#07 モデルとゲージュツ。 #1
セリカさんは、「あたしねえ、抹茶の水羊羹がすっごくすっごく好きなのよ」と主張して、抹茶のだけ二個もらって帰ってった。
セリカさんを見送ってからウチも帰ろうとしたら、「ところで、ずっと気になってたんですけど」と、カケルくんに呼び止められた。
「なに?」
ウチがかわいいって、カケルくんもやっとこさ気付いたかな? したら、も少し愛想よくしてくれてもいいと思うんだけど。
でもカケルくんはため息をついてから、「そこ、いつ染み付けたんです?」と、自分のデコルテ辺りを指差した。
「え? 染み?」と見下ろすと、青い染みがクリーム色のシャツに付いている。
「ヤっバ。さっきアイス垂らしちゃったんだぁ」
急いで食べたんだけどなぁ。
「アイスですか?」と、カケルくんはまた呆れ顔になった。
「あなた、子どもみたいですね――あぁ、子どもでしたね」
ふっと煙を吹いて、灰皿に煙草を押し付ける。
なしてこう、いつもひと言ふた言多いのかな、この人……
ちょっとムカついたけど、でもしてくれるって言うから、また染み抜きをしてもらう。
昨日ウチが脱いだワイシャツがそのまま脱衣カゴにあったから、シャツを脱いでそれを羽織る。
鏡に映る、ブカブカなワイシャツ。セリカさんみたいなぽよよんがない胸……全然ないわけでないけどさ。
そりゃぁ、セリカさんみたいなモデルさん見てたら、ウチなんて全然色気なく見えるだろうけどさぁ。
でもウチまだ成長中だし。谷間だってこれからできるんだし。
ワイシャツを着てボタンを止めたら、下になんも履いてないみたいに見えることに気づいた。ショートパンツ履いてるのに……へぇ、なんだかおもしろぉい。
「……下は脱がなくてもいいんですよ?」
洗面所から出て来たウチに、カケルくんは一瞬眼を丸くしたけど、その後腕組みをして渋い顔になった。
「履いてるよ、ほら」とワイシャツの両端を持ち上げて見せる。
「ばっ……年頃の娘さんが、そういうことはしないでください!」と、カケルくんは慌てたようにそっぽを向いた。
叱られちゃった……いや、びっくりしたのかな?
「え、まさか履いてないと思ったの? したら、んなことするわけないっしょぉ。ってか、カケルくんて若く見えて実は結構おじさん? 『年頃の娘さん』なんて、うちに来るおじいちゃんみたいな人しか言わないよぅ」
「知りませんよそんなこと」
カケルくんは不機嫌な声で言い捨てると作業部屋に向かった。この人、ウチといると八割はムッとした顔か無表情だよね。
で、残りの二割が呆れ顔。
ウチは肩をすくめながらカケルくんの後に続く。
昨日と同じ丸椅子に座って染み抜きするのを待っていたら、急にカケルくんが振り返ってしかめ面をした。
「だから、そういう座り方ははしたないと言ってるんです」
「今日はショーパン履いてるからいいしょや。なんも、見えるわけでないし」
したから脚を閉じないで、パタパタさせる。
「見えるかどうかではなく……そういうポーズはね、あなた、挑発してるようにしか見えませんよ?」
挑発?
耳慣れない言葉。ウチは眼を丸くする。
「カケルくんはウチに挑発されるの?」
「そんなわけないでしょう。まだ――」
「さっきのおねえさんみたいなムッチムチの方が好きなんだ?」と言いながら、口が尖る。どうせウチ、色気ないしね。
「何を言ってるんですか、急に」
カケルくんは呆れたように言って後ろを向いてしまった。
「ウチ、太るのやだなぁ……」
クラスの子はダイエットしなきゃっていっつも言ってるし。ウチは細い方だけど、やっぱ太るのは好きくない。
でもぽよよんって揺れるのはいいな……胸だけおっきくなんないかなぁ。
「セリカさんは太ってはいませんよ」
後ろ向きのまま、カケルくんが反論した。
「ええ? でもさぁ、お腹とかぷよんってしてさぁ」
アイドルとか女優さんとかは、あんなにぷよんってしてないし。
そう考えていたら、カケルくんがまた振り返った。
「みんなそうなるんです。むしろ、今の若い子はやせ過ぎだと俺は思いますけどね。ちゃんとごはん食べてますか?」
じとーって冷たい眼で、ウチを見る。
「でもさぁ、テレビとか雑誌とかのモデルさんって、みんな細いっしょや」
ウチがほっぺたを膨らませたら、カケルくんはちょっと困ったような顔をした。
「セリカさんは、お若い頃はほんとにスタイルのいいモデルさんでしたよ。今の若い人たちのように細かったわけじゃないです。でも、というか、だから、女性的な美しさがきちんとありました。今でもあの年齢であのスタイルは、不自然なく美しいと思います」
優しそうな笑顔で「お子さんも二人いらっしゃるし」と付け足す。ウチにはそんな顔しないのに。なぁんか、ずるいしょや。
でも、お母さんなんだ、あの人。
そう考えたら、ウチのママよりスタイルいいかも。でもお母さんなのにヌードモデルとかするのは、やっぱり変な感じ。
恥ずかしくないのかなぁ……それとも、ゲージュツだから平気なのかなぁ。
「ウチ、ゲージュツはよくわかんない」
肩をすくめると、カケルくんはやっと少しだけ優しそうな表情をウチに向けた。
「芸術ってのは自分で見たり触ったりして、これがいいとか、こういうのが好きとか、思うことなんじゃないですか」
「ふぅん……」
いいとか好きとか思うこと? なんかあったかなぁ……
シュー、シュー、とエアブラシが鳴る。
ミシン台はやっぱりゴゴゴゴうるさい。
カケルくん、ひょっとして染み抜きするの結構好きなのかな? 左右に揺れる寝癖頭は、なんだか楽しそう。
「できました」と服を持って来てくれた時もまだ少し笑顔だった。
「ほんとキレイに消えるねぇ……ねえ、ウチもゲージュツになれる?」
「それってモデルの話ですか?」と、カケルくんは眼を丸くした。
「うん……脱がないけどさぁ」
脱いだってどうせ、ウチみたいな子どもじゃ色気もないだろうしさぁ。
「脱ぐだけがモデルじゃないですってば。このワイシャツ姿だって素敵ですよ」
うわ、真面目な顔で誉められちゃった。かわいいとかでなくて素敵、だって。
「えー、なんかやーらしー」
面と向かって誉められたら、なんか照れくさいしょやぁ。
「……誉めたの、返してください」ってまたムッとされた。
「やぁだー」返すわけないしょ。
「素直じゃないですね」と、カケルくんは呆れたような顔をした。
「ねえ、萌える? ウチ萌える?」
「萌えるってのとは違いますけど……」
うーん、違うんだ?
「したらば、どういうのが萌えなの?」
「んー……そうですね、例えば……」と、カケルくんは真剣な表情でウチを見た。
ってか、やっぱヤバいこの眼。セリカさんを見てたのと同じ眼。刺さる。
「袖なら、折り返さずにそのままで」と手を伸ばして来て、巻いていたワイシャツの袖を元に戻した。
「長いから、こう皺が寄るじゃないですか」
「うんうん」
「シャツ全体に皺を寄せた方が陰影がキレイですから、腕を少し内側に――」
ウチの腕や脚をマネキンみたいに動かしてポーズをつけてから、「こうかな……」と、少し離れて確認したカケルくん。
直後にぶわっと赤面した。
「え……えっ?」
なして?