依存症
私は、今日も腐っている。
根強く張った幹に体を寄せたまま、私は人生を消化している。コーラとポテチとスマホの光だけで成長してきたといっても過言ではない。まともな陽の光なんてここ十年は浴びていない。この先十年も、浴びる予定はない。
母さんは、もう私の事なんて諦めているらしい。5年も顔を合わせていないくらい。父さんは……よくわからない。いたのかどうかも忘れてしまった。それでも、別にいい。
私の世界はスマホの中で広がっている。顔の見えないたくさんの人と、私はつながりを持っている。ここに私の居場所があって、ここ以外に私の居場所なんてない。
今日も今日とて、その世界に入っていく。いろんな人に挨拶して、また新しい人と出会って、鬱陶しかったらその人とは縁を切って。
全ての行動が、スマホ一つでできる。この世界での生死は、人差し指で決めることができる。好きも嫌いも何もかも、すべてを握っているのは私の指。眼鏡越しに見る文字によって、私の心はある時死んで、ある時生きていて。目も口も耳もきけない私でも、この世界は生きる理由をくれた。
だから、私はこの世界で生きている。一日中スマホの光だけを浴びて。コーラで栄養を補給して、ポテチで腹を満たす。そうして腐っている私をとがめる人なんて誰もいない。だから、私はここにいる。ここにいられる。
『おはようございます』
『いい朝ですね』
『先日はとても充実した日となりました』
『こんにちは』
『今日は暑いですね』
『私の地方では雨が降っています』
『こんばんは』
『今日も夜は美しいでしょう』
『星がきれいです』
『もうこんな時間ですね』
『おやすみなさい』
スマホを閉じる。私にとってのこの行為は、今日の終わりを意味する。後は一日中酷使した目を閉じて、睡眠状態に落ちるだけ。
「……おやすみなさい」
目を覚ますと同時に、冷たい風が私の頬を優しくさすった。
エアコンの風でなければ、扇風機の風でもない。純粋な天然の風が、私の部屋に吹いているんだという事が、寝起きと同時に理解できた。
そして同時に、まったく理解も出来ない。なぜ私の部屋に風が吹き抜けているのか?四方八方を壁が塞いでいるはずなのに。寝起きでぼやけている目を手で軽くこすって、鮮明な視界を私は得た。
「え、え……ぇ、え?」
これから私が述べる事態は、決して何一つ、事実以外の何物でもないことをまずここに書き残しておく。そして、私が今見ているものが夢ではないという事も、事実の一つとして私の現実に突き付けられている。
私の部屋に、壁はもはやもう存在していない。大量の漫画も買い置きしていたポテチも、テレビもゲームも何もかもが、あったはずの所にない。
そして、スマホも。私の手に、これだけ長くの時間にわたってスマホがないなんてことは今までで一度もない。人として生まれてから実に18年、ここにきて初めての体験を一気に二つも3つも浴びている。
そして、その初体験の中でも、特に私の驚きの要素が高いもの。それは。
「おい!まさか、お前生き残りか!?」
「あ、えっと……」
クマより大きい。クジラよりも大きい。両方ともテレビの中でしか見たことはなかったけど、今私が見ている生物も、同じくテレビ、もしくは……ゲーム、創作上のものでしか見たことがなかった。
存在するなんて考えたことはもちろんない。いるはずがない。どこかの誰かが勝手に考えて、その考えをどこかの誰かが広めただけなんだろうと、そう思っていた。
空を飛ぶドラゴン。それに乗る女の人。緑色のローブのようなものを羽織っている。異国情緒なんてものじゃない。ファンタジーやメルヘンの世界そのものを、私はぱっちりと目を開いている現実で、それを見ているんだ。
「何ボーっとしてる!早く乗れ!」
「え、あ、あぁ……」
乗れ、と言われても、恐らく私に乗れと言っているドラゴンは、私の遥か上方にいる。どう乗れと?
「あーもう!マヌケ!お前を助けるのが義務じゃなかったらとっとと置いて行ってるんだぞ!」
「す、すみませ」
プス、と、私の腹に何かが刺さった。緑色のオーラを纏っているひものようなそうでないような微妙な糸が、私の腹を刺した。
「うわ、うわわっ」
そして、私は宙に浮いた。糸に引っ張られている感覚がある。何もかもが理解不能ではあったけど、何か、宙に浮くというのは結構いいものだった。こんな非常事態に何を考えているのか。
そして、そのまま、私はドラゴンの背中、女の人の後ろにすとんと乗った。馬どころか、バイクにすら乗ったことがないのに、まさかドラゴンに乗ることになるとは思わなかった。思えるはずがないけど。
「ハハハ、よかったな!お前ががりがりの筋衛右門で!でぶでぶのデブリンにゃこの術は使えないんだ!そもそもライドラには乗せないしな!」
「へ、ははは……」
もはや、笑うしかない。私は今何をしているのだろうか?昨日までの私の生活は何処に行ったのか?
「て、ちぃっ!クソ、追手が来たぞ!」
「へ、へぇ?」
女の人の目線を追うと、そこには、目玉だけで体を形成しているバケモノがいた。木と蝙蝠と人間のハーフのようなバケモノがいた。そいつらが、こっちに向かってきていたのだ。
「おい!お前も少しは戦えるだろ?私の手伝いをしてくれ!」
「え、あ、の、えっ」
「あいつらはどっちもBランクだ!私ひとりじゃ流石に無理があるんだ!」
「も、えぇ、あの、えっと」
女の人は、私に剣のようなものを投げ渡してきた。これで、あのバケモノと戦えと言うのか?戦うって言っているのか……?
「なんだ、不安そうな顔をしやがって!……そうだ、なら、お前が絶対に安心安全でいられるような呪文をかけてやる!」
女の人は、ドラゴンの上に立ち、あのバケモノたちの方ぬい向いている。右手には私に渡されたものと同じような模様をしている剣を構えている。
ローブを風になびかせながら、女の人は私にこう言ってくれた。
「私の名前はリオン・アルツハイマー。世界で一番強い戦士だ!」
リオン、アルツハイマー。
その名前を持つ人は、羽のようなものを肩から出現させると、飛び立った。
「は、ははは、はっはっは……」
まったくもって理解が追い付かない。スマホは何処なんだろうか。
「ははは、は……。う、ううぅ……」
私の中で、何かが切れた音がした。
「う、うわぉああああああ!!!」
ドラゴンから、私も飛び出した。飛べる自覚なんてないのに。
こうなってしまえば、もう何もかもがヤケだ。
あの日から、何年が経っただろうか。
リオンさんには何度も助けられた。そのおかげで、私は今まで生きてこられた。
スマホをいじってばかりだったあの頃が懐かしい。もうあの頃の私ではない。
外の空気を吸ってきた。たくさんの人と触れ合って、私は成長したんだ。
「……父さん、母さん」
聞こえているだろうか。どこにいるのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
私の居場所は、ここにあるのだから。