#04 倉庫と染み抜き。 #2
Tシャツを当ててみたけど、襟ぐりが大き過ぎるから、ワイシャツにした。これだけで膝丈のワンピくらいの長さがあるし。
当然袖も長くて、この時期に長袖ってやっぱ暑いから、数回折り返して腕を出した。
「あのこれ、お願いします」と脱衣所を出たら、カケルくんは壁にもたれて煙草を吸っていた。
「煙草、吸っていいの?」と、思わず声を掛ける。
「……俺ん家で、俺が煙草吸ってはいけない理由とは?」
片手でワンピを受け取りながら、カケルくんが渋い顔をする。
ってことは二十歳過ぎてんだ……ヤバい、えっと何か言い訳しなきゃ。
や、カケルくんが背ぇ低いから、まだ子どもかと思ったとか……そーゆーんじゃないんだけどね?
「あ、したってこの辺、溶剤のニオイしてたし、火気厳禁とかさ?」
「あぁ、そういうことですか」
カケルくんの眼が少しだけ見開かれる。上手く誤魔化せたっぽい。
「さすがに溶剤使う時は吸わないですけどね。でも臭いがするからってどこでも火気厳禁ってわけじゃないでしょう」
「そ、そっかぁ」
倉庫は、カマボコの切り口の面に部屋がいくつか並んでいる造りらしい。洗面所の隣の隣、入り口側に戻って一番端っこにあるドアに、カケルくんが向かう。
ウチがなんとなくついて行ったら一瞬ちらっと振り返られたけど、なんも言われなかった。
そのまま、ごちゃごちゃした作業場って感じの部屋に入る。
スチールラックがいくつかあって、キャンバスやスケッチブックがたくさん並んでるのが見える。
作業場っていうより学校の美術準備室みたい? 絵の具のにおいもする。
「その辺の椅子に、適当に掛けててください」
キョロキョロしてるウチに声を掛けて、カケルくんは部屋の隅にある機械に向かう。機械っても足踏みミシンのミシン台だけのような形。少し高めの台の下にさかさまのカマボコが貼り付いている。
で、上の方には銀色の細い管が引っ掛けられている。
ウチは転がってた丸椅子を立ててそこに座った。
カケルくんはまずワンピにブラシを掛けて、埃を丁寧に落とす。それから銀色の管を手に取った。管の先端はペンみたいに尖っている。
あ、そっか。あれ、兄貴が使うエアブラシに似てるんだ。
そう考えながら見てると、管の先からシュ、シューと音がして霧が出た。あれで染み抜きをするのかな。
カケルくんが足元にあるペダルを踏むと、途端にゴォォォォっと大きな掃除機っぽい音がミシン台から響いて来る。
ウチのワンピを台に広げて、あっちこっちから確認して――
「ほんとにやりますよ?」と、急に振り返ってカケルくんが言った。
「え? あ、うん。お願いします」
身を乗り出して観察していたウチは、驚きながらもうなずいた。でも急に、カケルくんの眼が『じとー』って感じで細められる。
「……それ、見せたいんですか?」
見せたい? 何を? と視線を辿って見下ろすと、脚を開いて丸椅子に手をついて座っていたから、ワイシャツの裾がたごまって超ミニスカみたいになってた。
「ば、莫っ迦でない? んなわけないっしょ」
慌てて脚を閉じて裾を直したけど……今は見えてなかったよね?
「まぁ、万が一そうだとしても、まだ全然色気がありませんけどね……あと、谷間もないですよね、まだ全然」
ふん、と鼻を鳴らして首を横に振りながら、カケルくんは後ろを向いた。
「ほっとけよ。ウチはこれから育つんだよ……っ」
ミシン台と染み抜きエアブラシのやかましい二重奏の中で、ウチは口を尖らせた。ほんっといちいちムカつくやつ!
ウチ、恩人だよっ?
* * * * * *
塾の夏期講習は、夏休みが始まってすぐから、集中的に二週間。
週末は週末で特別講習がある。それからお盆休みを挟んで、二日間の模試で終わる。
「はい、今日はここまで」
学校とは違うチャイム。
鳴ると同時にタイラ先生が教卓に両手をついて、終了宣言。
やっと教室内の空気が緩み、徐々にザワザワし始める。
タイラ先生は三十歳。背が高くてちょっとたれ目で、ハーフっぽい顔立ちのイケメン。いっつもいい匂いがする。
モデルかタレントでもしてそうなのに、なしてこんなイナカで塾講師やってんだろ、って初めて見た時は思った。
「お盆はみんな、墓参りや旅行に行ったりするのかな?」
教材を片付けながら、教卓の周りに集まった生徒たちに話し掛けてる。ま、ウチらは受験生だから、夏休み中といえども浮かれてるわけにはいかないんだけど。
ってゆーか、夏期講習出てたら、どっこも遊びに行けないし。そうでなくても、うちは家族で旅行したことないけど。
教卓に群がっているのはほとんど女子。ウチも最初はあの中のひとりだった。
学校がある時は私服と制服が半々だったけど、今はみんな私服。しかも女子力アピールなのか、エアコンがほどよく効いている教室だというのに露出度高い女子が多い。化粧してる子も結構いる。
みんな何しに来てんだよ――と、当初の自分のことを棚に上げて、ため息をつく。
……ウチもメイクした方がいいかな。
ウチには年子の兄貴がいる。
兄貴は、ここから列車で一時間半掛かる海辺の街の、レベルが高い私立高校に通っていて、そこで寮生活をしてる。
ウチは兄貴ほど頭のデキがよくないし、勉強も好きくない。だから進学先を地元の公立から選ばなきゃなかった。
地元には普通科高校が三校ある。うちから一番近いK高校は、三校の中で一番レベルが高い。
あとはK高の中に家政科がひとつと、農業高校。
勉強があまり好きくなくて、高校出てすぐ就職する場合、農家さんのうちの子は農高、サラリーマンのうちの女子は家政科に進むのが多かった。
でもウチはどっちも嫌だったから、なしても普通科に受からなきゃないんだけど……そう簡単な話でなかった。
評判がいい塾に――といっても、ここの街に大きめのは二、三軒しかないみたいだけど――通い始めたのは、中二になってすぐ。
一年時の成績がヤバいって、ママが顔面蒼白になりながら、嫌がるウチを引きずってった。
地元の公立に受かるために塾に通うなんて、ウチくらいしかいないんでないかと思ったら、同じような理由で塾に来てる人が結構いた。野球とか陸上とかサッカーとか、運動部の男子が割り合いに多いみたい。
違う中学校の生徒もいたけど、顔触れを見て納得した。
でもそーゆー人たちと違って、やりたいことも好きなことも特になんもなくて、全然空っぽなウチは、受験までモチベが保てない気がしてた。
いざ通い始めると、塾の先生たちは話も上手くて、わからないとこも丁寧に教えてくれるし、これなら結構いいかも、と思うようになったけど。
とにかく平均点を上げろという担任やママたちの脅しに近いアドバイスもあったし、特に英語が苦手だったから、英語を担当するタイラ先生に質問しまくってた。
先生の方も、こんなデキの悪いウチに随分根気よく付き合ってくれたと思う。
あと、塾には割とカッコイイ先生が多くて……タイラ先生もだけど。いわゆる目の保養ってやつ?
だから初めは緊張しちゃうんでないかと思ってたけど、指導の時は熱心で親切だったから、ウチも頑張って勉強してた。