#03 倉庫と染み抜き。 #1
甘い物と水分を補給して、ようやく立ち上がれるようになった行き倒れ――カケルくんが、「うちで手当て、します?」と埃まみれの顔のまま見下ろした。
白目の多い眼が、ウチを見つめる。
普通そーゆー時ってさぁ、男子って「手を貸そうか?」とかするもんっしょ?
気が利かないのかなぁこの人。
しょうがないから「したら立たせてよ」と手を伸ばしたら、カケルくんは何故か困ったような顔になった。
「なに、ヤなの?」とウチは口を尖らせた。
「いいですけど……汚れますよ?」
カケルくんは困った顔のままこたえる。
「そんなん、今更だよ。え、カケルくん、そったらことで悩んでたの?」
変なの。後で払えばいいしょや。
どうせ転んじゃった時に、ワンピも埃まみれになっちゃったしさぁ。
擦り傷が大きい右脚側をカケルくんが支えてくれようとする。でもまたなんか悩んでるから、「なしたの?」と訊いた。
「えっと……すみません。抱いて行ければよかったんですが……」
「え? や、いいよぉそんなん、ウチ重いし。ちょっこしなら歩けないことないし」
したってカケルくんまだフラフラしてるしさ、ウチを抱っこするのは全然無理っしょや。ってゆーか、抱っこされるとかウチ考えてなかったよ……驚いた。
結局、カケルくんとウチは、お互い肩を貸し合って倉庫に向かった。
カケルくんは水道の近くにあるドアに鍵を差し込み、そのまま開けてから鍵を引き抜く。
倉庫の中は体育館みたいに床が張ってあって、ウチは玄関っぽいとこに座らせてもらった。
「休んでてください。救急箱取って来ますから」
そう言って、カケルくんは部屋があるらしいドアの方へ向かった。
ちょっと食べたりしたからか日陰になったからか、声はさっきよりずっとしっかりしてる。
「膝もそうだけどさぁ……それよりワンピ、汚れちゃった」
ひとりで残されたウチはため息をつく。まだ新しいワンピースなのに、埃だけでなく膝の辺りの布が擦れてしまったうえに、血が付いてた。
血って取れにくいんだよね……すごいがっかり。凹む。
カマボコ型の倉庫の中は外と比べてだいぶ暗く、外よりも蒸していた。
上の方に明かり取りの窓が並んでるけど、あれだけじゃ下まで光が届かない。天井には照明がいくつかついてるのが見える。
倉庫の隅の方に、体育館とかで使うような大きな送風機があったけど、動かしてない。使えば涼しくなるのかなぁ。
壁には板が何枚も立て掛けてあって――あれ、板じゃない。全部絵だ。
キャンバスに描かれている裸の女の人の絵と、風景画と静物画……あとなんだろう。龍? それがたくさん。
「あぁそっかぁ。さっき水道んとこで気になったの、絵の具のにおいだったんだ」
そういえば、脂くさいってのも、どっちかっていうと絵の具とか溶剤みたいだった。したら、カケルくんはここで絵を描いている人なんだろうか。こんだけ広さが必要って、絵の教室とかやってるのかな?
撮影に使うような、スタンドの付いた大きなライトがいくつか、絵の近くにまとめて立ててあった。あれは絵を描く時に使うのかな……やっぱり、天井のだけじゃ暗いんだろうか。天井、高過ぎだし。
「お待たせしました――あぁ、それ、汚れちゃってますね」
顔を上げると、眼鏡を掛けたカケルくんがこっちを見てた。
随分印象が違う……ってか、眼鏡のせいだけでないっぽい。頭ボサボサは変わってないのにどこかさっきよりスッキリしてる。
「……顔と手を洗って来ました」
カケルくんがムッとした顔で付け足した。ウチが何を言いたかったのかわかったみたい。髭も剃ったんだ……つるっとしてる。
ひょっとしたらこの人、ウチとあんまし変わらない年齢かも。高校生か大学生か、それくらい。
髪もちゃんとしてお洒落したら、もうちょっとカッコよくなりそうなのになぁ……
「ワンピさぁ……こんなんなっちゃって、がっかりなんだけど」
手当てしてもらいながらボヤく。
このワンピ、肩や裾に透かしレースが付いてて、裾の方は落ち着いた色合いの小花模様も散らしてあって、少し大人っぽい感じが好きだったのになぁ。
家に帰るまでには血も乾いちゃうよね。ってかもう乾いてるのかも。
洗濯だけじゃきれいにならないし、模様を避けて漂白するのってウチじゃ無理だし。怪我したことよりも凹んじゃうよ。
「染み抜き、しましょうか?」
消毒した膝にガーゼを当てながら、カケルくんが言い出す。ウチの反応を確認するみたいに、ちらっとだけウチの眼を見て。
「え、でも染み抜きって高いっしょ?」
「クリーニング店でしてもらえばそれなりですね。でも俺、ここでできますから」
ここ、と言いながら、カケルくんは壁にくっついているドアを指した。さっき救急箱取りに行ったドア。つまり、あっちになんかあるってこと?
「ほんと? できる?」
カケルくんに向き直って問うと、一瞬、考えるような表情になった。
「あの、でも……それ脱いでもらわないと――」
「や、やっぱロリコン!」
咄嗟に両腕を身体の前で合わせた。
しまった。うっかり生足も触らせちゃったしょや。ちょっとでもいい人って思って失敗した?
学校でも「夏休みには変な人に遭わないように……」って言われてたのに。
でもカケルくんは、ウチの勢いに呆れたような顔でため息をついた。
「やっぱ、って酷いですね。もちろん着替えは貸しますよ。Tシャツなどでよければですけど」
「あ、あぁ、そうなんだ……そうだよね」
なんだか気まずい。
「――ってか、今更子どもの裸で動揺するトシじゃないんですが」
「はぁ? なんか言ったぁ?」
「何も……で、どうします? した方がいいですか?」
やる気のなさそうな顔でウチの膝にガーゼを貼り終えると、カケルくんは立ち上がって首を傾げた。
でもさぁ今さぁ、ぼそっと莫迦にしたよね?
ちょームカつく!
口がへの字になりそうなのを気合で押し留めながら、ウチは頭を下げる。
「……したら、オネガイシマス……」
「ふぅん」と、返事なのか鼻息なのかわからない声が、頭の上から聞こえた。
「こっち洗面所兼脱衣所なんで、ここで着替えてください。あ、顔を洗いたかったらどうぞ。タオルもあります」
そう言ってカケルくんは服を二着持って来た。
ワイシャツとTシャツ。広げてみるとどっちも白い。どっちも大きい。
ってゆーかこれ、カケルくんが着るにしても大きくない? さっき肩貸し合って歩いた時も、そんなに身長差感じなかったし……
ウチ今一五二センチだけど、多分十センチくらいしか違わなさそうだし。
これ、誰が着てる服なんだろう?
鏡を見たら、カケルくんほどでなかったけど、ウチの顔も埃っぽかった。
ばしゃばしゃと顔を洗って、ついでに手や腕にも水を流す。水は気持ちいい冷たさで、暑かったのもさっぱりした。
用意されていたタオルは真っ白でふわふわだった。
洗顔フォームは男物しか出てなかったけど、タオルとかシャツとか、男の人の一人暮らしとは思えないような準備のよさだよね。
ってか、カケルくんは一人暮らしでないのかな。ここ、他に家族とかも住んでるのかなぁ? でもこんなとこに?