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プロローグ

久しぶりに連載開始します。

 

「だからさ、いい話だと思うんだよね」


 ディーの目の前の美麗な男は、そう言い置いた。


「……確認させてもらっても宜しいですか? 殿下」


 虚を突かれた顔のまま、明らかに挙動不審なかくかくとした動きで何とかテーブルに置かれた紅茶のカップを手前に引き寄せてから、ディーは口を開いた。


「もう一度言うよ? 僕アーデルベルト・リヒト・ラインヴェーヴァーは、君ディートリンデ・カウフマンに婚姻を申し込みたいと思っている。どうだろうか」

「どうだろうか、って本気ですか?」

「本気、だよ。どうして疑うんだろうね」


 そう言いつつ、アーデルはくすりと笑ってみせた。信じられないと呆然と口を開けたままのディーを見ながら、さすが王族といえる優雅な仕草で紅茶を口にする。ディーはいえば、手前に引き寄せたものの、手に取ることなくソーサーの縁を指の腹で撫で廻すのみだった。

 そうなのだ、彼とは幼馴染みで王子とはいえ仲良くしてきた。でもそれは恋とか愛とかじゃない。あくまでも兄妹のような友情の範囲内だ、とディーは思っている。

 アーデルはやっぱり見惚れるような仕草で紅茶を飲み終え、カップをテーブルに置いた。次いで、僕は聞いたんだ、とぼそりと呟く。


「犬猿の仲な例の男爵令息が君に求婚しているらしいじゃないか。それと隣国の第三王子からも何やらお誘いがあるんだろう? そりゃ、君が本気で嫁ぎたいというなら、本気で希望するなら止めやしないさ。ただね」


 テーブル越しに顔をぐっと近づけて、にこやかな口元とは相反して真摯な色を映した瞳で、ディーのそれを覗き込む。


「男爵令息も第三王子も気に食わない時は、僕の求婚を盾にお断り出来るよ、と言ってるんだよ」

「それは、そうですね、……有難いことですけど?」


 アーデルの真っ直ぐな視線に耐え切れず、ディーはぐっと背を逸らして視線を遠ざけた。


「でも、わたし、アーデルのこと……」

「何だい?」

「……いえ、何でもありません」

「僕は君に結婚してもいいと思うほどには好意を抱いている。これは嘘じゃないよ、信じて?」


 揶揄われているのだろうか、とディーは思った。

 数年前に姉の縁談を破談にした、浮気者でいけ好かない男爵令息が今度はディーに擦り寄ってきているのは本当だ。それから隣国の第三王子が奨学金付きの留学というニンジンをぶら下げてディーを隣国へと取り込もうとしているのも事実なのだ。

 でもそれとアーデルからの求婚がどうして結び付く? 


「もしや君は、ただ断ればいいと思っているんじゃないだろうね」

「……だったら、何ですか」

「格上の人間を袖に出来るほど、カウフマン家には力はないんだな、これが」


 ディーは思わず眉間に皺を寄せた。彼の指摘は全く正しい。腹立たしいがやはりアーデルは揶揄っているのだ、わたしを。


「……だとしてもお断りするのみです」

「それは難しいね。そこで僕の出番だよ。僕の手を取れば、呆気なく望みは叶う」


 アーデルはこの国の第二王子だ。男爵家は逆らえないだろうし、隣国への牽制も効くのだろう。でも。


 あれこれ考えていると外が一気に騒がしくなった。馬の嘶きが聞こえる。どうどうと厩舎の使用人が宥めようとしつつ、何事かを叫んでいる。


「お、来たな。―――じゃ、僕はそろそろ退散するよ」


 最後に爽やかな笑みを残して、その長い足を腰高の窓枠へと掛ける。それは軽やかにダンスステップを踏んだように見えた。


「ディー、またね。いい返事を待っているよ」


 呆けたまま、ソファーから動けないディーは、颯爽と外へ飛び出して行った第二王子をぼんやりと見送った。


 玄関のほうが騒がしい。お待ちください、ただいま来客中です! というメイドの必死な訴えと、どけ、という居丈高な男の怒鳴る声が響く。


「ディー!」


 ディートリンデの愛称を呼ぶ声が響き渡ったと同時に、突き破らんばかりの勢いで扉を開けたのは、これまた古馴染みのユーリだった。額に薄っすらと汗を滲ませ、荒い息を吐いて、常に似合わず慌てふためいているようだった。彼は部屋の中をぐるりと見渡し、翻るカーテンに目を止めると、つかつかと窓へ近寄り身を乗り出して外を確かめる。

 ディーはというと、第二王子の唐突な求婚から窓を越えての逃亡までの成り行きを、まるで観劇していたかのようだと思っていた。つまりは全く現実味がなかったのだ。


「……あの野郎……っ!」


 あの野郎って、殿下のことかしら? 流石に不敬よ、なんて思ったが、ユーリの悪態は止まらない。


「こっちの気も知らないで、勝手なことしやがって。……ディー、あいつと何を話していたんだ? 何を言われた?」


 あいつって殿下のこと? 幼馴染みとはいえやっぱり不敬よ。

 何も答えずぼんやりとしたままのディーの肩を、ユーリはこれでもかと揺さぶった。


「……いたっ、痛いじゃない」

「おい、答えろよ」

「お、落ち着きなさいよ、ユーリ」


 ユーリのグリーングレーの瞳をまっすぐ見上げると、目が合った途端に視線を泳がせる。そっぽを向いたまま、ようやく肩を掴んでいた手を離した。続けて片手で顔を覆い、天井を仰ぐと、はあぁーーー、と大きなため息をつく。

 いったい何なのだ。

 ユーリは雑に手で汗を拭うとそのまま乱れた前髪をかきあげ、さっきまでアーデルが座っていたソファにどすんと沈んだ。それは妙に色気を含んだ仕草に見えて、彼女の胸の奥をちくりと擽る。


「……ユーリ? どうかしたの」


 盛大に眉間に皺を寄せたままのユーリは、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。


「ディー、あいつ何て言った? 結婚してくれ、か?」

「そ、それは……」


 先ほど窓から逃亡して行った第二王子がディーに求婚を仄めかしたのは事実だ。しかしそれを幼馴染みとはいえ、他の人に勝手に話してもいいものなのか。頭の中でぐるぐると逡巡していると、ユーリは重ねて尋ねてきた。


「好きだと言われたのか? 愛していると?」

「……ユーリ、お願いだから、落ち着いてくれない?」

「それでお前、返事したのか? どうなんだ」


 何とか答えろよ、と苛つきをそのまま隠そうともせずに、ディーに言葉をぶつけてくる。

 さっきから何なのだ。碌に説明もしないで険しい顔して一方的に責められているみたいだ。ディーの眉間にもどんどん皺が寄る。


 それにしても。

 彼の容姿は随分と見違えた。昔伸ばしっぱなしだった黒髪が今は、すっきりと整えられている。程良く日に焼けて精悍さの増した顔立ちは、見目麗しく肌艶も非常に宜しい。着ているものもこれまでとは違い、派手さは無くともきっちりと今年の流行を押さえていて、高価な生地をたっぷりと使った上質なものだ。こうして相対するのはいつ振りになるのだろう。久しぶりだとしても変わり過ぎではないのか。

 まるで高位も高位の貴族然としているではないか。そう、王族や公爵のような。


 ユーリ、ことユリウス・ライマン。先から話題の男爵家と同じく、カウフマン家の領地と境界を接した辺境伯家の三男だ。幼少時から騎士を目指していて、王都にある貴族の学校へ入学して基礎課程を終えたあと、騎士コースを選んだ。既に交流のあった第二王子の側近候補の一人となり、共に隣国へと留学している。こちらも領地の問題や母の病気のことなど日々の生活に忙しく、ほとんど会えないままだった。


 久しぶりに再会したと思ったらこの見事な仏頂面だ。

 やはりわたしはユーリに嫌われているのだな、とディーは改めて思った。


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