秋の一日
音楽を聴くことも趣味のひとつで、野暮ったいサイズの機械を使っていたりします。
穏やかに過ごしたいときには、歌がない楽曲が良くて、しかも感情移入する必要がないものを探します。
フランス人らしいエスプリが利いていますが、軽い感じのラヴェルの曲や、手つかずの自然を想起するけれど、人の存在を感じないシベリウスの後期の交響曲が良かったりします。絵画的ですがドビュッシーのピアノ曲も、それこそ、ひとりで絵画を眺めているようでなかなかです。
対照的に、ショパンは感情の沸騰が煩わしくて、モーツアルトなどは無邪気さが哀しくなります。バッハは真面目過ぎて顔が見えるようで、ベートーベンは創り手の価値観が明確すぎて、押しつけられるような気がします。
すべては、個人的な主観です。愛好家の方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
深まる秋の一日を ステレオ機器の奏でゆく
楽曲に乗り、夢心地 うつらうつらと過ごします
日差しは、部屋に零れ入り 絨毯を温めてくれますが
こころがリズム探すから ひとり揺り椅子、揺らします
レコード盤に刻まれた 調を針に拾い上げ
スピーカーに歌わせて 部屋を満たしてゆきましょう
ショパンの熱は辛すぎて モーツアルトは無邪気すぎ
シベリウスやらラヴェルらの 乾いた音が似合います
きみが愛した、あの曲は 今も収納棚に眠ります
きみを想いて聴くことの いま、まだ辛く・・・できません
それでも、いつか演奏を 終えた機械は、幻に
きみが愛した、その曲を 奏で始めもするのです
我は、現にみる夢に 覚めぬこころでそを聴けば
いまも、哀しく、愛おしく 静かにきみを想います
深まる秋の一日を ステレオ機器の紡ぎだす
調にまかせ、夢心地 うつらうつらと過ごします
目覚めぬ秋の後先は スピーカーの前にいて
夢と現の狭間から きみを想いて過ごします
その人が愛した曲は、隠すでもなく、でも、常に眺めていることも辛くて、いくつかあるラックのひとつに、さりげなく飾っています。本当は聴く必要もないほどで、意識を向けるだけで調べは浮かんできます。でも、その浮かびくる調べに身を任せることは、なかなかに簡単なことではありません。
封じても聴こゆる曲よ レコードの終わりを知らず歌い続ける