012 わたしはだあれ?
侍女が親身に世話をしていた背景がいま明らかに。
夫人の腰にしがみついているのは、ひとりの幼女。年齢にして、五歳前後。非の打ち所なく整った部品に飾られた形のよい顔と、神がかっていると言ってもよいバランスのプロポーション。その幼女が年齢に似合わぬ強いまなざしでヨウタのほうを見ている。いや、睨みつけていると言ってもいいだろう。
(これだ……。この相手を焼き尽くすような強いまなざしに、おれはやられたのだ……)
ヨウタが「非業の」死をみっともなくも遂げたとき、クレア・リープフェルトは十歳、正確には十歳と十ヶ月十三日であり、目の前の幼女がそれよりも遙かに年下であることは明らかだ。だが、ヨウタは彼女がクレアであると確信していた。いや、確信とかそのような問題ではなく、単純に彼女を迷いなくクレアと認識した。
(リープフェルト家に縁ができるとか、そういうレベルじゃない。爺さんが口走ったのは、これだったんだ……)
ヨウタは、感動に打ち震えていた。あのクレアが、自分が知るよりもさらに魅力的なたたずまいでそこにいる。それこそ、これでもう一度死んでもよいと思えるくらいに。
突然、クレアがヨウタを指さした。そして、夫人を見上げる。ここで、ヨウタは夫人がシルヴィアという名であったことを思い出す。
「お母さま、それはなんですの?」
知識欲にあふれた彼女はヨウタの存在を自分なりに認識しようとしている。だが、ふだんから自分に礼を尽くすミゲルにモノのように扱われているように見えるヨウタが、自分や周囲と同じ人間であるとは夢にも思っていないらしい。そして、そこに差別意識のような底の浅い感覚はまだまぎれこんでいない。
(ああ、それだよ、クレア。きみは奴隷など自分と同じ人間だと思わなくてもいいんだ)
「それ」と呼ばれてヨウタはさらに感極まっている。涙すらにじんできていた。クレアはこの時点で間違った方向に進んではいない。ヨウタの理想の幼女だ。このクレアのままであれば、「悪役令嬢」になることが出来る。
「あらクレア、その子はね、奴隷といって……」
「奥様!」
ヨウタは思わず、ミゲルに顔を上げさせられた姿勢のままシルヴィアの言葉をさえぎった。初めての奴隷との出会いで、間違った認識をクレアに与えてはならない。その思いが口をつく。
「畏れながら奥様、自分は道ばたのゴミでございます! 奴隷は主人の望みを叶えるために力を尽くすだけの道具でございます。主人を持たないわたくしは道具ですらありません。まさに息をしているだけのゴミ。『その子』などと軽々しく人間扱いなさいませんよう! お嬢さまのおっしゃるとおり、『それ』でございます!」
一気にまくし立てたヨウタは、そのまま顔を伏せる。ミゲルが握ったままの髪が何本かブチブチと音を立てて抜ける。彼は、自分がこのまま無礼討ちされても、今の言葉が遺言のように残りさえすればいいと思っていた。
ヨウタの周囲は固まっていた。ミゲルも、ヨウタの髪を何本かつかんだまま動かない。リープフェルト侯爵もポカンと口をあけてヨウタを見ている。クレアは表情を変えない。変化を起こしたのは、シルヴィアだった。
「おもしろいわね。人間扱いを求めてくる身の程知らずの奴隷は見たことはあるけれど、人間扱いを拒む奴隷は初めて見たわ。聞けば、魔法の腕前も悪くないとか。あなた、無礼を許しますからもう一度顔を上げなさい」
ようやく硬直から脱した横のミゲルにうながされ、ヨウタはシルヴィアをいまいちど見上げる。視線が合うと、彼女はなぜか少しだけ頬を染めて目をそらした。そして、自分の夫に呼びかける。
「あなた、この子はわたしがしばらく預かります。よろしいですね?」
ふたたび場が硬直した。こんどは、ヨウタも固まる。無礼討ちで死ぬ覚悟をした状態からの急展開にスムーズについていくことが出来ていない。
「あなた?」
シルヴィアは、一段強い調子で夫に呼びかける。それでようやく時間が動き始めた。
「あ、ああ、好きにするといい」
リープフェルト侯爵の返答に満足したような笑みを浮かべたシルヴィアは、クレアの頭をひと撫でする。
「クレア、お父様といっしょにラウンジに戻ってらっしゃい。お母様はあとから参ります」
頷いたクレアがリープフェルト侯爵とともに屋敷に姿を消していく。シルヴィアは、ヨウタの世話をしてくれていたメイドのほうを見た。
「ヒルデ、その子を連れてついていらっしゃい」
ヒルデという名に反応して、ヨウタは思わずメイドのほうを見た。泣きそうな顔をしてこちらを見ている。
(クレアについてきていた最悪侍女だと? 言われてみれば……あの顔だ。しかしあの女、奴隷に平気で触るようなタマだったか?)
いまひとつ現状を把握しきれないまま、ヨウタはヒルデに連れられて屋敷の中に入り、二階の奥にあるシルヴィアの居室に連れ込まれた。
「そこで少し待っていなさい。ヒルデ、着替えを手伝ってちょうだい」
シルヴィアとヒルデは奥の間、おそらく寝室に姿を消す。一人残されたヨウタがあたりを見回してみると、大きな姿見が目に入った。なんとはなしにその前に立ってみる。
(なん……だと?)
そこに見えたものは、イヤになるほど見たヨウタ・キサラギの顔でも、かすかに記憶の底に引っかかっている子供のころの如月陽太の顔でもなく、甘さと冷たさを併せもつ美少年だった。そしてそれは、入学してきたクレアに護衛として付き従っていた、ジョージの顔でもあった。
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