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見習い悪魔、町に降りる


「くふふ、小市民共がちょろちょろしていますね。まるで蜜にたかるアリのようです」

「ねえ、クェル、これほんとに大丈夫なの!? ねぇ!?」

「うるさいですね、ファルレア。そうやって騒ぐ方が目立ちますよ」


 慌てる僕に、冷静な声と肘打ちが叩き込まれる。脇腹に突き刺さって地味に痛い。


「うう……だってバレたらどうするのさ……教会の神父とか、見ただけで正体が分かるって言うじゃないか……」

「偽装は完璧です。教会にでも乗り込まない限り、バレませんよ。あそこは結界が厳重で、入った瞬間偽装が外れるので、教会には近寄らないように」

「近寄らないよ言われなくても! 痛くされて死にたくはないからね!」

「それは良かった。私もせっかく造った大事なあなたを壊されるのは困るので、ぜひそうしてください」


 今、僕たちはお互いにフードを目深(まぶか)にかぶって、町の市場を歩いている。

 当然その程度で僕の角が消えるわけでは無いのだけど、なにやら怪しげな術が施されており、これで他人に角が認識されなくなるらしい。いや寧ろ、なってくれてなくては困る。


「心配しなくても、今のファルレアはただのイケメンです。外套そのものに仕掛けが施されているので、フードを取っても大丈夫ですが、あまり顔を見られるのは避けてください。お互い、目立ちますからね」

「そうするよ……」


 生前の僕のことは不明だけど、今の僕は結構な美形だ。

 すっと通った目鼻立ちや、青く透き通った髪は嫌でも人目を引く。

 そしてクェルの方も、とんでもない美少女なのは間違いない。今ここでふたりしてフードを外したりすれば、それはもう目立って仕方がないだろう。

 そうやって人目を引いて正体がバレでもしたら、その瞬間に僕たちは狩られる立場だ。釘を刺されるまでもなく、絶対にフードを外してなるものか。


「まあ、ファルレアの力ならこのくらいの規模の町であれば簡単に滅ぼせるでしょうが、そこからどう考えてもお尋ね者ですからね……動きづらくなるのは避けたいです」

「さらっと怖いこと言うのやめない……?」

「事実のみを簡潔に語っているだけですよ、私は。メリットがないことはしないので、気にしないでください」


 つまりそれは、メリットがあれば滅ぼすということではないだろうか。

 浮かんだ疑問を追求すると、恐ろしいことを言い出しそうなのでやめておいた。


「まあまあ、そんなにカリカリしなくてもいいではありませんか。記憶がないとはいえ、ファルレアは元人間。人の暮らすところに降りるなんて数十年、もしかすると数百年ぶりかもしれないのですから、楽しみましょう?」

「う、そうかもしれないけど……でも、覚えてはいないし」

「覚えていなくても懐かしいでしょう? ほら、じっくり見て回りましょう? あ、あまり道の真ん中を歩いてはいけませんよ。馬車が通りますからね」


 彼女の言うとおり、町を行き交う人々を見て僕が感じるのは、『懐かしい』という感情だ。

 市場のあちこちから威勢のいい声が飛び、聞こえてくる無数の会話には活気が満ちている。

 立ち上る匂いは人と、馬と、土煙と、そして屋台の食べ物の匂いがないまぜになった、混沌としたもの。深く息を吸い込むと酔いそうにもなるけれど、決して悪いとは思わない。


 クェルは慣れた様子で、ステップでも踏むように人の群れを進んでいく。

 まるで人混みと戯れるようにして、彼女は人波を行くというよりは、流れに乗る。

 無理に前に進まず、ときには退くことすらして自然な動きで目的地へ歩いて行く姿は、まるで狭い道を行く猫のようだった。


「串焼きをよっつ。具は本日のおすすめで構いません」

「あいよ。姉ちゃん、この間もうちに来てたな。声が美人だからサービスしとくぜ」

「くふふっ、よく覚えていますね。優秀な店主に免じて、高い串も買ってあげましょう。五本にしなさい」

「そりゃどうも。じゃあその高いのを一本おまけしてやるよ……はいよ」

「どうも。お釣りはいりません、取っておいてください」

「ぴったりじゃねーか、しっかり値段表見て計算したろ姉ちゃん。また来いよ」


 クェルが屋台で買い物をする様子はひどく自然で、悪魔使いである自分のことを覚えられてしまったという事実にさえ、微塵も態度が揺らがない。軽口すら叩きつつ買い物を終えて、彼女は僕の前へと戻ってきた。

 手に握られているのは、野菜や肉を木串に刺して焼いた、手を汚さずに食べられる屋台飯。

 なんらかの味付けがされているらしく、立ち上ってくる匂いは香ばしい。いくらかの人が彼女の手元に目を留め、屋台に足を向けていくあたり、その匂いは単なる味付けだけではなく、こういう効果も狙っているのだろう。


「くふっ、いい買い物をしました」

「美味しそうだもんね、それ……」

「ええ。最近のお気に入りですね。はい、ファルレア」


 ごく自然な動きで、串焼きが差し出されてきた。

 身長差のせいで掲げるように渡されてきたそれを反射的に受け取れば、空腹を誘う香ばしい匂いはより強く嗅覚に触れてくる。くぅ、という音がお腹から漏れた。


「……いいの?」

「元よりそのつもりで買ってきましたから。こんなに食べきれませんしね。さあ、遠慮なくどうぞ」


 促されたので、素直に従うことにした。

 店主が一番高いと言っていた、肉を焼いた串。噛み付いてみると漬けダレの効果もあってか柔らかく、するりと肉の繊維がほどけた。

 肉汁と漬けダレが口の中でしっかりと混ざり、味を伝えてくる。鼻から抜ける香ばしさが、味の余韻を残しつつも臭みを感じさせない。

 屋台料理ということを一瞬忘れそうになるくらいの完成度の高さに、自然と頬がほころんだ。


「……すごい美味しい」

「くふふ、そうでしょう? 気に入ってもらえたようで嬉しいです」

「これ、うちで再現できないかな……もう少し調味料があればできる……? さすがに漬けダレだけでここまで臭みが消えるわけないだろうから、下処理の時点でなにか……」

「……なんだか違う方向で嬉しそうにし始めましたね」

「はっ……」


 ついつい、自分の今の状況を忘れて考えに熱中してしまった。

 どういうわけか、僕は料理のことになるとかなり集中してしまうタイプらしい。生前に料理人でもしていたのだろうか。


「ご、ごめん。クェル。つい……」

「構いませんよ。目立っているわけではありませんし、緊張がいい感じにほぐれたようでなによりです」

「あ……」


 言われてみれば、確かにその通りだった。

 いつの間にか、身体を固めていた緊張が少し抜けている。

 悪魔使いと悪魔である僕たちにとって、人里は正体を知られればそれだけで致命となる場所だ。

 長い歴史の中で、教会は悪魔に対抗する術を数多く身につけている。この世界では、悪魔使いは殺されて当たり前、悪魔は祓われて当たり前だ。


 そんな状況でリラックスしろなんて言うのはおかしいけど、かといって緊張し過ぎでボロを出してしまっては本末転倒でもある。

 そのあたりを考えて、クェルは僕に串焼きを持ってきてくれたのだろう。


悪魔(あなた)は食事を摂る必要はありませんが、味覚があるのだから、こうしていろいろな味を楽しむのもいいでしょう。せっかく身体があるのだから、こうして見て、歩いて、なにか楽しいと思うことも必要ですよ」

「……悪魔使い(クェル)にもそういうのは、あるの?」

「もちろん。リスクは伴いますが、生きている以上、娯楽というものは欲しいものですよ。もちろん、そのリスクを考えた結果として引きこもる悪魔使い(なかま)もいますが」


 気がつけば僕たちは、悪魔という単語を使わずに意味のある会話ができていた。

 お互いの顔を見れば、『あなた』や『なかま』という言葉の裏側に込められた意味を理解できる。おそらくは、彼女の方も同じだろう。

 どうやら、なんとか肩の力を抜くことができそうだ。


「……ところでクェル。なにを買いに来たの?」

「日用品とかですかね。あと、ファルレアにも身の回りのものが必要だと思うので、それを少々」

「……いいの?」

「本来なら必要ないのですが、あなたには身体がありますから。歯を磨いたりしたいでしょうし、それに……その様子では、調味料も少しは揃えたほうがよさそうですからね」


 本当なら、契約が終われば、悪魔は自らの世界へと帰っていく。

 だけど、僕はクェルが造り出した世界初の人造悪魔。悪魔の世界に帰るなんてことはできない。


 ……考えてくれてるんだなあ。


 産まれた理由を考えると、もっと雑な扱いをされてもおかしくはないのだけど、クェルは思った以上に僕の事を丁寧に扱ってくれる。今だってそうだ。手の中の串をじっと見つめて、僕は呟く。


「本当はこれも、必要ないんだよね」


 悪魔という生き物は、食事をとる必要がない。

 悪魔は自分たちの世界では食料を必要とするけれど、クェルたちの世界に喚び出された場合、契約によって生じるエネルギーを糧とする。僕はこの世界で産まれたけど、性質としては悪魔なので、本当なら食事の必要性はないのだ。

 それでもクェルはこちらに気を使って、こうして食事を与えてくれる。先日の竜の肉も二人分確保してくれて、まるで人間であるかのような扱いをしてくれている。

 無茶なことをさせられることもあるけれど、道具のように扱うようなことはない。

 それは僕が持っていた悪魔使いの暗く、自分勝手なイメージとは繋がらないものだった。


「どうかしましたか、ファルレア」

「あ……ええと。ごめん、なんでもない。他にはどんなものを買うのかなって」

「そうですね……ネズミでしょうか」

「ネズミ!?」

「ええ、ペットの生き餌用の」

「……クェル、ペットなんて飼ってたっけ?」

「もちろんそんなもの飼ってはいませんが……あなたの同族には、それを好むものもいるんですよ」

「……うわぁ」


 くふふ、と笑ったクェルの表情は、フードの向こう側からでも分かるほどに邪悪だった。

 やっぱり、悪魔使いは暗くて自分勝手だ。

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