#00 名もなき願い
光が、足元からゆっくりと満ちていく。
それは、差し込むような光でも、焼けつく炎でも、月明かりでもなかった。ただ、大地から息をするように湧き出す、あたたかな輝きだった。
黄金でもなく、蒼でもない。見る者によって変わる、記憶の色。
俺の輪郭は、波紋のようにほどけてゆく。
思考も感情も、名前さえも遠く霞んでいった。
ただひとつ、沈んでいくという感覚だけが、確かに残っていた。
音はなかった。静寂でもなかった。ただ、満たされていた。
いや——まるで自分が世界そのものになったような、あるいは世界と完全に溶け合って一つになったような、そんな感覚。
――なぜ、歩みを止めたの?
ふと、誰かの声が、心の奥で揺れた。
誰だ。女の声。懐かしく、遠く、けれど確かに温かい。
――あなたは、歩いていたはず。名を与え、かたちを与え、誰かの“居場所”をつくっていた。忘れたの?
胸の奥で、何かが脈打つ。古びた図面、土に刻まれた印、誰かがここで暮らした痕跡。
俺がこの手で拾い上げてきた数々の“声”が泡のように浮かび上がってくる。
――まだ、終わってない。まだ、始まってすらいない。
声は、世界の底から響いているようで……どこか、誰かの心そのもののようでもあった。
光の海は、なおも俺を包んでいく。輪郭が溶けていく。境界はもうなく、俺という存在が、音もなく融けていく。
恐怖ではない。渇望でもない。ただ、そこに在り続けたいという、名もなき願いだけが、残っていた。
――間違っても、構わない。問い続けて。見つけて。名前を与えて。
言葉にならない声に、俺は微かに頷いた。
この光の海の底で、何かが始まろうとしている。
見えない誰かが、俺の指先にそっと触れた気がした。
それが、この世界なのか、彼女なのか……今は、まだわからない。
ただ、確かなのは――