犬
狗
桃太郎が山を歩いていると、犬に出会いました。寝そべっている状態で高さは三メートルを超え、口からは剛炭素繊維混合のマットな黒い牙が覗き、眼球には多種センサ併用可能眼球状レンズがはまっていますが、ともかく犬です。
桃太郎は距離を置いて立ち止まります。犬の眼が、桃太郎に向けられていました。
「......桃太郎さん、か?」
「そうだ、私は桃太郎だ。そこを通してもらう」
この犬は桃太郎の存在を知っていたようです。喋ったことはこの際些細な問題です。
「お腰に付けた、吉備団子.......」
犬はポツリと呟き、こちらを見つめたまま動きません。桃太郎はいつのまにか、大振りの混潜鋭剣を物質化しています。
「貴様は殺さねばならぬ、それが我々の定めなのだ」
犬が言い、空気が張り詰めます。寝そべった犬の四肢に力が溜まり、桃太郎も剣を大きく後ろに振り絞ります。
激突。
足元が爆発したかのように、桃太郎が大きく踏み込む。体ごと剣を撃ち込むように、全身を振り絞る。しかし刃は犬の大きな牙に噛み止められる。均衡は一瞬、桃太郎の体は勢いを流され、空中に放り出される。
桃太郎は空中で身を捻り、剣を捨てる。吉備団子から超高硬異質量銃を物質化、それを右手で構え、犬を目視し、左手で吉備団子を予備起動する。犬が猛烈な勢いで空中を駆け上がっていた。
犬は照準を避け、顎を開いて左側面に躍り出る。桃太郎は吉備団子の物質化を強制キャンセルし、楯代わりに大量不定形の物質を解き放つ。開いた犬の顎に限界以上に詰め込まれたかに見えたそれらを、喰い千切り、吐き捨て、更に前進する。桃太郎は超高硬異質量銃を上空に向け射出、反動を利用して落下速度を追加し、距離を広げる。
桃太郎は落下しながら大量の隔壁を物質化し、着地と共に地面に突き立て塹壕を築き、次いで大量の重火器も物質化、簡易的な陣地を築く。見上げると、犬が逆さまに落下、いや、地面に向かって疾走していた。
足音を従えて空を駆け降りる犬に、対異獣ライフルを撃ち込む。破物系迫砲を。放射系単原子弾を。時間の許す限り、大量の弾を撃ち込む。
犬は大きく膨張した腹腔内で混合した粒化窒素を光速の0,021%で放射し、空間を局所的に引きちぎり、全てを薙ぎ払う。破壊の暴威から大きく飛び退いた桃太郎を傍目に、犬は到達した陣地を咀嚼するように蹂躙していく。隔壁を千切っては投げ、重火器を千切っては投げ、地雷を千切っ
ドガン!!!!!
埋設された多種多様の地雷が炸裂し、意図的に撒き散らされていた火薬類にも誘爆していく。しかし桃太郎は即席の花火大会を無視し、動式生体レーダーを全開で作動させる。花火大会とはおよそ逆方向、背面から高速でこちらに向かってくる影を確認。振り返り様に物質化していたダイナミックエグゾーストハンマーを振り抜く。空を切る手応え。がら空きの懐に、小さな犬が潜り込み、こちらを見つめていた。いや、通常であれば大型犬ほどのサイズと言えた。しかし先程の犬と比べると、あまりに小柄に見えた。その小さな犬が、剛炭素繊維混合の、強靭な牙で喰らいつく。甲冑「刃折り」は容易く引きちぎられ、犬の胴体は上空から自由落下してきた超高硬異質量弾に穿たれ吹き飛ぶ。摩擦熱で気焔を吐きながら落下するそれは、轟音と共に大量の土砂を巻き上げ、小規模なクレーターを形成する。
爆心地から、甲冑を剥ぎ取りながら桃太郎が歩み出る。右手には切り詰めた重鋼散弾銃がぶら下げられている。そこから遠く吹き飛ばされた場所で、犬が地獄を噛み締めるように身を起こす。引き金が引かれる。身を起こす。引き金が引かれる。身を起こす。引き金が引かれる。身を起こす。引き金が引かれる。
起き上がれる限度を超えて肉体を破壊されたあたりで、桃太郎は歩みを止める。
「後学の為に聞いておくが、どうやってあれが外総親装甲だけのダミーだと見抜いた?」
ぼろ雑巾のような身体の犬が、昼下がりの雑談のような気楽さで声色で話かける。もはや不要な全身の痛覚機能は停止させていた。
「これから雉も猿も鬼も殺すんだ。種明かしはまた今度」
「......貴様、どこまで理解した?」
半分死体の犬は、悪魔を見るような、そうでなければ、勇者でも見るような眼で桃太郎を見据えていた。
「使命を」
桃太郎はそれだけ答える。
「......これまでたくさんの桃太郎に出会ったが、そうか、貴様が、真の桃太郎に成ったか」
「......そうだ、私だ。私だったようだ。だから殺す。みんな殺す。それが私達の定めだ。そうだろう?」
無造作に構えられた銃口が、唯一原型を留めていた頭部思考器官を吹き飛ばす。
「また会おう」
言葉と銃を放り出し、桃太郎はまた歩き始めます。一歩、また一歩、もう一歩。途切れることなく、何度も何度も。