#09 「真実は太陽のようなものだ。一時的に隠すことはできるが、消え去ることはできない。」— エルヴィス・プレスリー
「……見失った?」
しばらく進むと、足跡が途切れた。エリシアが険しい表情で周囲を見回す。
路地は何本にも分かれ、どの道へ進んだのか分からない。
足跡は石畳の上で途切れ、痕跡を追えなくなっていた。
「……これじゃ、どっちへ行ったのか……」
エリシアが悔しげに呟く。
その隣で、俺は額に手を当てた。焦るな、何か手がかりが——
瞬間、視界がぶれた。
(……ん?)
景色が歪み、時間の流れが揺らぐような感覚。
足元から、淡い光の粒子が立ち上る。
霧のように漂い、微かに大地の鼓動が響くような錯覚を引き起こした。
———
かすかな残像が、目の前に映し出された。
ぼんやりとした影が、狭い路地の奥へと進んでいく。
フィオナだ。
服の端が乱れ、何者かの腕に抱えられたまま、
暗闇へと消えていく。
———
そして、消えたその先——道にかすかに金色の筋が浮かび上がる。
(……これは)
俺にしか見えない、光が示す導線。
フィオナが連れ去られた道が、かすかに光を放って示されている。
「こっちだ!」
俺は迷いなく駆け出した。
「は!? ちょっと、ソーマ!」
エリシアが慌てて俺の後を追う。
俺には確信があった。この光の道が示す先に、フィオナがいる。それが分かる。
俺とエリシアは人気のない路地裏を進んだ。
大通りから外れたこの道は、人通りが少なく、石畳もひび割れ、建物の壁には古びた布や壊れかけの木箱が無造作に積まれている。
湿った空気とほのかに漂うカビ臭さが、長らく使われていない場所であることを物語っていた。
「……どうやら、ここみたいね」
エリシアが低く呟く。
俺たちの目の前には、ひときわ荒れ果てた建物があった。
壁の一部は崩れ、扉も元々あったのか怪しいほどに朽ちている。
だが、地面には比較的新しい足跡がいくつも残っていた。
「フィオナの足跡も混ざってるな……」
俺は、地面に残った小さな足跡に目を向けた。
他の足跡よりも軽く、無理やり引きずられたかのような形だ。
「間違いないわね……この中にフィオナがいる可能性が高い」
エリシアはそう言いながら、腰に下げた剣の柄に手を添える。
表情は鋭く、戦闘態勢に入る準備をしていた。
「……でも、ソーマ」
エリシアがこちらに視線を向ける。
「なぜ、ここだって分かったの?」
俺は少しだけ口を引き結んだ。
(……どう説明する?)
目の前に浮かんでいた光跡は、今はもう消えていた。
あの幻のようなビジョン——俺にしか見えていなかった。
「……勘だよ」
俺はそう言って、建物の入口へと視線を向けた。
「突っ込むか?」
そう尋ねると、エリシアは一度、路地の奥へと目をやった。 風に乗って、遠くの喧騒がかすかに届く。
「……慎重に行くべきね。相手が何者かも、何人いるかも分からないわ」
当然の判断だ。だが、ここで悠長に構えている余裕はない。
「どうする? 衛兵を呼ぶか?」
——そんな時間があるとも思えないが。
エリシアはほんの少し考え込み、唇を引き結んだあと、俺の方へ向き直る。
「……私が先に入るわ。あなたは後ろでフォローして」
「待て、それじゃ俺は見てるだけか?」
「あなた、戦えるの?」
……当然の指摘だ。俺には剣も魔法も扱えず、戦闘経験もない。
正直、怖くないと言ったら噓になる。
それでも——
「だからって、女性一人に危険な場所へ行かせるわけにはいかないだろ」
口にした自分の言葉に、少し驚いた。
無謀だと自覚しているのに、なぜか胸の奥が熱い。
アドレナリンなのか、怒りなのか……それとも、別の感情か。
エリシアは呆れたようにため息をつく。
「……あなたって、本当に無鉄砲ね」
「よく言われる」
肩をすくめると、エリシアはふっと小さく笑った。
「じゃあ、せめて足手まといにはならないで」
「ああ、約束する」
目を合わせたまま、互いにうなずく。
そして、俺たちは再び建物に向き直った。
「行くわよ」
エリシアが静かに建物の影へと滑り込む。
俺も、それに続いた。
***
エリシアは静かに目を閉じ、短く息を吐いた。
そして、淡々と詠唱を始める。
風が彼女の周囲に集まり、小さな渦を巻きながらそっと屋内へと忍び込んでいった。
「三人……中央の広間に二人、奥に一人いる」
エリシアは目を開き、低く呟く。
bその表情には確信があった。
だが——
(……いや、違う)
視界がぼんやりと揺らぐ。砂粒が風に舞うように、淡い光の粒が空間に滲んでいた。
———
そこに、何かが“いる”——
粒子は廃屋の奥に潜む、
四人目の人影を浮かび上がらせる。
———
(……三人じゃない。もう一人いる)
気配を消しているのか、 何かの魔法か。
エリシアの魔法では感知できなかった敵の存在が、俺の“視界”には、確かに視えていた。
「待て、エリシア。もう一人いる」
「何を言ってるの? 私の風が感知したのは三人よ」
エリシアはわずかに眉をひそめる。
「でも、俺には“視える”んだ」
「……確証もないのに、無駄な警戒をしている暇はないわ」
言い切ると同時に、新たな呪文を紡ぎながら、迷いなく廃屋の扉を蹴破った。
突入と同時に、エリシアの風の魔法が室内を駆け巡った。
突風が広間の男たちを吹き飛ばし、壊れかけた椅子やテーブルが宙を舞う。
「ぐあっ!」 「なんだ、くそっ!」
一人がまともに風を受け、壁際に叩きつけられた。
もう一人は素早くナイフを構え、なんとか踏みとどまる。
エリシアは迷いなくレイピアを抜き、ナイフの男へ突撃する。
鋭い刺突が、相手を追い詰める。
(強いな……まるで、手慣れた冒険者みたいだ)
彼女の剣技は華麗で無駄がない。
すぐに男の太ももを貫き、うめき声を上げさせた。
(……いる)
次の瞬間、俺の視界が揺らぎ、光の筋が室内の隅で脈打った。
———
倒れたテーブルの陰。
そこに、確かな“何か”の存在が視える。
ナイフを構え、エリシアの隙を虎視眈々と狙っている。
———
(あそこ……!)
考えるより早く、身体が動いた。
床に落ちていた壊れた椅子の脚を掴む。 戦う力はない。
でも、ここで、今、この「視えた」情報を使わなければ、エリシアが危ない。
力いっぱい、その“何か”が潜む場所へ投げつけた。
「ぐっ!」
椅子の脚が男の腕に当たり、ナイフが弾かれる。
その一瞬の隙を、エリシアは逃さなかった。
すかさず前へ踏み込み、レイピアで鋭く突く。
「ぐあぁぁ……!」
肩を深く貫かれた男は、かすかな悲鳴を上げ、その場に崩れ落ち、のたうち回る。
「助かったわ」
エリシアが短く言い、緊張を解こうとする。
その眼差しに、かすかな驚きと、疑問が浮かんでいた。
だが、まだ終わりではない。もう一人いるはずだ!
その瞬間——俺の視界が再び揺らぐ。
———
背後、梁の上。“そこに潜んでいる”。
クロスボウを構え、エリシアに狙いを定めている。
———
(まずい!)
「エリシア、伏せろ!」
俺の叫びと同時に、梁の上から矢が放たれる。
エリシアは反射的に身を低くし、矢は彼女の頭上すれすれを通り過ぎた。
「チッ……」
梁の上からフードを被った男が飛び降りる。
静かに着地し、クロスボウを放り捨て、代わりに小剣を抜いた。
その構えと動きは、これまでのゴロツキとはまるで違う。
(こいつ、プロか!?)
エリシアは即座にレイピアを構え直し、男と対峙する。
お互いが距離を測りながら、じりじりと間合いを詰めていく。
レイピアと小剣が交錯し、金属音が響いた。
攻防はエリシアが押しているように見えた。
(違う……)
俺の視界が再び揺らぐ。光の粒子が、エリシアの足元を中心に、脈打つように浮かび上がった。
———
エリシアの足元、床の一部に、空間の歪みが視える。
そこが弱くなっている。
彼女が一歩踏み込めば、床が抜け落ちる
———
(間に合わない……!)
俺は衝動的に駆け出し、エリシアに飛び掛かろうとする男へ向かって突進する。
「エリシア、足元だ! そこは——」
俺の叫びとほぼ同時に、床が崩れた。
「——っ!」 エリシアの身体が傾ぐ。
男が小剣を構えて襲い掛かった。
「おおおおっ!!」
反射的に拾った木片を振りかざし、全力で男に叩きつける。
戦えるわけがない。
それでも、この「視えた」情報を使って、わずかでも隙を作らなければ。
身体が勝手に動く。
フィオナを助けに来たんだ。
エリシアを守らなければ。
「ぐっ……!」
その一撃はわずかにそれたが、男の体勢を崩すには十分だった。
俺の必死な一撃が、僅かに軌道を狂わせた。
その隙に、エリシアが体勢を立て直し、鋭い突きを放つ——だが、男は紙一重で身を翻し、刃を避ける。
「チッ……!」
舌打ちと同時に、男は一気に距離を取り、廃屋の奥へと駆け出した。
「待ちなさい!」
エリシアが追おうとするが、男はすでに影の中へと消え、次の瞬間には扉の外へと姿を消した。
戦闘が終わり、俺は荒い息を吐きながら肩を押さえた。
エリシアはレイピアを納め、俺を見下ろす。
「……あなた、どうして、あいつの事がわかったの?」
その瞳には、驚きと疑問が入り混じっていた。
自身の感知魔法が及ばなかったことへの、魔術師としての困惑も垣間見えた。
俺は自分の手を見る。まだ震えが残っている。
「……分からない。ただ、俺には見えたんだ。あそこに居るって」
エリシアはしばらく俺を見つめた後、短く息を吐いた。
納得がいかない表情でありながら、事実を前に言葉を選んでいるようだった。
「……後で聞くわ。今はフィオナを助けるのが先よ」
「ああ」
俺たちは、急ぎ、奥の小部屋へ向かった。
***
「フィオナ!」
俺は声を張り上げながら、エリシアと共に奥の小部屋へ飛び込んだ。
そこには、椅子に縛られぐったりと項垂れるフィオナの姿があった。
顔色は悪く、浅い呼吸を繰り返している。意識はないが、苦しんでいる様子はない。
「……眠らされているわね」
エリシアがフィオナに近づき、手首を軽く取って脈を確かめる。
「薬か……?」
「ええ。催眠作用のある薬草を使ったのね。無理に揺り起こすと逆効果だから……」
エリシアはそう言うと、レイピアを鞘に収め、手を前に掲げて小さく詠唱を始めた。 次の瞬間、淡い青い光が彼女の手元に灯る。
透明な水滴がふわりと空中に生まれ、それがゆっくりとフィオナの額へと落ちた。
その瞬間——
「……ん、ぁ……」
フィオナがかすかに身じろぎし、瞼が震える。
ゆっくりと開いた瞳がこちらを捉えるが、まだ意識がはっきりしないのか、すぐに状況を理解できない様子だった。
「フィオナ、大丈夫?」
エリシアが優しく声をかける。
フィオナの視線が俺たち二人を見つめ——やがて、その顔に困惑の色が浮かんだ。
「……ここは……? どうして、わたし……」
俺が優しく語りかける。
「フィオナ、大丈夫だ。俺とエリシアだ」
俺の言葉に、フィオナの視線が俺へと移る。
そして、次にエリシアを見ると——
「……エリシアさん? それに……ソーマさん?」
声に安堵が混じる。
エリシアがフィオナの手を取り、穏やかな声で言った。
「心配しないで、フィオナ。私たちはあなたを迎えに来たの。もう大丈夫よ」
「迎えに……?」
フィオナはまだ状況がつかめないようだったが、二人の顔を見て、ゆっくりと頷いた。
俺はフィオナの肩に手を置き、もう一度安心させるように言った。
「ああ、安心しろ。もう大丈夫だ」
エリシアは素早く彼女を縛っていたロープを解き、俺はそっと彼女の腕を支えながら立たせる。
「歩ける?」
「……はい、大丈夫です」
まだ少し足元が覚束ないようだが、しっかりと立とうとする意志は感じられる。
「なら、急ぐわよ」
エリシアが辺りを見回しながら言う。
「この場所に長居は無用ね」
俺たちはフィオナを支えながら、小部屋を後にした。
広間には、床に伏せたまま呻き声をあげる二人の男。
そして、エリシアの風で吹き飛ばされた男は、まだ意識を失ったまま倒れていた。
先ほど逃げたフード男の姿は、どこにもない。
エリシアはわずかに眉をひそめたが、すぐに肩をすくめる。
「まあいいわ。どこに逃げても無駄よ」
そう言うと、室内を見回し、端に転がっていた古びたロープを拾い上げた。
「ソーマ、こいつらを縛るのを手伝って」
「了解」
俺たちは、三人の男をロープで椅子に縛りつけた。
これで、しばらくは動けないはずだ。
「さて……」
エリシアが静かに詠唱を始める。
先ほどの水の魔法とは違い、今度は風の精霊魔法のようだった。
彼女の周りの空気が揺らぎ、かすかな気流が広がっていく。
「何をしてるんだ?」
俺が尋ねると、エリシアは目を閉じたまま小さく答えた。
「この魔法は、風を使って特定の相手に声を届けることができるのよ」
なるほど。俺の世界でいう携帯電話……いや、音声メールみたいなものか。
「これで、しばらくしたら衛兵が駆けつけるはずだわ」
魔法の効果が終わると、エリシアは軽く息を吐いた。
「じゃあ、もうここに用はないわね。宿に帰りましょう」
俺たちはフィオナを支えながら、廃屋を後にした。
ご覧いただきありがとうございました。
今回の第9話では、主人公の特殊な「視える」能力が重要な役割を果たしました。通常の感知魔法では捉えきれない、隠された敵の存在や状況の「真実」が、彼の視界には映し出されました。
ここで引用したいのが、今回のタイトルに設定した名言です。
「真実は太陽のようなものだ。一時的に隠すことはできるが、消え去ることはできない。」— エルヴィス・プレスリー
この言葉は、真実は一時的に隠されても見えなくなるだけで、決して消滅しないことを示唆しています。主人公の能力は、まさに「隠された真実」を白日の下に晒す力と言えるでしょう。
明日更新予定の第9話は、少し長いので19:00と20:30の二回に分けて投稿します。