久しぶりの再会
久しぶりに更新しました。
今後もゆっくりなペースになると思います。
「母さま、母さまのお好きな花が咲きましたよ」
そう言って母の視線の先に、一輪挿しの白いデイジーの花を置いた。
危篤の知らせを受けて慌てて領地へと帰ってきたディーは、母の看病を一手に引き受けていた。学業はとりあえず休学することにして、父や兄の代わりに領地経営の手伝いもしている。姉にはその才能を大事にして存分に機織りをしてもらいたいと思っているし、領地の管理はカウフマン家の一員としての責任だ。
「……季節は廻っているのね。ありがとう、ディー」
そう返したアンネリーゼの弱々しい笑顔が痛々しく、だが悟られないようににこりと口角を上げてディーは続ける。
「この花をモチーフとして今、デザインを考え中なの。母さま、完成したら見て下さいね」
学校は休んでいるが、懇意にしていた芸術学の教授がディーを惜しんでいろいろ気にかけてくれていた。近々隣国で国際的なデザインコンテストが開催されるから、ディーも出願してはどうかと知らせてくれたのだ。
「昔から貴女は絵がとても上手だった。きっといいものが描けるわ。楽しみね」
楽しみにしていてくださいね、と返してディーは部屋から下がる。いつだって母は弱音ひとつ吐かずに大人しく看病されている。放っておいたらきっと起き上がってあちこち整えに行くだろう。
医者は気弱になられているようだと、そんな適当なことを言うばかりでどうにもならない。いや、今はディーにも分かっていた。母のこの先は短いのだと。滋養のあるものを用意しても喉を通らない。無理をして食べようとすると戻してしまうのだ。
王都に居る父からは、好きにさせてやってほしいと便りが来ていた。何とか休みを取ってクリスと共に帰るからと。
シルヴィアにはこれまで長いこと母の世話を任せきりにしてきたから、わたしがしっかりしなくては。頬を叩いて、気合を入れ直す。父や兄にも帰ってきてほしいが、王宮での仕事が忙しいのは多くの人からの信頼の証だから、それぞれの場所で頑張ってほしいと思う。ディーは確実に少女らしさから脱却して早く大人にならんとしていた。
◆
掘り返された土の匂いが鼻をつき、黒々とした面を見せていた。まだ新しくてすべすべした墓標をぼんやりと眺めながらディーは立ち尽くしている。
父と兄が休暇を取る前に母はあっけなく逝ってしまった。元より虚弱な体質ではあったが、それにしても早過ぎる死だった。慌てて駆け付けた父と兄は、終始悔しさを顔に滲ませて、次々と訪れる弔問客に対して言葉少なに挨拶を繰り返していた。私のせいだと自分を責める姉は、今ここには居ない。母を看取った直後、姉自身も死神に囚われたような顔をして、倒れてしまったのだ。貴女のせいではないと姉を皆が慰めた。だが、心に負った傷はなかなか塞がらず、告別式には椅子を用意して立ち会ったものの、憔悴しきった様子で項垂れるばかり。
無理もない。ディーは思う。シルヴィアの婚約破棄の出来事は、確かに母にダメージを与えたのだから。
空は領民の心情を映したかのようにどんよりした曇り空だった。時折りぽつりと雨が当たる。優しく穏やかな母は、皆の憧れで崇拝の対象でもあった。平民の母は、領民たちにたいそう好かれていたのだ。その証拠に皆が持ち寄った花束で墓標が見えないほどになっている。ディー自身は棺の中に入れたものと同じデイジーの花を、新たに摘んできて土が盛られた場所へとそっと置いた。顔に雨が当たる。流した涙も一緒になって頬を濡らす。拭いもせずに立ち尽くし、静かな涙が零れ落ちていく。
1人きりでどれ程の時間を過ごしただろう。気付くと誰かが墓地のある丘へと登ってくるのが見えた。その人物は黒い大きな傘を手に、長い足で力強く大地を踏みしめるように、下を向いたままのディーの側に歩み寄った。
「なかなか戻って来ないから」
ユーリは言い訳をするようにぽつりと呟いて、傘をディーの頭の上に傾けた。
「……ごめんなさい。まだ離れたくなくて」
「いいんだ、分かってる。……残念だったな」
「ありがとう、ユーリ。式に出てくれて」
「俺にとって、アンネリーゼ様は母親のような人だったから当然だ」
簡単にそう言うが、アーデルの側近兼護衛として隣国にいたはずだったのだ。馬で駆けたとしてもこんなに早く帰って来れるわけがない。隣国から高い運賃を払って汽車を使ったに違いなかった。
「アーデルも来たがったんだ、本当は。でも出席すべき公式行事があって無理だった。ヤツの分もお悔やみを言わせて欲しい」
「うん。分かってる。……ありがとう」
ディーはじっと母の墓標を見つめて俯いたままだった。傘の下なのに、ぽたりぽたりと水滴が落ちて土に吸い込まれていく。傘を差し掛けたまま、俯くディーの様子をじっと見ていたユーリは、そっと彼女の肩に手を置いた。ぴくりとディーの背中が緊張するのが分かった。
「……ディー、そろそろ、戻ろうか」
何となく避けられているような気がしていたが、やはり俺は嫌がられていたらしい。緊張したディーに対してそう思ったものの、ユーリは彼女に触れるのを止める気はなかった。誰にも寄りかからず、今まで気を張っていたのだろう。自分がなんとか支えてやりたいと、その一心で肩から髪に触れて頭を抱え込むように自らの胸へと誘い込んだ。
「ディー、……ディートリンデ、」
愛称でなく名を呼ばれた途端、ディーの中で何かが決壊した。大粒の涙が膨れ上がり、嗚咽が止まらなくなる。ユーリを振り仰ぎ、縋るように背中に手を回して彼の胸に顔を擦りつける。
「う……っ、お、かあさま、っ……」
鍛えた体躯はディーに抱き付かれてもびくともしない。片手で傘を差したまま、幼児のようにしゃくりあげながら大泣きに泣くディーの背中を、ユーリは空いた手で撫で続けた。