インモラル
暑いな、と思い、僕は窓を開けた。
部屋に漂っていた死臭が、窓から出て行っているのが分かる。
深夜一時。僕は、死体を拾ってきた。
「どうしたものか……」
もう春ではあるが、夜はまだ寒い。窓を開けていれば、当然、冷たい風が入ってくる。
僕の家にある二つの座椅子の内、座りにくかった、赤くて小さいもう使っていない方にその死体をとりあえず掛けさせてみた。ドブに落ちていたものだから、見た目は酷いなんてものではない。体中のいたるところに傷が見える。大きかったり小さかったりはするが、満身創痍とはまさしくこのことだろう。
右腕は根元から千切れている。左腕はとくに目立った傷はない。酷いのは脚の方だ。左脚は膝から下がなくて、右脚も同等だ。制服のようなものを着てはいるが、泥まみれで果たしてこれが制服なのか、もしそうなのであれば、どこの制服なのかなんて事は分からない。スカートを履いている事から、女であることは分かった。顔の半分は青くなっていて、目も開いていない。もう片方の、開いている目で、僕の事をジッと見つめている。
「意識はあるのだろう」
「……」
死体は首を縦に振った。どうやら、今自分がどのような状態かはまだ理解ができていないようだ。鏡でも見せてやろう。
正直、僕は今驚いている。当たり前だ。さも当然のように死体の前に座ってはいるが、内心は焦りと恐怖で満席だ。こういう時にこそ平然を保てとはよく教えられたが、実際に平然を保たなくてはいけないシチュエーションに出会う事になるとは思いもよらなかった。
この死体は、その名の通り死んでいる。一目見た時から死んでいると分かったし、触れてみてもよくわかる。死者だ。実際に触れたことはないが、確かに、死の感覚が漂っているのだ。
しかし、この死体には何故か意識がある。これもまた確実にだ。僕がこの死体の存在に気づいたのも、この死体の声によるものだった。助けて、とこの死体は呟いていたのだ。ドブから拾い上げた時には、もうコミュニケーションなどとれはしなかったが。
「風呂には入れるか?今のお前は汚い。僕の部屋に置いておくのも、残り五分が限界だ」
「……」
死体は、首を縦に振った。
「一人で入れるか?」
「……」
死体は、首を縦に振った。どうやら、自分の体が今どうなっているのか気づいていないらしい。
「残念だが、お前は今一人で風呂に入れるような状態ではない。だが、今すぐにでも風呂に入らなければならない状態だ。ということで、僕が風呂に入れてやる」
「……」
死体は、さっきと同じように首を縦に振った。もしかすると、この死体は僕の質問に答えているのではなくただ首を縦に振ることしかできないのではないか?という疑問が浮かんできた。しかし、その疑問を解消する方法は現在の所存在せず、であるから、僕は死体を丁寧に持ち上げ、風呂場へと連れて行った。体は冷たく、これが死体であることを改めて確認できた。
風呂場に入ると、まず、死体の着ていた制服を脱がせた。女ものの制服を脱がす機会など無く、少々手間取った。その後、中に来ていたワイシャツを脱がし、同じようにスカートも脱がした。スカートの下はそのままパンツであり、ワイシャツの下はキャミソール、さらに下にブラジャーがあるのだろう。
それらを外すのには少々抵抗もあったが、汚いままでこの死体を家に置いておく方が何倍も抵抗がある。僕は、まず、キャミソールから脱がした。死体が自主的に腕を上げ脱ぎやすくするはずはない。まずは千切れている右腕部分から、首を通し、冷えた鉄のように冷たい腕をなんとか垂直にし、脱がした。
下着は両方白であった。派手という訳ではなかったが、脱がしてみればスレンダーな体にパッチリとフィットしているその姿は、煽情的であった。
しかし、その情を煽ぐかのように、死体の裸体は醜くもあった。全身痣だらけで、所々に縫い後がある。死ぬ前から日常的に暴力を振るわれていたのだろうか、と僕は思った。
死体のブラジャーに手をかけると、なんと、死体は微かに反応を示した。左腕が少し、動いた気がする。なんというか、本能が残っていたのだろうか。ブラジャーを取られる、という事に対する防衛本能はほんの僅かではあるが働いているらしい。ブラジャーを外すのも初めてであったが、なんとか出来た。その後、パンツも脱がし、死体は生まれたままの姿になった。まあ、もう死んでいるのだが。
死体をバスチェアにすわらすと、バランスを崩し前の方へ倒れそうになった。正直、今の状態から少しでも衝撃を与えてしまえば、その時点で死体ではなく人の欠片へと化してしまう気がして、僕はあわてて死体を片手で包み込むように抱え、手前へ寄せた。そのまま僕にもたれかかるようにした。
僕の肌に触れた死体の背中はやはり冷たかった。
「水をかけるぞ」
蛇口をひねり、三十九度の湯を死体にかけた。いつもはもっと熱いのだが、死体の扱いには慣れていないもので、何度の湯までが限界かが分からないのだ。しかし、冷水をかけるわけにもいかず、どっちとも取れない三十九度を僕は選んだのだ。
まずは頭から、胴体、そして下半身。その工程を三回ほど繰り返した。それでも取れなかった汚れは、仕方がないから僕が手で洗い落とした。
途中、風呂場の姿見に映っている死体を見た。丁度頭から湯をかけている時であり、その時、死体は目を閉じていた。目に水が入るのが不快だったのであろう。一体、どこまで生きていてどこまで死んでいるのか、その境目が分からない。
そして、死体の脚部にも注目した。切れ目は非常に荒く、骨が丸見えだ。色も真っ赤と言うよりかは茶色であり、腐っているとうい印象が強く残る。そこにも汚れが点いてはいたが、触れる勇気はまだなかった。
風呂から上がり、濡れた体を拭いてやろうと思った時、一つの問題が浮かび上がった。
「さて、どうやって体を拭こうか……」
僕は今、死体を抱えている。何と表現したらいいか、そうだ、大きめの魚を抱えるかのように、だ。
この死体の体を拭くとなると、当然僕は片方の手を離さなければいけないし、もう片方の手一本で死体を抱えていられるとは思わない。一度地面に死体を下ろそうとも考えたが、何か後ろめたい気持ちがありそれはできない。なら、どうするか。
「ふむ……」
しばらく考え込んだ。死体は僕の方をジッと見ている。一体その目は僕のどこをとらえているのだろうか。
「……そうか」
僕は何とかして死体を抱えたまま、かごに入れてあるバスタオルを取った。そのバスタオルで死体を優しくくるみ、なでるように拭いた。母親が赤子に対してよく取る方法だ。体の大きさ的には、この死体も同じようなものだろう。
「……」
そうすること、数分。もういいだろうと思うくらいで、僕はバスタオルを床にそのまま落とした。
改めて、汚れの落ちた死体の顔を見た。
「……」
死体も、僕を見ている。死体の瞳には、確かに僕が映っている。ここはまだ死んでいないらしい。
「……」
たまらず、僕は死体にキスをした。
背徳的な味がした。