~宵街柳ヶ瀬哀歌より~
これは、私がヒロさと知り合い、皐月さんの店で働く事になった頃に、皐月さん本人から聞かされた彼女の身の上話です。
尚、これから以降はほぼノンフィクションです。作中の里中裕司が高校中退するとこくらいがフィクションなだけです―――――――――――――――――――――
「……あんたぁてぇほんま…変わった子ぉやなぁ……ウチ等ぁと十ぉも年離れてんのになぁ……若い子ぉやのぅてウチ等ぁみたいな年増女と意気がおぅてまうんやもんなぁ……」
俺が皐月さんの店で働きはじめたばかりの客の切れ間、店のバックヤードで智恵子さんと洗い物をしていた時、ふらりとバックヤードを覗き込んだ皐月さんが俺にしなだれかかるようにして言った。
当時俺は、全くと言っていいくらいに女性と近距離になった事が無かったため、智恵子さんと並んで洗い物をしているだけでも心臓がバクバク状態だったのに、しなだれかかる皐月さんの香水の香りが俺の鼻をくすぐり洗い物どころでは無くなってしまい、赤面して体を硬直させるしかなかったのである。
「ちょっとぉママぁ裕ちゃんからかわないであげてくれる?この子本当にマジで女に免疫無いんだからぁ……ほらぁ…顔真っ赤にして固まっちゃったじゃん……」
そう言って俺を援護してくれた智恵子さんも、何故かニヤニヤしながら俺の左側から小柄ながら肉付きの良い体をわざと密着させてくるのだった。
いくら女慣れしていないとはいえ、左右から女性に抱き付かれれば思春期の俺には刺激が強く、否が応でも男の部分が反応してしまい困ってしまった。
「あ…ひょっとして裕ちゃん…大きくなっちゃった…あ・そ・こ?」
そんな事を言いながら、さらに顔をニヤニヤさせて俺に近寄ってくる智恵子さんに俺は、極度の緊張感と恥ずかしさからさらに体を硬直させ、俯き頷くしかできなくなっていたのである。
「全くぅウブな子ぉやなぁ……智恵子ぉウチが許可するさかい裕ちゃんに女の体ゆうもん教えたりぃ」
これが、皐月さんの放った最初の爆弾発言だった。
幹本皐月さん、彼女もまた、大阪からの流れ者で岐阜には僅かな貯えと体一つで流れてきて柳ヶ瀬中の店を転々としてきた苦労人だった。
そんな中、ヒロさんと出会い現在に至るのだと、皐月さんは涙ながらにこれまでの経緯を俺に語ってくれたこともあり、俺はその時この人達になら全てを預けられる。極論を言えば命さえ預けられる。そう信じて止まなかった。
「あんたは…ほんま…アホかゆうくらい真っ直ぐな子ぉやねんなぁ……あんたの命まで預こぅたらウチがその倍は苦労せなあかんなってまうやんかぁ命まで預けてくれなんてウチはよう言わんわぁ……せやけど…その気持ちだけはしっかりもうたでぇ…ほんま…ありがとうなぁ」
いつもなら爆弾発言連発で俺を戸惑わせる。魅惑の女性的存在の皐月さんが、この時ばかりはめちゃくちゃしおらしく見えてしまい、俺の方ももらい泣きするくらいだった。
「なぁ裕ちゃん…年上の女としてあんたに一つだけゆうとくわぁ…あんたは真っ直ぐでほんまにえぇ子やぁせやからなぁ女にだけは気をつけやぁ男はもちろんやけどあんたの事欺そうとする人間これから先…いっくらでも出てきよるからなぁ……」
この時の皐月さんは終始真顔で、いつものように豪快に笑うでもなく、時折目頭を押さえながら俯きがちにしゃべるだけだった。
「姐さん…これから先もよろしくお願いします!じゃあ俺仕事戻りますね……貴重なご意見が聞けて嬉しかったっす」
俺はそう言うと皐月さんに深く一礼して彼女の専用の控室を出るのだった。
「なにを今さら当たり前ゆうてんの?そんなんゆわんといてぇ
……なぁ…裕ちゃん…今度の休み予定あけとってくれへん?ウチと一日デートしよやぁ約束やでぇ」
彼女専用の控室を出ようとする俺に皐月さんはいつもの悪戯っぽい表情のままそう言って俺の背中に自分の胸を押し付けてくるのだった。
「……気持ちは嬉しいですが…自分…ヒロさんを裏切りたくないんで……すんません…姐さん……」
俺はそう言って、彼女の手をそっと解こうとしたのだが彼女はさらに強く俺を抱きしめてくるのだった。
「……さすが…ヒロが惚れ込んだ男やなぁ…安心しぃやましいことなんて一個もあれへん…ただ…一回あんたと腹ぁ割ってサシで話しがしたかっただけやぁ……」
彼女はそう言うと少しだけ寂しそうにはにかんで俺を抱きしめていた手を緩めてくれるのだった。
「……ウチなぁほんまの事ゆぅとなぁ…ヒロがあんたをウチの店ぇ連れて来た時からめっちゃ気になっててん……」
彼女がそう口火を切ったのは、昼くらいから二人で柳ヶ瀬の街をぶらぶらした後、晩御飯にと入ったちょっと高級な寿司屋だった。
「ありがとうございます…素直に嬉しいっすよ俺……じゃあ俺も本心を言いますね……俺も正直皐月さんにあの日から惹かれてたのかもしれません……あれからずっと言い出せなかった事…今日は言わせてもらいます……皐月さんが…好きです……」
あの日から今日まで、ずっと己の心に秘めてきた彼女への想い、それをやっと言葉にして言えた瞬間俺は、何の恥じらいもなく、その場で涙を吹きこぼしていた。
「……せやったんやぁ……ありがとうなぁ裕ちゃん……」
彼女はそれ以上何も言わなかったが、彼女も泣いているのが、俺を抱き寄せる彼女の肌のぬくもりを通してひしひしと感じるのだった。
「……せやから…今日はこのままウチの体好きにしてくれてえぇんやでぇ……」
彼女は潤んだ瞳で俺を見ると、寿司屋の会計を手早く済ませて俺の手を引くと車に乗り込み、岐南町のラブホテル街へと走らせるのだった。
そしてその夜、俺と彼女は一夜限りの恋の花火を何度も打ち上げた。そして二人がそのホテルを出る頃には、東の空から朝日が登りまた、何時もと変わらぬ忙しい一日の始まりを告げるのだった。
「今夜もまた…よろしゅうになぁ……」
俺の自宅アパートに着いた時、彼女はそう言って車を降りる俺の唇に自分の唇をさりげなく重ねた。
それは折しも、俺が彼女から店の従業員管理の全てを託される事になった、十六歳後半の夏の出来事で、また、非道い薬物依存性だった英美さんを立ち直らせ、店の運営の大幅な軌道修正を始めた時期でもあったのである。