吐瀉
午後一時、十二分。十二月十三日。
腹が、減っていた。
私の頭のてっぺん辺りから、冷蔵室は始まっている。私は、そばに数か月前から置かれてある、大量の芋が入っている段ボールを引き寄せ、それを踏み台にし、開いた。腹の辺りに直接、冷蔵室の冷気が当たり、腹を壊してしまうのではないかと思った。ドアポケットには、水の入ったピッチャーが二つと、マヨネーズとケチャップが、それぞれ、専用の穴に頭から突っ込まれていた。二段目には、三種類の栄養ドリンクがたてられており、三段目には、卵が美しく列をなして並んでいた。目を中央に戻すと、冷蔵室も、チルド室を台にして、薄い板により二段に分けられていた。その下の段には、パックの牛乳や、コーヒーや、ココアなどがあり、昨日食べ残した餃子がサランラップにくるまれており、キャベツがボウルに入れられたまま入っていた。上の段は、下の段よりも空間は狭く、そこには、何が入っているのか分からない、ピンク色のボウルがあるのみだった。どうにかそれの中身を確認しようとしたが、背が中々届かなかったため、私は何か、この段ボールの上に乗せれる程度の踏み台はないかと、冷蔵庫周辺を見回した。
開いたままの冷蔵庫は、機嫌を悪くしたのか、甲高い声を上げた。冷蔵庫があるのは当然キッチンであるが、すぐそこのリビングでは、親が寝ている。親が寝ている為、娘である私は何も食べることが出来ず、その為に、私は今こうして冷蔵庫の中を漁っているのだ。しかし、この行為は、子供ながらにも、悪い事であるというのは理解している。この音により、親が起きてしまえば、また、頬をぶたれるかもしれない。今朝の痛みがよみがえってきたような気がして、私は目を強く瞑った。冷蔵庫を一度閉め、数秒経つと、また開いた。膝を曲げ、それを、冷蔵庫の中に入れた。ぴたりと膝が床に着くと、冷たさを超えた痛みが襲ってきた。それをこらえ、体重をかけ、私はピンク色のボウルに手を伸ばした。手の指の先、中指と人差し指の第一関節が、ボウルの淵を捉えた。やった、と私は一瞬の歓喜と、その後の、力学的にも物理学的にも、言うなれば非常に不味い状態に陥った。それは、穴に落ちるのと同じで、一度そうなれば、あとはそうなるしかない状態である。
手を伸ばしたことにより、ついていた膝も伸びていた。そして、膝が冷蔵庫より外の空間に出た時、私は支点を失った。刹那、私は空中に浮かび、その後、頭を冷蔵室の床に思いきりぶつけた。中指と人差し指で引き寄せ、親指で挟んだボウルは、まるで半月のように、私の頭上に浮かんでいた。強く肘を打ったにもかかわらず、私はボウルを手放していなかった。
「痛……」
強く打った肘を見てみたが、特に何も変わりはなかった。しかし、痛みはある。
「最悪……」
ボウルの中に入っていたのであろうモノが、私の頭に乗っかっていた。
べとべとしていて、ぬるぬるしていて、しかし、個体であった。頭からボウルをどかし、そのモノを手で握りながら、私は冷蔵室のドアを閉めた。さっきの大きな音で、親が起きたのではないかと少し心配になったが、不愉快ないびきに、今は安堵の息を漏らした。
手の感触からして、そのモノが肉であることが分かった。肉だ。生肉だ。何故ボウルの中に入っていたのかは分からないし、頭から漂う臭いから、かきまぜた生卵につけられていたのだろうという事が想像できた。私の親は、一体どういった肉を作ろうとしていたのか。そもそも、日ごろから、スーパーの半額にされた弁当が朝昼晩であったのに、何故、生肉なんかが冷蔵庫の中に入っていたのか。
私の今掴んでいる肉が、何の肉かもわからない。鳥であろうとは思うが、それにしては、赤みが強い気がする。写真でしか見たことはないが、高級な豚肉なんかがこういった色をしていたような気がする。鶏肉は、もっと、肌色っぽかったような気がする。まあ、所詮は小学生の知識である。こういった色の鶏肉も存在しているのだろう。
それよりも、私は、これをどうしようかと、必死に考えていた。鶏肉が頭に乗っかった時点から、私の思考は、それについての事でいっぱいだった。
この鶏肉は、当然だが、親が用意したのだろう。親が、卵を割り、混ぜ、その中にこの鶏肉を入れ、冷蔵庫の中にしまっていたのだ。しかし、今は、私の手の中にある。とても、今すぐに、ボウルの中にこの鶏肉を入れ、元あった場所に戻したくて仕方がなかったが、取るのにあれだけ苦労したのに、元の場所へ戻すことは可能なのだろうか。それが出来たとしても、私は、冷蔵庫の表面を伝う、黄色い液体を見ては、嫌な夢であってほしいとそらし続けている。ボウルの中には、どれくらいの量の生卵が入っていたのかは知らないが、空っぽではなかったことは確かだ。この中に鶏肉だけを入れ、戻したとしても、果たしてあの親が気づかないとは思えない。そうなれば、幽霊でも信じていない限り、疑いの目はこの家に住むたった一人の同居人である私に疑いの目はかかるわけであるし、犯人は実際に私であるのだから、どのような仕打ちが舞っているのか、想像するだけで泣きたくなる。あの親には、虐待という虐待を尽くされてきているが、慣れることなどない。誰かに相談しようと思いもするが、それが無駄であることは幼い私にもわかるし、出来ない事だって理解している。
とりあえず、風呂に入ろうと思った。髪の毛は、卵を浴びてカピカピになっている。握っていた鶏肉をボウルに戻し、それを、冷蔵室の一段目に置いた。シャワーを浴びながら、私に一番被害の少ない手段を考えなくてはならない。こんなにも気の滅入るシャワーは、初めてかもしれない。
風呂から出た時には、私が空腹であることを思い出した。体を拭いている間に、腹の虫は三度鳴いた。ふと、私はあの鶏肉を思い描いていると、何故だか、非常に美味しそうに思えてきた。
鶏肉を生で食べるのは、法律違反ではないが、やってはいけない事だ。やるはずのない事だ。もしも、冷蔵庫から鶏肉が消えていたとして、あの親は、私が何かをしてどこかへ行かせたと考えるだろう。もしも私が、何もしていないと白を切ると、あの親は、ゴミ箱を漁ってでも生肉の所在を探すだろう。あの親は、そんな親だ。何とか理由をつけ、私を殴ることに非常な興奮を覚えている。
しかし、もしも。その鶏肉が、私の居の中にあったとすれば、あの親は発見することが出来るだろうか。娘の腹をそんな理由で裂く程狂ってはいないし、娘の出した糞を採取し、その養分から私が鶏肉を食べたという証拠を提示するような芸当はできないはずだ。私は白を切ればいい。あの親が何をどう言おうが、証拠がなければどうにもできない。娘を殴るだけの事はするくせに、その、殴るという行為に、あの親は必ず理由を探す。何か理由がなくては殴れないのだ。自分が悪いことをしているという自覚があるからだろう。あの親の腹から私が産まれてきたのだとは考えたくない。あの親の遺伝子が私に組み込まれているなんて、考えたくない。川で拾われてくれた方がまだマシだ。
さて、しかし、そもそもの話、私はこの鶏肉を食べることはできるのか?今、お腹が減っている。何でもおいしそうに見えてしまう精神状態ではあるが、生の鶏肉を見てもおいしそうと思えてしまうのは、異常なのだろう。しかし、食べるのには相当なリスクがある。勿論知っている。詳しくは知らないが、食べたら死ぬ可能性だって十分にあるはずだ。果たして、あの親の虐待か、それとも、死を伴う苦痛か。
そんなことはともかく、私は、段々と、鶏肉が食べたくて仕方がなくなってきた。親にバレるとか証拠を隠すとか、そういった事を抜きにして、ただ、単純に、純粋に、この美味しそうな生の鶏肉が食べたくて仕方がなくなっていた。自分で、薄々分かってきた。非常に不味い状態だ。精神と肉体が、自我と本能がかけ離れているかもしれない。不味い、非常に不味い事に、あの肉が美味そうに見えて仕方がない。まだ食べていないのに、味が、口の中に広がっている。卵の味だ。それから、マグロやシジミを食べた時に感じる、共通の味、生々しい鉄の味が、今までに味わってきた様々な食料から蘇ってくる。あの味が、あの味が、蘇ってきている。食いたい、食べたい。冷蔵室を開けてしまった。床は、乾いた卵により、汚れている。ここもきれいに掃除しておかなければいけないな、とほんの少しだけ考え、私は一段目に置いてあったボウルを取り出した。再び冷蔵庫が声を上げる前に、素早くドアを閉め、私はボウルの中を覗き込んだ。今まで、想像の中であれほど美化していた鳥の生肉は、今までの想像よりも、何よりも、一番おいしそうに思えた。シズル感やフォトジェニックや、そういったまやかし文句では一切ない。本当の、正真正銘、唯一無二に、その鶏肉が美味しそうでたまらない。よだれが垂れているかもしれない。腹の虫は収まらない。箸も、何も持たず、ただ、鶏肉を握った。これは本当に鶏肉なのだろうか?牛肉かもしれない。形が鶏肉に似ているだけで、色は、遥かに牛肉に近いのだから。そうだ、これは牛肉なのだ。生の鶏肉は、食べるのは危険だとよく聞くが、牛肉はきっとそうではないだろう。大丈夫だ、これだけ美味しそうなのだから、大丈夫に決まっている。腹が減っているのだ。
そういえば、冷蔵庫の中には、餃子やキャベツが残っていたような気がする。それを思い出し他のは、一口目の時だった。丸ごと行きたいと思ったが、私の口に対しては少しだけサイズが大きかった。ちょうど真ん中の所で、私は神千切ろうと思った。その、生肉の味は、今まで食べてきた、そのどれよりも美味しかった。アダムとイブが食べたリンゴも、これくらい美味しかったのだろうか。はて、あのリンゴが美味しかったなどという分は存在したか、そもそも、アダムとイブとは何なのか。生肉は、美味しい。頬が落ちるとは、このような感覚を言うのだろう。天にも昇る気持ちとは、このような事を言うのだろう。生肉を二つに噛み千切ると、この生肉が、一つの個体なのではなくて、無数の、それは、兆や京や該などといった単位レベルの、極細い繊維で作られているのだという事が分かった。見たからわかったのか、食べているからわかったのか。何かを考えるのが、億劫で仕方がない。これは、本当に生肉なのだろうか?牛や豚や鳥の生肉が、この世に存在する食材が、これほどまでに美味しいはずがない。先ほどから、私は涙があふれて止まらない。このような食べ物が、この世に存在していいはずがない。
口の中で、何度も咀嚼し、遂に、私はその生肉を飲み込み、胃に入れた。ボチャン、と、胃に生肉が落ちる音が聞こえた気がした。生肉は冷たくて、胃の中でも一際存在感を放っていた。その感覚がまたよくて、どんどんと噛み、飲み込み、また噛んだ。口の中が空になると、二つに分かれた片割れを、口の中に放り込んだ。無我夢中であった。ただ、食べることしか考えていなかったし、頭の中には、私の想像する天国の光景が浮かんでいた。
一心不乱だった。食べ終わると、言いようのない虚無感に包まれた。今までいた所と、今いるところのギャップに、私は現実を投影することが出来なかった。胃の中には、まだ生肉が残っている。冷たく、胃を膨らませている。先ほどから、微動だにしていない。胃の中にある生肉は、下に落ちることなく、そこにとどまっている。胃も驚いているのだろう。何もない平凡な田舎に、神の使途が訪れたようなものだろう。人が食べていい物ではなかったのかもしれない。しかし、人が食べてはいけないのであれば、だれが食べていいのか。ペットフードが、人間の食事よりも美味しくてはいけない。どのヒエラルキーにおいても、人間は、常にその頂点に君臨しているべきなのだ。
「んぉっ」
すると、いきなり。
「ぐぇ」
胃の中の使途たちは、暴れはじめた。本当に突然の事だった。アダムとイブも、リンゴを食べてしまったから、神様か誰かに叱られたのだという事を思い出した。これはリンゴだったのだ。
胃の中の冷たいものが、あがってきた。冷たいから、今、何処にいるのかがはっきりわかった。それは、勢いよく登ってきている。鮭が遡上するかのように、大量に、群れを成して。
「んぐぅっ」
一度、頬の中にたまり、それは、勢いよく放出された。地面に吐き出すのは不味いと、煩悩が胃から外に出たことにより、少しだけ冷静な判断ができるようになったのか、私は急いで、肉の入っていたボウルを引き寄せ、そこに、吐いた。大量に、長く、吐いた。ボウルからあふれ出してしまうのではないかと思うくらいに、吐瀉物は溜まっていった。
「はぁ……、はぁ……、おぇ」
地面に手を突き、ボウルに顔が近づいていた。早く離したかったが、まだ何かが履き出そうな気がして、うかつに離れられなかった。私は、吐瀉物を見た。
見てしまった。
赤みをおびた生肉は、個体で、まるで、食べる前の状態で、ボウルの中で、私の吐瀉物につかっていた。
心なしか、その生肉は、ぴくぴくと動いているように見えたが、それは、浮かんでいるからだ、と思い込んだ。
私は怖くなり、ボウルをそのままに、自分の部屋へ駆け込み、布団をかぶり、今日あったすべての事をいったん整理しようと思った。が、数分もしないうちに、眠ってしまった。