自分のことを知るために
「悪魔には人間以上の力があります。だから悪魔使いは悪魔を使役しますが、実は悪魔は意外と融通が利かないのです」
きゅぴんっ。
そんな効果音が背後で見えるのではないかというくらい大げさに、クェルは赤く縁取られたメガネをくいっと上げた。
この家は地下だけでなく一階の居住区もいまいち暗く、じめじめしててかび臭い。おまけに本が異様に多い。
昨日少しは片付けたとはいえ、まだまだ家というよりは廃棄された図書館のような場所で、僕たちはテーブルに座って向かい合っている。というか、昨日掃除したはずのところもまた汚れている。恐らくはクェルの仕業だろう。
ドラゴンを倒して、一夜が明けた。悪魔生活二日目に突入した僕は、クェルから講義を受けていた。
「……クェルって、視力低いの?」
「くふっ。50メートル先の人間の顔や表情くらいなら判別できますよ?」
見た目年齢相応な胸を張り、金の髪を揺らしてクェルはそう答えた。
目は悪くないどころか、ふつうによく見えているようだ。
「じゃあ、メガネの意味は……?」
「気分に決まってるじゃないですか。まったく、ファルレアは悪魔のことだけでなく、女心もつゆほども分からないんですか? 生前は間違いなく童貞でしょうね」
「ど、どうてっ……!?」
「話を戻します。とにかく、悪魔は面倒くさいんです。個体によって喚び出すための儀式は違うし、儀式にもいろいろと種類があり、悪魔の好みも様々で与える贄も違えば、同じ悪魔でもやらせることを変えれば対価も変わり、悪魔使いとして分不相応な悪魔を喚んでしまうと、対価をふっかけられたり消し飛ばされて身を滅ぼすことすらあります」
美少女から非難されて打ちひしがれる僕を無視して、クェルは話を続けた。ひどい。
……正直まだ、自分が悪魔だなんて信じられないけど。
信じられないというよりは、信じたくない。
けれど自分は昨日、間違いなくドラゴンを一瞬で屠ってしまった。
人の身で扱う魔術ではなく、悪魔だけが使える外法――魔法によって。
どれだけ否定したくても、目にしたこととやってことは事実だ。
だから僕は、こうして彼女の言葉を聞いている。
なによりも悪魔のことを知るために。
「そんな面倒くさい悪魔の危険度を減らすため、私は悪魔を『造り出す』ことを思いつきました。これによって悪魔の強靭で多種多様な能力を、ひとつの贄で、しかも召喚の儀式を何度も行わずに行使できるようになります。おまけに契約をすでに済ませてあるので、悪魔はこちらに手出しもできない。あなたはその人造悪魔の、初めての成功例です」
「……つまり、悪魔使いの新技術を開発したってことだよね?」
「おや。ファルレアったら、実は頭がいいんですね」
「実はっていうのは余計だけど……ちょっと頭が冷えてきたって感じかな」
「くふふ。童貞なのにやりますね」
「そこ関係ある!? もしかすると生前そうじゃなかったかもしれないでしょ!?」
クェルが言うことは難しいようにも聞こえるけど、要約すれば簡単な話だ。
ようはそれまで出すのも使うのも面倒くさかった道具を、より簡単に、気軽に使えるようにしたというだけ。
水を汲んで運ぶのが大変だから、川を作ったというのと同じだ。
荒れ地を渡るのが危険だから、街道を整備するのとなんら変わらない。
石の斧から鉄の剣に持ち帰るように、ただ技術が進んだ。それだけのこと。
それをやってのけたのが、目の前にいるまだ二十年も生きていないような麗しい金髪の少女だというのは、少々どころかすごく驚きだけど。
「あなたの生前のことはさておき、今教えたのがあなたの今の立場です。今日の講義はここまでにしましょう」
「え……もういいの?」
「急に詰め込んでも、覚えが悪くて面白くないでしょう? それに、お腹が空きましたから」
くふっと笑って、クェルはメガネを外す。
僕に気を遣っているのか自分本位なのか、いまいち不明だ。切り替えが早いだけなのかもしれない。
「ファルレア。ご飯の用意をお願いします」
「……分かったよ」
お願いしますと言われれば、断るわけにはいかない。
なぜならば彼女の望みを叶えるのは、悪魔として当然のことだからだ。
未だ迷うところは多いけれど、クェルになにかを頼まれたときに宿る使命感のようなものは、なんとなく信じることができた。
「じゃあ、やろうか」
椅子にかけてあった白いエプロンを取り、それを執事服の上から着用する。昨日の掃除の際にもお世話になった、少し大きめのものだ。
調理場に行ってみれば昨日掃除したときに見たとおり、最低限のものだけは揃っているという感じだった。
調理用ナイフにフライパン、鍋などの調理器具は、見るからに使い込まれているのに手入れが甘い。
食料は保存重視で乾燥させたパンに、ジャガイモや人参などの根菜ばかり。
日持ちするものが多いのは、やはり外になるべく出ないようにだろう。いくらかのジャガイモからは、小さな芽が出ていたりもする。
……危ないなー。
鮮度が落ちれば味も落ちるし、なによりジャガイモの芽には毒がある。
まあ、これくらいならば芽をきちんと取れば問題ないのだけど。
おそらく、という言葉をつけるまでもなく、クェルは食事に無頓着な性格らしい。
「……さて」
そんな中で唯一新鮮な食材が、これだ。
調理場に鎮座した、巨大な赤身。今は氷漬けにされているそれは、ドラゴンの肉だ。
「綺麗な肉だなぁ」
思い出すのは昨日の、一戦とも呼べないようなドラゴン狩りのあとのこと。僕はクェルの指示で、ドラゴンを氷の棺から開放した。
芯の芯、それこそ心臓まで凍らされた竜は完全に凍死していて、氷の棺から解放したところで再び動くことは無かった。
「あなたに悪魔として与えた力のひとつは、『冷気』を操ること。その気になれば解凍も自在ということです」
そんな軽い講義を終えてから、クェルは竜の体を手早く解体した。
不思議なことに彼女が操る小さなナイフはするするとドラゴンの強靭な肉体を切り取り、あっという間に血を抜いて、鱗やら爪やらを牙やらを別々にしてしまったのでひどく驚いたものだ。なにかの魔術か、特別な品なのだろう。
「凍らせたことによる肉体の劣化や損傷も、ほとんどなし……さすがは悪魔。私達が使う魔術とは、根本から違いますね」
「……そう、なの?」
「ええ。とても素晴らしいです。いくらか肉を切り取りますから、それはもう一度氷漬けにして、食料にしましょう。爪やら牙、骨の一部や血肉をいくつか取っておいて……あとは放っておけば、肉食動物の餌にでもなるでしょう」
「……その、食べる以外の理由で持って帰るものは、後々どうするの?」
「もちろん、悪魔使いがすることなんて決まっているでしょう?」
くふふ、と笑うクェルの笑みは、やはりその美貌に似つかわしくない、悪魔よりも悪魔的な微笑みだった。一晩経った今思い出してもちょっと身震いがする。
当然、竜の素材の用途をそれ以上聞く勇気はなかった。聞いたら教えてくれそうだけど、ろくな答えが帰ってこないことは明白だったから。
……とにかく、目の前の肉を調理しよう。
昨日のことから、今のことへと意識を移す。
ドラゴンの肉といえば高級食材だ。なにせそう簡単に殺せないから、市場にはまず出回らない。
生前の僕が貴族の出身でもない限り、食べたことはないだろう。
どんな味がするのか楽しみで、少しだけわくわくしてしまう。
「解凍」
言葉を紡ぐだけで、肉を覆っていた氷が、雪溶けのようにして消える。
軽く肉に触れて、解凍が完全になったことを確認してから調理用のナイフを握り、振るう。
……おお。
刃を扱う動きは我ながら驚くほどに淀みがない。
記憶ではなく、知識でもなく、まるで身体に染み付いているかのように。ろくに手入れされていない刃で、技術によって肉を断った。
恐らくはこれも、クェルが僕を生み出したときに仕込んだ、悪魔としての能力なのだろう。そんなことを思い、しかし動きは継続する。
ただ切るだけではなく、目に見える繊維にも刃を入れ、柔らかく焼き上がるように工夫し、下処理を終えた。
「さて、味付けだ」
この調理場には塩と胡椒しか無い。だから味付けはそれだけの簡単なものになる。
色気はないけど、肉がいいから大丈夫だろう。そのうち香草くらいは採りに行きたいところだけど。
「こっちはどうかな……」
予めかまどに置いて火にかけてある鍋の蓋を開けてみれば、塩気と甘みを感じられる匂いがした。
小皿に取って、飲むというよりは舐めるように舌で転がしてみる。
「……うん。少し足りないけど、妥協はできる味かな。朝早くから仕込んだ甲斐もある」
クェルに分けてもらった竜の骨で出汁を取り、塩で軽く味付けしただけの簡単な根菜のスープ。ほんの少し肉を加えることで、肉の旨味も入っている。
塩気が強い味だけど、野菜や乾パンと合わせるならちょうどいいだろう。それらの甘さが、口の中でスープとよく混ざるはずだ。
今できる料理としては上出来と言えるスープの入った鍋を、一旦火から外す。続いてフライパンに油を敷いて、かまどの上に。
火力を増すために薪を追加で入れ、しばしの待ち時間。
そして、本格的な調理に移った。
「んっ」
肉を入れた瞬間に、ばちばちと派手な音が鳴る。油が多少跳ねるけれど、構わずに焼いた。遅れて、肉が焼けるいい匂いがする。
一枚は両面をしっかりと焼き、それだけでフライパンから上げた。
もう一枚は時折フライパンを火から離して火力調節をしつつ、中まで火を通す。切ったときに少し赤身が見える程度だ。
「よし……十分かな」
たぶん牛肉なら、今くらいが良い焼き加減。
そう判断できたところで、肉を皿に乗せる。
ナイフとフォークを用意し、乾パンも大皿に盛って、スープを椀へ。
簡単ではあるけれど、充分な量の食事が出来上がった。葉物野菜が欲しいところだけど、無いものをねだっても仕方がない。
タイミングを見計らったかのように金髪を揺らしながらクェルが現れて、パンの大皿に手を伸ばす。
つまみ食いでもするのかと思えば、彼女はふつうにお皿を持った。
「クェル、手伝ってくれるの?」
「くふふ。これくらいはしますよ。ところで、昨日言ったとおりに焼いてくれましたか?」
「うん。ちゃんとミディアムにしてあるよ」
「結構。ファルレアは料理が上手ですね」
「……これもクェルが設定した能力だと思ったんだけど」
「まさか。私は料理が下手です。私が知らないことは設定できませんよ。だからこういったことはおそらく、あなたが生前に身に着けていた技術です。誇っていいと思いますよ」
くるりと踵を返すクェルの後ろ姿は、どこか上機嫌そうにマントを揺らしていた。