ご令嬢が買えたもの
内壁のシックな木目が特徴的な、場末のホストクラブ『夢月』。その立地条件からか、客入りがイマイチな店内の片隅で、ムーディーな照明を何となしに眺めながら、客待ちをしている新人ホストがいる。
(ほとんど飛び込みで入って雇ってくれたのは良かったが、やっぱすぐには慣れないもんだな。ホストっていうのは)
翔太という源氏名の彼は、口から出かけた溜め息を慌てて飲み込みながら、そんなことを考えていた。
「翔太、今日はお前にとって特別な日だな。昼から丸一日ご指名を頂くなんてことは、『夢月』じゃ滅多にないぞ。意外に良いものを持ってるのかもな、お前は」
所在なさげに指名客を待っている翔太に、オーナーは人の良い笑顔を向け、そう声をかけた。翔太は、そのオーナーの気遣いが何かしら面映かったらしく、少しぎこちない微笑みを返している。
そうこうしていると、指名客が来る定刻になり、紫色のサテンドレスを着たセミロングヘアの美麗なご令嬢が、店に入ってきた。
「えっ……!」
翔太は我が目を疑わざるを得ない。翔太を丸一日買った女性は、三豊財閥のご令嬢、幼馴染の玲香であったからだ。
「あなた、源氏名に本名使ってるのね。ちょっと驚いたわ」
「玲香……どうしてここに?」
玲香は驚きが隠せない翔太の問いかけを小悪魔的な微笑みでいなし、店内のソファーに座った後、グラス一杯だけ、高級シャンパンを飲んだ。もちろん彼女に酌をしたのは、指名ホストの翔太である。
「これで体裁はできたでしょ? 一緒に店を出るわよ」
どうやら玲香は、ホストとしての翔太の顔を立てるため、高級シャンパンのボトルキープまで、事前にしておいてくれたらしい。ご令嬢による見事な男の買いっぷりを、やや呆気にとられた形で見ているオーナーに、玲香は軽く会釈すると、若干まごついている翔太の手を引き、ホストクラブ『夢月』を出て行った。
ボディーガードが運転する黒塗りの高級車で幼馴染の2人が向かった先は、玲香が住む、まるで城のような白亜の大豪邸であった。
翔太は半ば連行されるような形で大豪邸内に入った後、玲香の自室に連れて行かれ、クッション付きのチェアに座ったところで、ようやく一息つけている。
「いったいどういうことなんだよ、玲香? なぜ俺を指名したんだ? あんな高いシャンパンのボトルキープまでして?」
「どういうこと? それは私が言いたいわよ。翔太、あなた私に隠してる悩み事があるでしょ? なんでそれを打ち明けてくれないの?」
涙目になりながら怒っている玲香の顔を見て、翔太はハッとした。幼馴染の彼女は、翔太が抱える事情を全て知っており、それを自分に打ち明けなかった彼に対し、やるせない想いを抱いていたのだ。
翔太が柄でもないホストクラブで働いていたのは、今現在、重度の肝不全を患っている母親の治療費を稼ぐためであった。状態が悪い母の肝不全を根治させるほど、劇的な回復が見込める治療を行うには、新薬の投与が必要で、それには保険適用外の高額の治療費がかかる。そのため、どうしても母親を助けたい翔太は誰にも相談せず、場末のホストクラブ『夢月』で働き始めたのだが、玲香は悩んでいる彼の事情を執事に調べさせ、ほとんどの事を知ったのだと言う。
翔太は自分が抱えていた事情を、自分の口から改めて玲香にすべて打ち明けた。幼馴染の彼が抱える苦悩の告白を聞き終えた玲香は、機嫌がすっかり直っており、
「お母様の治療費は私が受け持つから、『夢月』で働くのは辞めなさい。あのオーナーはいい人そうだけど、翔太はホストに向いてないわ。自分で分かるでしょ?」
「それは俺も分かってるけど……でもいいのか? かなりの金がかかるよ?」
長期間に渡る保険適用外の治療費といえば、一般的な感覚では相当な高額になる。しかしながら、三豊財閥の財力からすると、その費用はわずかなものだ。それはそうなのだが、財閥令嬢である玲香にとって、自分を対等な感覚で見て気遣ってくれる翔太の本心がとても嬉しい。子供の頃から全く変わらない純粋な翔太を、玲香は今でも好いていた。
「ふふっ。いいのよ。気にしなくていいの。あなたのお母様が元気になって下されば、私も嬉しいわ」
「玲香……ありがとう」
好きな幼馴染から感謝された玲香は、当然悪い気分にはならなかったが、少々いたずら心が出てきてしまったようだ。彼女はご令嬢の少し意地悪な笑顔を浮かべると、
「ありがとうじゃないわよ? それとこれとは別よ。あなたは私に買われたんだから、私と一日遊ぶのよ」
と、玲香なりの好意を伝えつつ、お嬢様らしく翔太に命令した。
薄手のカーディガンとプリーツスカートに着替えた玲香は、散歩が好きな翔太に合わせ、大豪邸の広大な敷地内を一緒に歩いている。
「小さかった頃も、この広い庭で一緒に遊んでたよな。俺も玲香も、走り回ってあそこの池に飛び込んだりしてた。懐かしいなあ」
「ふふふっ! そうだったわね。あの後、お母様がおかんむりだったのを覚えているわ。お父様は……あまり怒ってなかったわね。なぜだったかしら?」
今までの思い出を楽しそうに話しながら歩いて行くと、2人は少しだけ疲れたらしく、敷地内の東屋に入り、座って休み始めた。玲香は、ここでも母親の病状を心配し、憂いを帯びている翔太の横顔が気になり、
「これからはあなた一人で抱えていたら駄目よ。できることはするから、私に言って」
と、彼をいたわるように優しく言葉をかけ、目をつむり口づけをせがんだ。翔太は玲香の想いを誠実に受け入れ、互いを確かめ合うように柔らかい口づけを交わす……。
その後、玲香の家の経済的支援もあり、肝不全を患っていた翔太の母親は快癒した。
玲香の優しさを受け、その好意にもしっかり気づいた翔太は意外な包容力を発揮し、幼馴染の2人の関係は、両家公認の恋仲に発展していったようだ。