#11 嘘つきとウチ。 #1
再開されたスケッチ。
鉛筆の走る音を聞きながら、ウチはまた問う。
「カケルくんて何歳なの?」
「……今年二十九です」
「え? ヤバ」
「ヤバってなんですか。失礼な」
ムッとした顔でこっちを見る。
「したってさぁ、こやってられんの来年までしょや」
「あぁ……そうですね」
今度は一瞬、ポカンとした表情になった。ひょっとして、考えないようにしていたんだろうか。
「ウチと結構離れてたんだぁ」
ってかカケルくん、タイラ先生とほぼタメっしょや。
「香織さんは中三ですから……今、十四ですか?」
「ウチ五月生まれだから、もう十五だし」って言ったら、カケルくんはくすくす笑った。
「大差ないじゃないですか」
「あるよ……ウチらにとっては大きいよ。誕生日がいつなのかは」
「そうですか――じゃあ今は十三歳差ですね」
少し楽しそうな声でカケルくんが続ける。
「誕生日、まだなんだ?」
「ええ、十二月ですから」
「そっかぁ」
アラームが鳴る。
ポーズを変える。
ずっと、こやってるのもいいなぁって、最近ここに来るたびに考えてた。
かわいいカッコして来て、カケルくんに色んな形を作ってもらって、マネキンになって熱い視線を浴びて。
それに、カケルくんのことを色々訊いているのは、タイラ先生と話していた時間よりもずっと楽しかったし。
でも、来年までかぁ……
「カケルくんってさぁ、彼女いないの?」
こないだまたセリカさんと会ったけど、夏休み中はお子さんの相手しなきゃないから忙しいって言ってたし、他の人にはまだ会ったことがない。
スケッチブックを見せてもらって、他にも何人かモデルさんが来てるらしいってのはわかったけど、ヌードを描いてるのはセリカさんだけだった。
でももし彼女がいたら、ウチがここにしょっちゅう遊びに来てるの、あんまいい気しないもんだよね。
「いたとしてもとっくにフラれてるでしょう。こんな生活している男なんて」と、苦笑された。
「うーん……したらさ、金持ちの女の人捕まえたら? 逆玉ってゆーっしょ。したら絵も描き放題だしさぁ」
ウチが彼女になってあげようか、とは言えなかった。冗談でも。
「そういう縁はないんですよ。というか、自分で稼ぐのが目標ですからね。描くのは好きですが、最終的に、絵は生きるための手段です」
カケルくんの声から笑いが消えた。でもむすっとしてない。すごくまっすぐで強い声だった。
本当に、絵を描くことで生きて行きたいんだ……
「ウチ、絵描きさんって、ごはん食べられなくても絵を描いていたいもんだと思ってた」
「そういう気持ちもありますけど……でも現実が許さないでしょう」
今度は少し寂しそうに聞こえる。
「あのさ、絵を売ってるとこに就職するのは? したら――」
「描くということと売るということは、まったく別の話ですよ。自分がいいと思わないものでも売らなきゃいけないじゃないですか」と言った声には、軽い苦笑が混じってた。
「嫌なの?」
「こう見えて、結構我儘なもんで」
カケルくんはぽそりとつぶやく。
それを聞いてウチは、ドキンとした。
「……そうなんだ」
ドキドキする。
アラームが鳴る。
「お疲れさま。一度休憩しましょうか。立ちっぱなしもつらいでしょう」
カケルくんが麦茶を二人分持って来てくれた。ウチはラグに座って飲みながら、カケルくんを眺める。
いつの間にか見慣れた眼鏡の横顔。少し首を傾げて煙草に火を点ける仕草。その瞬間、ちょっとだけ顔をしかめる癖。Tシャツの襟から見える鎖骨。骨っぽくて、形がきれいな長い指。
ウチがいつも見ているカケルくんの姿。
「かっこいいね」と、言葉がこぼれる。
「はぁ?」
カケルくんの眼が見開かれた。白目が更に多くなる、いつも一瞬しか見せない表情。
「大学卒業して、就職のチャンスもあったのに、夢を追っ掛けて……したってさ、美大って入るのも難しいんでしょ? 東京のだったら尚更……そーゆー話、聞いたことあるよ」
「誉めても何もあげませんよ?」と、少しだけ顔をそむけて煙を吹く。
片眉を上げながら、視線だけウチに向けて。
これもカケルくんの癖のひとつ。
「素直じゃないよね」と苦笑する。
「あなたに言われたくありません」
フン、と鼻を鳴らされた。
「どーゆー意味よ」
ウチは口を尖らせる。カケルくんは煙草をくわえた。
「――あなた、好きでもない男の所に、好きなフリして遊びに来る嘘つきじゃないですか」
「はぁ?」
今度はウチの眼が丸くなった。思わず立ち膝になる。
今までずっと、そんな風に思われてたの? 知らなかった。
ウチはフリとかでなくて、カケルくんと会うのが楽しかったからここに来てただけなのに……
傷ついた。ってかムカつく。腹立つ。
「一応ね、俺だって男なんです。いくら香織さんがまだ子どもだからって、万が一ってことがないわけじゃないですよね。なにせ、香織さんはタイ――」
「ばぁぁああああっか!」
「……今度はなんなんです一体」
カケルくんは煙草をくわえたまま腕を組んだ。
イラっとした時に腕を組む癖があるってことも、ウチはもう知ってる。
「嘘つきなのはカケルくんの方しょや! ウチのこと萌えてたくせに、なんもしないしょや! できないから、ウチのことそやって、子ども子どもってさぁ。先生のことは関係ないっしょ!」
「実際子どもじゃないですか」
「ウチもう子どもじゃないし! 来年の五月には結婚できる年齢だし、メイクしたら大人っぽくだって見えるんだからさぁ!」
タイラ先生にも言われたし――って言いそうになったけどそれは違う。ウチはずっと、先生でなくて、カケルくんに大人っぽく見せたかったんだから。
それなのに。
「化粧、似合ってませんよ」
カケルくんは煙草を灰皿に押し付けて、もみ消した。
「下手だって言うの? 子どもだからってまた言うの?」
悔しい。っていうか悲しい。涙が出そう。
「だってこんなの――」
カケルくんは不機嫌な顔のまま近付くと、片手でウチを上向かせた。
デッサンする時よりもずっと強い、一瞬で焼き殺されそうな鋭い視線とウチの視線がぶつかる。
「あなたには紅過ぎる」
あれ、これ漫画で見たような場面――?
そう思ってる間に、カケルくんの親指がウチの口をぐっと拭う。指先に紅い色がついた。
「似合わないんだよ……」
ぼそっとつぶやくのが聞こえて紅い指から視線を移した時には、眼鏡を外したカケルくんがもう間近だった。
「カケ――」
「黙ってろ」と囁く声。
ウチの下唇がふわっとつままれた。柔らかい。あったかい。煙草のにおい。
――あれ、ウチ、今、キスしてんの?
自覚した途端、衝撃が胸を撃ち抜いた。
驚き過ぎて、ウチはずっと眼を開けてた。なのに、カケルくんに唇をふにふにとつつかれたり舌をざらりと撫でられたりあむっと食べられている感触だけで頭ん中がいっぱいで――
気付いたらウチは天井を見上げていた。
背中には床。心臓がドキドキ。息はハァハァ浅くなってて、目の前にはやっと離れたカケルくんが、じっとウチを見ている。強い眼。熱い視線。
「これでどうだよ――軽蔑しただろ」




