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初めての夜

 ぼふんと音を立てて、勢いよくベッドに倒れ込む。

 やるべきことをすべてやり、身体を軽く拭いて汚れを落とした僕は、すぐさま与えられた自室で横になることを選択した。

 柔らかなシーツの感触と、ようやく一人になれたという事実。そのふたつは、張り詰めていた緊張の糸を断ち切るには十分すぎた。


「つ、疲れた……」


 なにもかもが、想定外すぎる。

 瞳を開けてみれば知らない場所で記憶もなく、見たこともないような金髪の美少女に「あなたは今日から見習い悪魔です」と言われ、ドラゴンと戦わされるわ、家の片付けもさせられ、そして対価は――


「っ……」


 ――何度思い出しても身体が熱くなるような、彼女からのくちづけ。

 未だ感覚が残っているような気がして、自然と手指を唇に当ててしまう。

 やるべきことがなくなって開放された瞬間に、溜め込んでいたように気恥ずかしさが襲いかかってくる。


 ……いいのかな。


 いいもなにも、向こうが勝手に決めたことだ。

 片付けくらいならともかく、ドラゴンと戦うのにキスひとつは安すぎるような気もする。

 それでも、与えられる対価を嬉しいと思っている自分も、確かにいる。

 だって、とんでもない美少女だ。悪魔使いであっても、それは変わらない。


 さらさらで枝毛のひとつもない金髪に、澄んだ翠玉の瞳。

 愛らしくくりくりとした容姿に似つかわしくないほどに、丁寧だけど強い意志を持った言葉と、鋭利な笑み。

 強さと未成熟さが同居したような不思議な美貌を魔術師服に包んだ、麗しい少女。

 そんなクェルからキスをされて、喜ぶなというのは難しい。


「……悪魔、か」


 人ではとても辿りつけないような、強大な力を持つ邪悪な存在。

 大陸中で広く信奉されている聖神教会――通称『教会』は、悪魔と、それを使役する悪魔使いと長年戦っている。

 つまり僕は今、ほとんどの人間から見て害虫とか災害のような存在だ。

 生きていた頃の記憶がないとはいえ、そういった知識があれば、とんでもないことになってしまったことくらいは理解できる。


 キスをして貰えるのは間違いなく嬉しいことだけど、今後のことを考えると、さすがに不安だ。


「はぁ……」

「知っていますか? 東の国のことわざに、溜息をつくと幸せが逃げるというのがあるんですよ」

「へぇー、それは知らなかったなぁ」

「くふふ。ところでファルレア、ご飯はいいんですか? 保存食のパンくらいならありますが」

「今日はさすがに疲れてるからいいかな……あ、でもクェルは食べるんだよね。なにか作ったほうがいい? せっかくドラゴンの肉を持って帰ってきたし……」

「いえ、私も疲れてますから、それは明日にお願いします」

「うーん、そっかぁ……って、うええええええええ!?」

「……? なんですかファルレア、ここが森の奥とはいえ、夜分にそう騒ぐものじゃありませんよ」

「ぬ、ぬぁ、なんで……!?」


 思わず変な声が出てしまう。

 それはそうだ。さっきまで考えていた相手が、目の前にいるんだから。


「なんでって……それはもちろん、眠りにきたんですが」


 不思議そうな顔をするクェルは、ただでさえ目の毒な美貌をさらに強烈に訴えてくるような服装をしていた。

 身体のラインが透けて見えてしまうような、薄いネグリジェだったのだ。


「く、クェル、その格好は……!?」

「寝間着ですよ。私、寝るときは薄着が好きなんです」


 可愛らしくフリルをあちこちにあしらった白ネグリジェを揺らして、彼女はこちらにやってくる。


 魔術師と言われてピッタリとはまるようなローブとフード付きのマントは、彼女に似合っていた。でも、あれはきちんと身体を覆っていて、なんというか気品のある美しさだった。

 今は違う。布地の先が肌色までしっかりと見えて、想像するまでもなくはっきりとその形が分かってしまうのだ。


 細い手足、くびれた腰。形のいいおへそに、ふくらみかけの胸。

 心臓が跳ねるどころか、ごくりと唾を飲み込んでしまうほどに、今のクェルはその美しさを惜しげもなく撒き散らしていた。

 こんなのはもう、目の毒すぎる。


「ファルレア……?」


 かがむようにこちらを覗き込んでこられると、胸元までがばっちり目に入ってしまい、慌てて目をそらした。

 ふわりと漂う甘い匂いから逃れるように身体を離して、僕はどうにか言葉を紡ぐ。


「あの、こ、ここは僕の部屋だよね……!?」

「狭い家なんですから、寝床は共同に決まってるじゃないですか」

「いっ……!?」

「心配しなくても、ベッドは大きめです。ふたりくらいなら寝られますよ」

「だ、ダメだよ! あの、僕は外で寝るから! い、居間とかで!!」


 慌てて立ち上がろうとしたところで、手を握られた。


「うっ……」


 振りほどくのは簡単だ。無視して出て行くことだってできる。

 けれど、僕は逃げることができなかった。

 クェルのなめらかな指が絡んで、体温が感じられる。それがとても抗いがたくて、動きを止めてしまったから。


「ファルレア。きちんとベッドで眠らないと疲れは取れませんよ。ほら、こっちに来てください」

「あ……ぅ、あ……」


 言われた。こっちに来いと、言われてしまった。

 悪魔と悪魔使いの契約だ。従わなければいけない。

 諦めてベッドに横たわると、体温が急激に近づいて来る。すぐ隣にクェルが寝転がったからだ。それどころか彼女は僕の身体に触れて、


「ん……ファルレアの身体、冷たい……」

「ご、ごめんっ……」

「謝らなくていいんですよ。ちょうどいいですから。さすがにそこまで大きくはないベッドなので、触ってしまうのは仕方ありませんしね」


 心臓は全力で動いていて、体温は明らかに上がっている。それでもクェルは僕の身体を冷たいと評した。悪魔は体温が低いのかもしれない。

 クェルはこちらから離れず、むしろぎゅうっと右側から抱きついてきた。匂いが更に近くなり、クェルの感触が押し付けられてくる。

 腕も、足も、お腹も、胸も。何もかもが柔らかい彼女の身体と、密着した。


「っ……!!」

「対価、あげますね」

「あ、ちょっとまっ……うひっ!?」


 囁くように言われて、ほんの少し遅れて唇が押しつけられた。

 今までのように口ではなく、首元に吸い付かれた。


 ……口と口じゃなくていいの!?


 ぞわっと肌が震えて、粟立つ。

 不意打ちを受けて、声にならない悲鳴が漏れそうになった。

 ほんの数秒の触れ合いが、ひどく長い時間のように感じられる。

 やがて、ちゅ、という水気のある音がして、唇が離された。


「ん……まあ、今くらいのお願いなら、これでいいですよね。それとも、きちんとキスしたほうがいいですか?」

「じゅ、じゅうぶんです……」


 沸騰しそうな頭を回転させてなんとか言葉を絞り出すと、クェルは翠色の瞳を細めて笑った。


「よかった。それじゃ、私は寝ますから。おやすみなさい」

「ま、待って待って!? これじゃ寝られないよ!?」

「なに言ってるんですか。これだけスペースがあればふたりでも寝られますよ。贅沢を言わないでください」

「そういう意味じゃなくてね!? 聞こう!? 聞いて!? お願いしますから! あ、ちょっと待って目を閉じないでー!?」


 こちらの抗議をすべて無視して、クェルはすぐに寝息を立てはじめた。この状況で、あっという間に眠ってしまったらしい。

 うかつに視線を送れば、また彼女の身体を見ることになってしまう。

 動いて逃げてしまおうにも、クェルはしっかりとこちらに抱きついているから、逃げられない。下手に動けば絶対に起きる。


 ……あ、これ詰んでる。


 ダメだ。どうしようもない。

 幸福のような地獄のようなよく分からない状況で、僕はただ天井を見上げるしかなくなった。

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