ミクロの戦い
ミケランジェロはその美しい顔で冷たくオレグを見つめる。
オレグは言葉を失った。
「もちろん、このまま手をこまねいてたっていいんだ。だがそれはこの子だけじゃなく、他のに人間も助かる確率の非常に低い選択肢だ。とりあえず、いまはステルス機能を発動させて航路がバレないように適当に航行しているが、おまえの妹がいる限り、いずれ機械に見つかるだろうし、おまえはそうなったとき、責任を取れるのか。取れないだろう」
「ストップ、ミケ。苛立つのはわかるけど、オレグにあたったってどうしようもないよ」
エマの静止を受けて不服そうにミケランジェロは沈黙する。
「選択肢が少ないということは、裏を返せば手段はひとつじゃないということだよね」
ミケランジェロは沈黙をつづける。
この場合の沈黙は同意だとエマはわかっていた。
エマはちらりとアセルを見る。
アセルの目もとには涙の跡があった。
「わたしの目標は一秒でも長く生きることだ」
「……知ってる」
「そうなるとやっぱり、後悔なく長く生きたいじゃない? わたしにできることを全力で取り組まなきゃ」
「きみの脳を侵食する恐れがある」
「そこはほら、気合でなんとか」
「きみはわかっていない。脳を侵されるということは、次の瞬間にはきみはもうきみではない別のものになるかもしれないということだ」
「だけどここで見捨てたらわたしはわたしでいられない」
はあとミケランジェロは大きなため息をついた。
「合理的じゃないよ、エマ。僕としてはその子をさっさとここから落としてしまいたいところだ。きみができないなら僕がやったっていい。だけど、そんなことをしたらもう一緒に旅をできなくなるんだろうね」
「よくわかってるじゃん」
「わざわざリスクの高い選択をするなんて人間はやはり不可解だよ。僕は手伝わないからね。やるならさっさと済ませたほうがいい。不審に思えば、中央はすぐに戦闘機を出すだろう。それでなくても、哨戒機や衛星に補足される可能性もある。それほど時間はないよ」
「ありがとう、ミケ」
エマはアセルの横に座りこんだ。
肩に残っている注射針の跡に左手で触れる。
噂では聞いたことがあった。
中央に連れ去られた人間は視認することのできない機械を注入され、病気を治療できるかわりに、内側から機械にコントロールされ、最早人間ではなくなるのだと。
血液が体内をめぐる時間はおよそ一分だという。
それならばアセルに注入されたナノマシンはすでに体中に行き渡っていると考えるべきだ。
だが、この子も含めてみんなを救いたいというわがままを叶えるには、注入されたナノマシンをすべて壊すしかない。
そうだ。
これはわがままだ。
エマは微笑する。
わたしは結局、わたしでありたいために、意地を通すのだ。
エマの持つナノマシンがアセルの注射の跡からアセルの体のなかへと侵入する。
欠けた左腕と左脚の機械部分はナノマシンの集合体でできていた。
ある日、そのナノマシンの力を自分の意志で利用できることを知る。
ナノマシンを目で利用すれば、通常では見えないミクロの世界や、逆に大気圏外を漂う衛星を捉えることができた。
体全体にまんべんなく広げれば通常では出せない力をだせるようになった。
また、他人の体内にナノマシンを侵入させることで、内側から破壊することも、逆に集中すれば病原菌やウィルスだけを排除するいこともできた。
だがその力を使うことをエマは極力控えていた。
当初は左腕と左脚部分だけにとどまっていたナノマシンは、徐々に身体に広がりつつあった。
それはエマの身体に広がる枝にも似た幾何学模様から判明した。
一度広がったいびつな模様は決して戻らない。
そして、ナノマシンの力を使うことで速度を早めた。
左腕のナノマシンはすでに肩までその枝を広げていた。
もし体中に広がったら、そうでなかったとしても脳まで達してしまったら、それは本当にエマ自身といえるのか――ミケランジェロは懸念していた。
エマは意識を集中させる。
目ではない別の視界で見る。
アセルの血液のなかを巡るナノマシンはエマのものとは違う型をしている。
攻撃性は低く、見つけてしまえば取り除くのは簡単だ。
だが、いかんせん数が多い。
すでに血管から染みでて、細胞に入りこんだものもいる。
それらを探しては取り除いていく。
額に汗が滲んだ。
視界は暗い。
探しながら倒すのは厄介だった。
時間がかかりすぎる。
だが手を抜くわけにもいかない。
ひとつでも取りこぼしては意味がない。
床にエマの汗が落ちる。
ミケランジェロの腕にとまっているネブラがぐるりと首を回した。
つぶらな瞳でじっとミケランジェロを見つめる。
「なんだ。なにか言いたいのか、ネブラ」
だがネブラはなにも答えない。
じっと見つめるだけだ。
「僕は止めただろう。それに手伝わないと宣言したんだ。これはエマの選択だ」
まん丸い黄色い瞳はただただ見つめつづける。
「ちっ。わかったよ。なんだってみんなエマに甘いんだ。ネブラ、少しの間任せるぞ」
ネブラは首をぐるりと一回転させて、一度瞬きをした。
ミケランジェロは目をつぶり手をかざす。
そこには紫色のキューブ型の数字の塊が現れた。
青色に輝くエマを見る。
エマの目の周囲をミケランジェロの数字が覆う。
エマははっと顔をあげる。
『僕の視界を分けてやる』
アセルの体内を巡るナノマシンがオレンジ色に輝く。
ケルーブ・ハイ・ネットワークとの接続を表す光だ。
『ありがとう、ミケ!』
マーキングされたことにより、探す手間がなくなったエマは、一気に片づける。
「あああ。ぐらぐらする。まだ視界が戻らない」
「無茶するからだ、馬鹿。侵食は?」
「大丈夫、大丈夫。あとでパワードスーツ脱いだときにチェックしてもいいよ」
「馬鹿」
「へへっ」
意識を失っていたアセルは間もなく目を開き、まぶたをこすりながら体を起こした。
「アセル!」
オレグは母親の手を振りほどき、走り寄る。
「あれ。お兄ちゃん?」
「アセル! よかった! よかった……!」
窓によりかかり、そのさまを微笑ましく見ていたエマだったが、ふと窓の外を見てなにかに気づいた。
感動の対面も中途半端にオレグは、おずおずとエマに近づく。
「あの、エマ。本当にありがとう。それから俺、言わなくちゃいけないことがあって……」
だがエマにはその言葉は届かない。
窓の外を震える指で差して唖然としている。
オレグも思わずその指の先に視線を送る。
KLISは航路を低く取り、山肌の近くを飛行していた。
それは岩場をはっきりと視認できるほどだった。
そして、いま、その切りだった岩肌を悠々と歩くものがいる。
白い毛並み、黒い斑の模様、しなやかな肢体――雪豹だ。
「見た?」
「見た!」
エマとオレグは顔を見合わせる。
「やったあ! 見ちゃったよ、雪豹!」
「すっげえ! 本当にいたんだ!」
「んん?」
「あ!」
みずからの失言にオレグは思わず口を覆う。
じーっと疑いの視線を送りながらも、エマはにっと笑い、その頭を撫でた。
「あの……エマ。それにミケ。本当に助けてくれてありがとう」
「どういたしまして!」
エマがミケランジェロを小突く。
「僕は……エマのわがままに付き合わされただけだから」
手を腰に当てたオレグがふんと鼻を鳴らす。
「ミケは本当に素直じゃないのな」
「本当だよね」
エマは大口を開けて、あははっと笑った。
アセルの手を握ったオレグは母親のもとへと向かう。
それを見送りながらエマが言った。
「行き先は沈没島だね」
「沈没島は嫌いなんだが」
「腕がもげたんだから直さなきゃ仕方ないじゃん」
「だれのせいだと思っているんだ。それにこのままじゃすまないぞ。こんなでっかいもの略奪したんだ。連合共和国は犯人を突き止めようと動きだす」
「そもそもこいつを略奪しようと言いだしたのはミケでしょ」
「それは、どうせエマが中にいる人間を全員どうにかしたいって言いだすのが目に見えてたから。一番手っ取り早い方法を――」
ニヤニヤするエマの表情に気づいたミケランジェロはむっとして沈黙する。
「本当、頼りになるよ。相棒は」
「調子のいいヤツ。あーあ。やっぱり寄り道を許したのは失敗だったな」
泣き疲れうたた寝する母親の横に座っていたアセルは、そっとオレグの袖を引いた。
まっすぐ見つめる瞳は揺るがず、オレグはまるでアセルがアセルじゃない、なにかもっと古めかしいものに変化したように感じた。
「ねえ、お兄ちゃん」
不安を払拭するようにオレグは快活に聞いた。
「どうした、アセル?」
だが不安は払拭できるどころかますます大きくなる。
啓示を受け、悟りきった修行僧のように、アセルの表情はつるんとして、まるで感情が欠けている。
アセルはそっと兄に耳打ちする。
「あたしね。神さまを見たのよ」