さよならいつか
「さて、どうしたものでしょうね」
すべてが終わり、ミルフィさんに化けていた悪魔使いを拘束したあと。
クェルはのんびりとした様子で、そんなことを言った。
「むぐ、むぐぐぐっ!!」
「くふふ。猿轡をされてるんだから喋れるわけないでしょうに」
「クェル、どうするの?」
「そうですね……あなたにしたことや、私の可愛い弟子にしたこと、そしてなにより私にしたことを考えると、殺すくらいでちょうどいいのでしょうけど……」
ちろりと相手を見て、クェルは溜め息をついた。
やはり仲のいい友人と同じ顔をしているせいか、やりづらいものがあるらしい。
「ぐううっ……!」
「納得ができていないようなので、教えてあげましょう。あなたに渡した悪魔創造プログラムはより使いやすく簡単にしたもので、ファルレアを造ったのはもっと高度な儀式です。なにより……彼の身体には、太古から存在する古き竜の血を使用しています。氷獄竜、と言えば分かりますか?」
「むぐ……!?」
「小瓶三本程度ですけどね。ミルフィ……私の友人のために、私が個人的に用意した取っておきの隠し味です」
クェルの言葉を聞いて、とうとう相手は諦めるようにして頭を垂れた。
詳細は不明だけど、僕の造り方はいろいろと特別なものだったらしい。
もう拘束が戻ったのか、自分の身体から溢れるほどの魔力は感じられない。それだけクェルも、僕の力に気を使っているということか。
自己分析していると、クェルがゆっくりと溜め息を吐いて、
「……まあ、命を奪うことは安易です。イストリアにとっても後味が良くないので、やめておきましょう」
「ぐうっ、ぐぐぐっ!!」
「くふふ、あなたも自分を殺してくれと言わんばかりの顔をしていますしね。思い通りに動くなんて真っ平御免です」
「ええと、それじゃあどうするの? このままってわけにも行かないよね?」
ゲルゼビュートを倒したあと、僕は相手を捕獲した。ただの人間である相手を捕まえることは、悪魔と戦うよりもずっとずっと簡単だった。
今はクェルが持っていた縄と猿轡で大人しくさせているけれど、このままというわけにはいかない。
逃せばまた僕たちは命を狙われるだろう。理由は分からないけれど、どうもクェルは彼女にかなり恨まれているようだし。
「くふふ。私を誰だと思っているのですか。私は天才悪魔使い、クェル・フェル・エルですよ?」
悪魔使いらしく、悪意たっぷりに笑いながら、彼女はもう動いていた。
地面に落ちていた木の枝を拾い、かりかりと地面を引っ掻いてクェルは図形を描いていく。
いつか教えてくれた、方陣による悪魔の召喚。どんな悪魔を喚ぶのかは分からないけれど、クェルは悪魔使いらしい方法で決着をつけるつもりらしい。
「略図ですが、対価はあるのでこれでいいでしょう。……旧き契約に基づき、フェルたる我が汝の扉を開く……ここに、一時の邂逅を! 汝、現世での名はムニミィ!」
呼びかける声が響き、それに呼応した方陣は輝きを放つ。
未だ凍ったままの草木を彩るようにして、光は夜の森を照らした。
そしてその光からゆらりと現れたのは、人によく似た姿をしたなにかだった。
もちろん、あれは人間ではない。人間によく似てはいるけれど、僕と同じ悪魔だ。なにせ形こそ人のように手足を持っているけれど、身長はおよそ二メートル。瞳は黒だが、その黒にはおよそ輝きと呼べるものがなく、まるで闇をそのままはめ込んだように無機質だ。
オマケに手は六本指であり、足の指はその半分の三本指。口はなく、耳だけはやたらと大きかった。
「む、むぐぐっ!?」
「ああ、知りませんか。これはムニミィ。記憶を操ることを得意とする悪魔です」
「記憶を……?」
「はい。これで彼女の記憶を剥奪します」
「~!?」
「くふっ、ようやく焦ってくれましたね? そうそう、その顔が見たかったんですよ。あなたにはファルレアと同じ状態に……ある程度の知識だけを持って、その他すべての記憶を失った状態になってもらいます」
「ぐ、ぐううう! むごぐっ!」
「心配しなくても、下級悪魔の召喚知識くらいは残しておいてあげますよ。悪魔創造プログラムや私たちのことなどは綺麗サッパリと忘れてもらいますが」
「その悪魔、記憶だけじゃなくて、知識も取り上げられるの……?」
「『覚えたという記憶』を奪えば可能です。便利なんですよ、この悪魔。人の記憶が大好物なので、奪わせた記憶をエサとすれば、実質的には代価無しで他人の記憶を消せますからね」
つまりこの悪魔、人間の記憶を食べるためなら無償で手を貸すということか。
食べてしまうということは、その記憶は一生涯戻らないのだろう。そう考えるとぞっとする悪魔だ。良いこと悪いことも、なにもかもを奪い去ってしまうのだから。
「人の成果を奪い、家族を奪い、友人を奪ったのです。記憶くらいは安いものでしょう?」
「ぐ、ぐううううううううっ!!」
「心配しなくても、その悔しさすら忘れます。あなたにはなにも残らない。人を傷つけた事実も、奪おうとしたことも、あなた自身の挫折や憎悪……その顔が、誰のものなのかすらも」
クェルの瞳は冷たく、だけどそれは侮蔑ではなく、どこか寂しさが見えるものだった。
複雑そうな感情を翡翠に宿したのは、ほんの一瞬。クェルはまたいつも通り、自信たっぷりで余裕のある笑みを見せ、高らかに宣言する。
「さあ、ムニミィ。契約に従い、持っていきなさい。罪も、憎悪も、悲しみも……ここで終わりです」
「ぐ、ぎぃぃぃぃぃ!!」
「……さようなら、名前も知らない悪魔使い。いつか会えたら、そのときはもう少し前を向いていることを期待します」
そこまでを口にして、クェルは相手に背を向ける。言いたいことは言ったと、そういうことだろう。
ある意味ではこれも彼女なりの優しさなのかもしれない。クェルの言葉は暗に、相手の挫折や憎しみすらも忘れさせると示しているのだから。
「ファルレア。事が終わったら、その拘束を解いてあげなさい。私は先に行っています」
「……うん。分かったよ。クェル」
すれ違ったクェルが透明なしずくをこぼすのを、僕は意図的に見逃した。
これが最後の悲しみになるようにと願って、瞳を閉じる。
くぐもった悲鳴が、夜の空に響いた。




