する場所を与えることだ」から取らせていただきました。これは、名付けにより存在が認識され、場所を得るという意味です。


本話では、「ランド・オラクル」という力に名前が付与され、主人公の中でその輪郭が明確になりました。また、白樫亭の土地が持つ特別な「所有権」も、その場所性を強調する要素でした。名が与えられ、場所が定まることで物語が進展していきます。


「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ブックマークを宜しくお願いします。

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