#13 約束と約束。 #1
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勢いに任せて捕まえて、「この人の傘に入れてもらうから大丈夫」っておばあちゃんには言って店を出て、そのままここに来た――まではいいんだけど。
カケルくんがウチの頼みを聞いてくれない。
「後悔しないし」
困り顔で玄関に座って見上げているカケルくんに対して、ウチは立ったまま、きっと怒ったような顔になってると思う。
カケルくんの脇には、おばあちゃんに持たされてたビニール袋。お弁当やお惣菜のパッケージの他に小さなタッパーが顔を覗かせてる。冷蔵庫の中にコンビニのお弁当が入ってるのは見たことあったけど……そういうことだったんだ。
「でもお前、その先生に当て付けたくて俺を利用してんだろ? そんなん……もっと自分を大切にしろよ」
カケルくんは何度目かのため息をつく。
「ウチにあったらことしといて、今更説教するの?」
「それは――っ」
途端にカケルくんの顔がぶわわって赤くなった。
んん、さすがにいじめ過ぎた。カケルくんの困り顔を見ると、どうしてももっと困らせたくなって……つい、我慢できなかった。
ってゆーかウチ、お土産買うの忘れちゃったよ。やっぱりお土産持参で来るべきだったかも。熨斗つけて。したらこんな、怒んなくてもお願いできたかも知れないのに。
……そーゆー話でもないような?
「ごめん……ウチちょっと頭冷やす」
折角会えたのに、これじゃ意味ない。
「うん、そうした方がいい」
カケルくんも、ほっとしたような顔になる。
「でもさ……でもウチ、やっぱりさ」
「いや、俺なんかじゃない方がいいって。もっとちゃんと好きになっ――」
「ウチ、キライな人とかどーでもいい人としようなんて、考えたことないよっ!」
カケルくんを遮って怒鳴るように吐いた言葉は、涙声になった。
喉がヒリヒリする。
カケルくんは殴られたみたいな顔をして、ぽかんと口を開けている。
もう無理。やっぱ我慢できない。これ以上断られたらウチの気持ちが折れる。
ってゆーか、女子がこんなにお願いしてんのに断るとか、カケルくんどっかおかしいんでない?
「講習の最終日。約束してよ、カケルくん」
ビシッと、指差して宣言する。
何を、かなんて、今更もう一度言わせないでよね。ウチ、今でも充分顔が赤くなってるのにさ。
「でも――」
「したらウチも、受験勉強一所懸命するって約束する。受験終るまでもう来ないって約束するから……K高の合格発表まで我慢するから」
「いや、香織」
「やだ、カケルくんがいいの! カケルくんじゃなきゃいやなの!」
大声で言い切ったら余計に恥ずかしくなった。これじゃまるで告白っしょや。
「と、とにかく最終日ね! 来週の火曜日だから覚悟しといてねっ!」
トマトみたいになってるカケルくんを置いて、小雨の中を逃げるように家まで帰った。
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お盆休み中も課題があった。休みが開けには模試がある。
なのに気持ちだけが時々どっかに飛んでってしまいそうになって、そのたびに何度もひとりで部屋の中をうろうろしていた。
受験用にって、やっともらえたひとり部屋。
兄貴が寮に入ったからようやく空いた、東の角の部屋。
「模試が終わったら……」と、つい独り言がこぼれる。
本当のゴールは高校入学。でも今はとにかく、模試を自分史上最高の点数で通過しなきゃ駄目だって思う。
そうしなきゃ、『約束』は――わかってるのに、やっぱり集中できなくなる。
なしてあんなこと言っちゃったんだろう。
恐怖よりも恥ずかしくて、なのにめちゃくちゃ期待もしてる。あの視線がまたウチだけのものになる瞬間が待ち遠しくて。
「あーもう、勉強しなきゃ!」
今日、何回目かの気合を入れて、ウチはまた机に向かった。
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その日は晴れていて、久し振りにじりじりと暑かった。
黙ってても汗が出て来る気温の中、ウチは息を切らせながらカケルくんの倉庫に向かった。
「模試終わったよ!」
そう言いながらカマボコの端についてるドアを開ける。
驚いて目を丸くしているカケルくんがいた。いつもとおんなじ、ぼさぼさ頭によれよれTシャツとハーフパンツ。
でもウチがここに通うようになってから、髪型も少しずつマシになってってた。ちょっとはウチのこと気にしてくれてたのかも。
寝癖だけは、なしても頑固過ぎるみたいだけど。
「あ、絵を描いてたの?」
サンダルを脱ぎ捨てて上がる。Aの形の台に、キャンバスが乗っていた。
「何描いてたの?」と覗き込むと、ラフな線でもわかるくらい、見慣れた姿が浮かび上がる。
「これ、ウチだぁ」
「そうです……よくわかりましたね?」
「したって、このほっぺたのラインとか、足のつま先の癖とか――あぁ、そういうことなんだ」
これはカケルくんが見た、ウチの姿。
カケルくんがうなずいた。
「見たままに描くんです。もっとも、想像したものを描く絵もありますよ。これのように」と見せてくれたのは、躍動感のある龍の絵だった。
「すごい。生きてるみたい」
「そうですか? まだ思い通りに描けてないんですよ」
「でもすごい……空を突き抜けて飛んで行きそう」
「この絵を仕上げて展覧会に出品しようと思ってるんです――多分これがニート生活の最後の作品になりますね」
そう言ってカケルくんはクスっと笑う。
「きっと賞をもらえるよ。カケルくんなら、絶対。絵描きさんになれるよ」
「……ありがとうございます」
「ってか、なしてそんな他人行儀な感じなの?」
「俺の場合、この喋り方がデフォルトなんですよ」
「うそ。こないだとか全然違ったっしょ」
口を尖らせて言い返してから、ハッと思い出して赤面する。
しかも今気付いたけど、カケルくんと肩をぶつけるくらい近い……自覚した途端に恥ずかしくなる。
「だって、あの時はそうしないと、なんというか……恥ずかしいじゃないですか」
ぷいっとそっぽを向いたカケルくんの顔も、またトマトになってる。
大人の男の人って、こんなにしょっちゅう赤くなるもんなの?
「彼女いたことあるんだよね?」
ウチはわざとカケルくんの顔を覗き込む。カケルくんは慌てて、片手で顔を押さえた。
「だからって平気なわけではないんです」と、モゴモゴした声で言い返す。
「そうなんだ……なんか嬉しい」
「変なこと言いますね?」
顔から手を離したカケルくんは、今度は呆れたような表情になった。
「変かなぁ?」だって、ほんとだよ?
「変ですよ……ひどく、物好きだ。こんなつまらない男の所に来たりして」
カケルくんはウチの髪を優しく梳いた。走って来たし、ウチの髪もぼさぼさになってたかなぁ。
「つまらなくないよ。カケルくんはカッコイイよ」
カケルくんの手に、ウチの手を添えた。
「……そういうことを言うところが、変なんです」と、カケルくんは真顔で言う。
「ひど――」
文句言ってやろうかと思ったら、口を塞がれた。
眼鏡のレンズが眼の上にぶつかる。
「あ……」
カケルくんは慌てて眼鏡を外して、バツが悪そうな顔でレンズを拭いた。ウチも顔を赤くしたまま笑った。
手を繋いで、もう一度そっと口づける。
それから、ウチがまだ入ったことがない、一番奥のドアへ二人で向かった。




