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分かたれぬもの

「……出来たッ!」


 最後の一文。僕には理解できない文字を、イストリアは書ききった。

 書体もなにもかも、クェルがメモに書いたものを正確に写し取っただけなので、イストリアにもその意味は分かっていないだろう。

 指先から滴る血液は、彼女自身のもの。血文字による文章は、クェル曰く契約を結ぶために最も必要な一言らしい。


「お師匠様、これで、これでいいのね!?」

「ええ。よく出来ました、イストリア。思った通り……いえ、思った以上に、才能がありますね」


 イストリアの赤髪を撫で、クェルは一歩を前に出る。

 完成した儀式の準備は、知識のない僕から見てもひどく異質さを感じるものだった。

 事切れたエウレカの周囲の床には方陣が描かれ、竜の牙や骨に怪しげな装飾や彫り込みを施して造られたオブジェや、血液の詰まった瓶が並んでいた。

 嗅覚に触れるものは甘く、それは部屋のあちこちで焚かれている香木の匂いだった。


「イストリア。これは悪魔の使役としては新技術であり、基本ではありません。基本的な悪魔の使い方はまた今度教えます。これが普通だとは思わないように」

「はい、お師匠様!」

「くふふっ、いい返事です」


 はじめての弟子の出来の良さに満足らしく、クェルは満足そうに頷いた。


「儀式の基本的な流れは私が作ります。あなたは必要な場面でのみ、出てくるように」

「はい」

「……はじめますよ」


 クェルの纏っている空気が、明らかに変わる。

 いつものように余裕たっぷりの笑顔は消え、妖艶な雰囲気さえも、真剣な表情に隠れてしまう。

 今まで見たどんな顔のクェルよりも静かで、その様子が、これから始まる儀式の難易度を暗に物語っている。


「システム起動。魂のサルベージを開始。……確認」


 響く声は無機質で、まるでクェル以外の誰かが、彼女の口を使って喋っているかのようだった。


「肉体の再構築を開始。……肉体の損傷により、続行不可。代用案として、肉体の不足部分を灼熱竜の肉で代用。……確認」


 感情のこもらない声が響き、方陣が妖しげな光を放つ。

 クェルはここではないどこかを見つめるような遠い瞳で、懐から包みを取り出した。

 恐らくあれは、僕が悪魔の力で最初に葬った竜のものだろう。イストリアが彫り物をした骨なども同じ竜から採れたものだ。


 ……不思議だ。


 目の前で展開されている儀式は、僕を造り出したときとはまた違ったものだという。

 そしてその自分を造った儀式でさえ、僕は自分の目で見たことはない。

 それでも、こうして目の前で執り行われる儀式を見て感じるのは、懐かしさだった。

 しんとした空気は冷たく、僕が意識を揺り動かされたときに浸っていた真っ暗で無音の世界に似ていた。


「契約書の作成を開始。契約履行に必要な代価の設定を……イストリア」

「は、はいっ!?」


 急に感情が戻った声で名前を呼ばれ、驚いたのだろう。慌ててイストリアが返事をする。


「契約の履行……つまりあなたが悪魔になにかをしてもらったときに、支払うべきものを選びなさい」

「え、あ……な、なんでもいいの?」

「あなたが支払えるものであれば」

「え、ええと、頭を撫でるとか……ブラッシングとか……あ、遊んであげるとか!」

「……世話をする、ということですね。いいでしょう」


 イストリアの言葉を聞いて、クェルは微笑んで、頷いた。


「システム構築……承認。魂の定着、肉体の再構築、完了」


 もはや感情が宿った声で、謳い上げるようにしてクェルは言葉を紡ぐ。

 方陣の光は怪しげな紫の色から、まるでイストリアの瞳のような紅になった。輝きを増していく方陣は、まるで太陽がそこへと落ちてきたかのようだった。


「さあ、私の一番弟子! 教えたとおりに唱えなさい!!」

「は、はいっ! ……消えかけの魂よ。新しい名前を与えましょう。新しい役目を与えましょう。その砂が尽きる前に時をゆるやかに止め、あなたの存在を留めましょう」


 それは、いつか闇の中で僕が聞いた言葉と同じものだった。

 言葉が世界に染み入るようにして、広がっていくのが分かる。

 網膜が焼かれるような錯覚。白くなり始めた視界の中で、ただ声だけが響く。


「さあ、結びなさい。あなたに私の弟子として、私が悪魔使いとしての名前を与えてあげましょう!!」

「っ……もっとも新たなる契約に基づき、イェルの名においてあなたに命じます――エウレカ! 帰ってきて……!!」


 結ばれる言葉は、祈りのようだった。

 悪魔使い、イストリア・イェル・フロガ。それが新しい彼女の名前であり、その名前によって、新しい契約と生命が結ばれる。

 ばん、となにかが破裂するような音がして、衝撃が身体を抜けていった。


「く……ふたりとも!!」


 見えなくとも気配で察知して、僕はふたりの身体を抱きとめた。

 衝撃が通り過ぎていくと、それを追うようにして光が収まっていった。

 やがて室内に、静寂が訪れた。光を失った方陣の中心に横たえられているエウレカに、イストリアは駆け寄った。


「エウレカ……!」

「く……わ、ふ……?」

「ああ……エウレカ! よかったっ……!!」


 小さな呼気と漏れるような鳴き声は、たしかにエウレカが息を吹き返した証。儀式は成功したのだ。

 イストリアが感極まった様子で、エウレカを抱きしめる。その様子を見て、僕はゆっくりと息を吐いた。


「……クェル。ありがとう」

「くふふ、礼には及びませんよ。あなたの造り手として、そしてあの子の師匠として……果たすべき責任を、行っただけです……」


 腕の中のクェルはぐったりとした様子で、額には汗が浮いていた。

 自らの状態を確かめるようにして彼女は手指で汗を拭い、こちらを見上げる。身体からは明らかに力が抜けており、疲労が見て取れた。


「さすがに、急ごしらえの儀式で、他人の契約の補助となると……私自身にかかる負担は、ファルレアを造ったとき以上ですね……」

「だ、大丈夫……!?」

「ん……大丈夫ではありません……疲れたので、きちんとお姫様を扱うように……丁重に私を扱いなさい……いいですね……?」

「……うん。分かった」


 それが命令かどうかなんて関係なく、僕だってそのつもりだった。

 ここまで疲弊するまで頑張ってくれたのだ。無下に扱えるはずがない。

 ましてそうしてくれたのは僕の不始末の尻拭いと、友達の危機を救うためだったのだから。


 どこか満足げに瞳を閉じるクェルを、僕は自然と抱きしめていた。

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