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Hello World

 悪魔。

 それは危険な存在で、決して関わってはならないとされている。

 邪悪な言葉で人を惑わし、破滅へと導く悪しきものだからだ。


 そんな邪悪な存在と言葉を交わし、契約を結び、あまつさえ使役するおぞましい者たちがいる。

 彼らの名は『悪魔使い』。悪魔使いは極悪で非道、残忍で凶悪。世界のすべてを憎む彼らは、悪魔の力を使って世界を滅ぼそうと企んでいる。

 世界の敵である彼らは『教会』から追われる身であり、最後には必ず神の業火でその穢れを焼かれ、苦痛の末に己の所業を悔い改めることとなる――


「――なんて、教会や悪魔についての一般的な知識があるのだから、生前のあなたはふつうに善良な一市民と言うところですか……くふふ」


 そう締めくくって、悪魔使いの少女は独特の笑みを見せた。

 地下深く、生ぬるい空気を冷たい風が混ぜるような場所で、暴力的な美貌の少女が微笑む。

 どう見ても怪しすぎる雰囲気に若干引きつつも、僕は自分の頭を――正確にはそこから生えた黒光りする二本角を――指差した。


「……善良な一市民には、角が生えてたりしないと思うんだ」

「それはそうでしょう。私はそのあたりにいた浮遊霊、つまりあなたをとっ捕まえて、悪魔にしたんです。だから言ったんですよ。あなたは運がない、とね」

「じゃ、じゃあ僕は、悪魔に生まれ変わったってこと……?」

「輪廻や転生とは少し違いますね。半ば消えかけの、あなたという浮遊霊に新たな肉体を与えて、変質させた……黄泉がえりに近いです。既に存在が薄かったために記憶は残らなかったようですが、染み付いた風習――悪魔は忌むべきものであるという、一般常識くらいは残っていたようですね?」


 くふふ、とひどく楽しそうに相手は笑うけど、こっちはそれどころじゃない。

 悪魔も悪魔使いも、危険であり、世界中の敵で、滅ぶべき存在。それくらいの知識は持っている状態で、肉体を悪魔にされたのだ。

 教会に見つかったらその瞬間に退治されるし、悪魔は危険というのは世界中で共通認識なので人里に降りたりもできない。殺されてしまう。

 そしてなにより、そんな危ない存在を日常的に従える悪魔使いが目の前にいるのだ。


「あの、元の幽霊に戻る方法は……」

「そんなものありませんし、あったとしても教えるわけも試す理由もないじゃないですか」

「誰でもいいなら、別に僕じゃなくてもいいってことだよね!? だったら僕を開放して、別の霊を使ってもいいってことでしょ!?」

「確かにそうですけど、あなたを作るのにたくさんの(にえ)を捧げたんですよ? また集めるのも手間ですし、今度もうまく悪魔が造れるか、そもそもあなたをうまく分解できるかも分からないんですから、おとなしく諦めてください」

「うぐ……そんな勝手な……」

「くふふ。勝手で結構。悪魔使いが他人に配慮するわけないでしょう? それに、正当な契約を結んでるんだから逃げられませんよ」

「せ、正当な契約……?」

「ええ。私の願いを叶えるごとに、キスひとつ……さっきも呼びかけに答えてくれたお礼に、してあげたじゃないですか。存在固定のついでですが」

「あれが!?」


 彼女の美しさは文句のつけようもないほどで、キスされるのは悪い気がしないのも本当だけど、それ以前の問題だ。

 悪魔使いと関わることすら、この世界では禁忌とされている。そして僕は関わるどころか、その悪魔使いに生み出された悪魔だという。

 しかも彼女の口ぶりでは、既に僕は彼女と契約を結んでおり、これから先も彼女の言うことを聞かねばならないらしい。


「そんな無茶な……というか、僕にはそんな契約をした覚えがないんだけど……?」

「それは当たり前ですよ。あなたの意識がまだないころに、私が内容を決めて結んだ契約なんですから」

「……君、詐欺って言葉知ってる?」

「はい。私の好きな言葉、第三位ですね」

「うわぁ、思った以上に最悪だよこの子……!」

「それより……さっきからちゃんと名前を呼んでくれてないじゃないですか。クェル・フェル・エル。契約者の名前くらい、きちんと覚えてください」


 まったく、と呆れたような言葉で今度は逆に抗議される。

 こちらの抗議は聞かないのに、自分の方は言いたい放題だからたちが悪い。

 見た目こそ文句のつけようもない美少女だけど、彼女のこそが本当の悪魔なんじゃないだろうか。


「あのね、君……」

「クェル・フェル・エルですってば。もう一度言います。名前で、呼んでください」

「……クェルちゃん」

「クェルでいいですよ」

「……クェル」

「はい。よくできました」


 ぱっと顔を明るくして、わざとらしくクェルは笑う。

 明らかにあざとさが含まれた笑みは、そうだと分かっていてもなお美しくて、彼女が悪魔使いだと知っていても見惚れてしまうようなものだった。

 そして傾国も不可能ではないような美しい笑みで、またとんでもないことを言いだした。


「あなたにはまず、悪魔としての基本から教えてあげることが必要ですね」

「い……!?」


 正直なところ、全力でお断りしたい。

 記憶がないとはいえ、僕の一般常識では悪魔や悪魔使いは邪悪なもので、絶対に関わってはいけないものだから。

 けれど、僕はもうその悪魔になってしまっている。逃げるとか止めるとか、そんな次元の問題ではないのだ。


 ここから逃げたって行く宛はなく、どこへ行っても悪魔として、死ぬまで追われることになるだろう。

 どこに逃げても安心できる場所はなく、どこに行こうと石を投げられ、殺意と嫌悪が向けられる。

 自分が置かれている状況があまりにもまずいことを改めて自覚して、冷たい汗が流れた。

 そんなこちらの気持ちを無視するように、クェルが動いた。ほっそりとした人差し指をぴんと立てて、


「その前にひとつ」

「え……?」

「名前を呼んでくれたので、ひとつお願いを叶えてくれたことになりますね。契約に基づき、報酬をお支払いしないと」


 いそいそとこちらにやってきて、彼女はこちらの腕を引っ張る。屈め、という意思表示らしい。


「い……いやいやいや!? いいよ、そういうのは!? しなくても!! っていうかしないで!?」

「早速教えてあげますけど、これは正当な契約です。『契約は必ず対価を伴い、これを履行しない場合は罰として己の命を捧げる』のが、悪魔契約のルール。つまり、こんな小さなことでも約定であり、私はあなたにキスしないと死んでしまうのです」

「いっ……!?」


 そんなめちゃくちゃな契約があるの!?

 そう叫びたくなるけれど、相手の目にはからかうような色はなく、大真面目だ。悪魔を使う専門家が、悪魔に関して冗談を言うとは思えない。

 こちらが慌てる様子を見た彼女は、真剣な瞳を不機嫌そうに歪めた。


「私を殺す気ですか? 言っておきますけど、この場合は契約の不履行を求めたあなたも同罪で、両者消滅ですよ?」

「……う、そ、それは、困るけど」

「でしょう? 死にたくないならさっさと屈んでください」

「うぅ……」


 どうしようもなく理不尽な言い分だけど、返す言葉が見つからず、僕は諦めて屈むことを選択した。

 消滅するということは、もともと死人である幽霊の僕にとってはそんなに重いことではないのかもしれない。

 けれど元幽霊でも死ぬのは正直に怖いし、目の前の女の子の命も奪うことになると言われたら、僕にそんなことをする勇気はなかった。


 こちらが諦めたのを見ると、彼女は満足気に頷いて、手を伸ばしてくる。

 近づいてきた唇がひどく艶めいて見えて、僕は逃げるように目を閉じた。

 そっと押し付けられる柔らかさは三度目だけど、回を重ねるごとに心臓がより大きく動いているような気がする。


「ん、ぅ……」


 吐息と言葉の混ざりものがこぼれるのが聞こえて、どきりとした。

 緊張で身が縮こまり、そしてそれを解きほぐすように甘い匂いと感触が来る。

 だんだんと抜けていく力に身を任せようとしたところで、ばさりという音がした。


「おっと、倒しちゃった……あ、ごめん。続けて続けて」

「んんん!?」


 明らかに先ほどまでこの場にいなかった人間の声に、僕は慌ててクェルから離れる。

 その人はすらりとした体躯の、長い黒髪を持った女性だった。細くしなやかで、すらりとした身体をぴっちりとした服で強調して、頭には大きな帽子をかぶっている。

 女性は自分が倒した本の山を再度積み上げながら、申し訳なさそうに、


「ごめんね、邪魔するつもりはなかったんだけど」

「構いませんよ、ミルフィ。契約の履行は済みましたから」

「だ、誰……?」

「その人は私と同じ悪魔使いです。名前はミルフィ・ラクシス」

「うん。いやはやまったくもってその通り。私はミルフィ。よろしくね、新人悪魔くん」


 禁忌の遣い手――国家どころか世界の敵である、悪魔使いがふたり。

 その事実を目の前にして、僕はぐらりとその場に倒れそうになった。

 そんな僕の気持ちを知る由もないクェルは上機嫌な様子で、


「ではミルフィ。せっかく来てくれて悪いのですが、今日はこれで帰ってもらえますか?」

「ほう……早速かい?」

「もちろんです。あ、前々から言っているように“夜会”への報告はまだ控えてくださいね」

「了解だ。“夜会”からの招待状は?」

「どうせ上位席への誘いでしょう? 読まずに捨てますから持って帰ってください」

「はいよー。頼まれていたものは、玄関においてあるよ」

「分かりました。……最近納入が遅れているようですが、調子でも悪いのですか?」

「あー……いや。ちょっと最近は忙しくて。すまないね、クェル」

「そうですか。あまり無理はしないように。ご苦労様です。……さあ、行きますよ」

「え、えと、どこへ?」


 わけが分かっていない僕の手を引いて、クェルはにんまりと笑う。

 その笑みは僕なんかよりもずっとずっと悪魔的だった。


「現地で教えてあげましょう。悪魔がどういうものなのかをね」

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